ツキハヒガシニ

    

SS

    
落火流水4の追加部分抜粋
タマキと紅丸の組み合わせ好きです



 ゴロ、と土のついたじゃが芋がひとつ、紙袋から転がり落ちた。
 目の前でそれを見ていたタマキは、あ、と声を挙げたものの、両手はその芋が入っていた紙袋を抱えてふさがっているため、ただただ見ていることしかできなかった。
 ああ、ごめん、助けられない――
 浅草の舗装されていない道へと真っ直ぐに落下していた芋は、地面にぶつかる寸前で誰かの手に受け止められた。
「ほらよ」
 しゃがんでいた体をゆっくりと起こした紅丸が、掴んだ芋を野菜の詰まった袋の一番上に戻す。
「あっ……ありがとうございます」
 驚きに目を見開いて、それでも咄嗟に礼が口を出た。敬礼も合掌もできない状態で、タマキは二つ結びにした頭を可能な限り深く下げた。


「しかし、えらい量だな。押し付けられたか?」
 持ってやるとも言わずに無言で袋を取り上げようとした紅丸の行動を必死で制したタマキは、買い出しの袋を抱え直し、手ぶらの紅丸と並んで詰所までの道を歩いていた。
「いえ、私なんて、買い出しくらいしかできることないんで……」
「なんだ。この前一皮向けたと思ったら、また被り直しちまってるな。修行の効果はなかったか?」
「そんなことは……でも、結局誰かに守られて流されてばっかりだし……」
 眉毛を八の字に曲げ、悩まし気な顔で俯く。紙袋に半分隠れたタマキの顔を横目で見おろした紅丸は、顎に手を当て、ふむ、と口を曲げた。
「鍛えるのも悪くはないが、使いどころってもんもある。俺だって、偶然浅草の火消しに拾われなきゃ益体も無いただの暴れん坊だ。流されてる内にお前ェさんの力の使いどころもどっかで見つかるだろうよ」
「……私は、消防官じゃいられなくなりそうだったところを桜備大隊長に拾ってもらった身です。だから、第八が大変な今こそ役に立ちたいんですけど……」
「守りたいもんが決まってるならいい方だ。なまじなんでも守れちまうと、かえって迷うぞ。何を守って何を守らないか」
「ゔっ…わぁ……贅沢な悩み」
「闇雲に強くなりゃ良いってもんじゃねェってことだ……ケツの青いガキには早い話か」
「弱いのはともかく、子ども扱いはやめてください。これでも、同じ一消防官なので」
 ムキになって反論するタマキに、へぇ、と小さいながらも愉快そうな笑みを向けた紅丸は、丁度通りがかった十字路で詰所とは逆の、賭場がある方向へと道を曲がり去っていった。

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SS

    
夾竹桃 桜備視点


 連日の酷暑は収まる気配もなく、日中はただ外を歩くだけでも汗が全身から噴き出てくる。
 浅草の町の外れ、地面に大きな影をつくる育ちすぎた夾竹桃の木の下で男は待っていた。
 晴天の夏空の下、花のピンク色はますます鮮やかで、微かな風に吹かれ意気揚々と枝ごと揺れている。
 夾竹桃は枝や花、葉っぱすべてに猛毒を含んでいて、燃えた煙を吸っただけでも健康被害が出る。
 その花について自分が知っているのは、消防隊員らしいそんな知識だけだ。
 俄かには信じがたい話だが、詰まらなそうな顔で影の下から花を眺めている男の体には、どんな毒もきかないらしい。
 それならそれで、今、なんの躊躇もなく花に手を伸ばしているのも理解できる。
 毒や棘を備えた花も、この男の前では無力で美しいだけなのか。
 日焼けとも無縁な横顔は白い。微笑みひとつすら向けてくれない男に、花達もただただひれ伏すしかないなんて、なんだか哀れだ。
「おい、そこの木偶の坊。ぼーっと突っ立ってると暑さでぶっ倒れるぞ」
 声をかけられて、慌てて意識を取り戻す。見惚れていたのか、足が自然と止まっていた。
「あ……なんか眩暈すると思ったら、暑さのせいか……」
「なに言ってんだ」
 と、花がもらえなかったささやかな笑顔をもらう。それに気を良くして、影の下から出てこようとしない男の元へと足早に近づいた。

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大隊長カレーの日
浅草潜伏期 多分付き合ってる




 シンラとアーサーが浅草にある第七へと実践稽古に通い始めて数日。初日より慣れてきたとは言え、稽古が終わる頃には体の自由が利かないほどにまで疲弊するのは変わらなかった。
 だが、その日に限ってはいつもと様子が違った。
「あ!」
 第七の詰所の庭で四肢を投げ出し地面に伸びていたシンラが、なんの前触れもなく大きな声をあげ、バネのように体を跳ね起こした。容赦のないかわいがりで死に体になっていたとは思えない元気の良い声。その声に反応して、隣で同様に伸びていたアーサーも「そうか!!」と声をあげ、同じ勢いで体を起こす。
「なんだ、急に元気になりやがって」
 地面に座る二人の背後から紅丸が怪訝そうに尋ねると、二人は同時に振り返った。
「今日は大隊長カレーの日なんです!(だ!)」
 普段は目が合っただけで喧嘩になる犬猿の二人が、ここぞとばかりに声を合わせ、同じような満面の笑みで同じように両目を輝かせている。
「かれー?」
「あれ? もしかして、浅草ってカレー食べないんですか?」
「知らねェな」
 ウワー!アリエネー!モッタイネー!と、浮かれているせいか遠慮なく騒ぎたてる二人。するとシンラが、閃いた、という表情で再び紅丸を見上げた。
「そうだ。新門大隊長も第八に食べに来ますか? すっげーうまいんですよ、大隊長カレー」
「……行かねェよ、馬鹿ヤロウ」
 紅丸は、これ以上相手をするのは面倒だという意思を表情で示し、シンラの誘いを断った。
 まだ、第八が特殊消防隊でなくなるとは誰一人として想像もしていなかった頃のことだった。



 隊員数が片手の指の数を超えたタイミングで、大隊長の立場と職務内容を鑑みて食事当番のローテーションからは外すべき、と進言したのは火縄だった。桜備自身はどちらでも構わなかったが、言葉通りの台所事情は火縄が適任と早々に任せてしまっていた以上、異論はなかった。
その火縄が「カレーだけは、桜備大隊長がつくった方が美味い」と断言したことから生まれたのが、毎月最終金曜日の“大隊長カレーの日”だった。
 逆賊として国家に追われ浅草に身を潜めてからしばらく、その日が最終金曜日だと気がつき「カレーが食べたい」と最初に言い出したのは環だった。流されるままに混乱の渦に巻き込まれた環は、とにかく“平凡な日常”に飢えていた。そんな彼女の涙ながらの訴えもあり、桜備は急遽間借りしている第七消防隊詰所の台所で、いつも通りのカレーを作ることになったのだった。
 その前から手が空いている隊員がいれば食事の支度の手伝いなどはしていたものの、主導権を取って使うのは初めてだった。紺炉に了承を得て火華にルーの買い出しを頼みと多少なりの迷惑もかけたものの、結果的には、浅草には馴染みの薄い皇国の料理を振る舞ったことで、血気盛んな第七の火消し連中と第八の隊員の親睦が深まる良いきっかけにもなった――



「もう、ひと月経ったのか」
 紅丸は引き戸を細く開いて台所に入って来るとすぐに、そう言った。土間にいたのは、数十人分の量を一気に煮込める大きな寸胴鍋と向き合っている桜備ひとりだった。
「どうしました? 酒ならここにはないですよ」
「知ってる。ただ、詰所中に匂ってるから見に来ただけだ」
「またやらせてもらってます。前回が意外と好評だったんで……」
「あぁ……アイツな」
 複雑な心境が垣間見える桜備の苦笑いを見て、紅丸は目線を宙に泳がせて記憶を辿った。ちょうど一ヶ月前の最初の大隊長カレーの日、最も場をざわつかせたのはシンラだった。
 柱の出現で人格が変わって以降、反抗期の不良少年よろしく隊員揃っての食事の場への参加を拒んでいたシンラだったが、唯一、大隊長カレーの日だけは夕食に姿を見せたのだ。ざわつく面々を余所に、うまいともまずいとも言わずに、ただただ皿を空っぽにし、無言で去っていった。
「あ~……あの時のシンラの反応は意外でしたね。とんでもない奴でも、やっぱりシンラではあるんだなってちょっと感動しましたよ」
 第八の面々、特に桜備と火縄が不良息子に振り回される両親のように説得、叱咤、宥めすかしを駆使して必死で向き合おうとする姿は、誰の目にも入ってくる。なんらかの希望の可能性を感じたカレーづくりに精を出すのも、涙ぐましい努力の一環と受け取られていた。
「シンラもですけど……新門大隊長も。あの日、おかわりしてたでしょ」
「……目敏いやつだな。紺炉かよ」
「目敏いんじゃなくて、見てるからですよ」
 そう言うと、首をぐいと曲げ、隣にいる紅丸を見下ろした。自然、その前から見上げていた紅丸と目が合う。
「好きな人のことは、意識しなくても自然と目が追っちゃうんで」
 唇を軽くゆるめた和やかな表情のまま、恥じらいの一切ないサッパリとした口調で言う。
 紅丸は桜備の告白紛いの言葉に対しては苦々しい顔をするだけで何も応えずに、二人の間にある桜備の左手を掴んで自らの方へと引き寄せた。中指に巻かれている絆創膏を親指で軽く撫ぜると、次いで、何も巻かれていない薬指へと移り、柔らかい指の腹の皮膚を擦る。
「……この前ん時は、こっちの指に巻いてたろ。苦手なのが分かってんなら下拵えは人にやらせろ。血の味がしちゃたまったもんじゃねェぞ」
「や、苦手ってわけじゃないですよ? ちょっと力加減に失敗するだけで……」
 指を揉まれる感覚がむず痒いのか、桜備は肩から腕にかけてをぎこちなく揺らしながら紅丸の指摘を否定した。
 それが苦手ってことじゃねェのか、と言いたくなるのを口内で留めた紅丸は、掴んでいた左手を解放してから、再び鍋を覗き込んだ。
「しかし、シンラもそうだが、他のやつもエラい喜びようだったな。血とは言わねェが、なんか珍しいもんでも入ってんのか?」
「特には。ただ、カレーってつまるところ大勢で食べりゃうまいんですよ」
「は?」
「本当に特別なことはなんもしてない、普通のカレーですよ。それなのにうまいのは、大勢で食べるからってだけで。食事って何を食べるかより誰と食べるかっていうのが大事じゃないですか?」
「まぁ……そうかもな」
「あと、カレーってそれぞれ自分の家の味というか、お袋の味みたいなのがあるから。かえって変に凝ってないのがいいのかも知れないですね」
「そんなもんか。第七(うち)じゃこの前食うまで作ったことも食べたこともなかったからな」
「あれ? じゃあ……俺のカレーがお袋の味になるってことですか?」
「言い方は気にいらねェが、そうなるな……。おい、なんだその顔、喜んでんのか?」
「そりゃ嬉しいでしょ。なんであれ、初めての存在になれるのは」
 指摘された桜備は、緩んだ口元を手で隠しながら照れ隠しに軽く眉をひそめた。それでもすぐに真顔に戻ると、手元に用意していた小皿にカレーを取り分け味見をして、う~ん、と低い声で唸った。
「うまい、けどマジで普通だなァ。正直、俺が一番不思議ですよ、みんながなんであんな喜ぶのか……」
 首を首を捻ってそのまま、隣に目を向ける。
「味見、しますか?」
 そう言ってペロリと唇を舐めた桜備の伺うような誘うような視線に、紅丸も一拍遅れてその意図を察し、呆れ顔で舌を鳴らした。
「色惚けてんじゃねェよ。したいんだったら普通にしろ」
 手厳しく撥ねつけられた桜備は、そうですね、と嬉しそうに笑い、小皿を置いてから腰を屈めた。


 好きな相手と口を重ねるのもお前が初めてなのだと、そう言ったらさぞかし喜ぶだろうと思いながら、太い首に手をかけ引き寄せる。鼻をくすぐる甘さと刺激が混ざった独特の匂いが、唇の表面を軽く擦り合わせるだけの戯れじみた触れ合いで伝わってきたものなのか、すぐ横にある鍋から漂ってきただけなのかは定かではない。
 至近距離で見る熱を帯びた茶色い瞳の色は、鍋の中でドロドロと煮詰まっている粘液にも似ている。食べても食べても満たされないくらいに欲しているのだと。見て分かるほどなら、言ってやる必要もない。唇の端から、頬を伝って耳朶まで。肌を撫ぜながら唇をずらすと、むず痒いのか息の漏れる音がする。
「……初めてよりも、最後になりてェもんだけどな」


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牽牛花 紅備未満

展示SSの幕間的なもの
ギリ単体でも読めるかも



 朝、第八特殊消防教会の玄関ホール。初夏の日の出は早く、規定の起床時間前でも窓の外は明るい。すでに身支度を終え出窓に置かれた観葉植物の鉢に水をやっていた桜備の元へ、静かな廊下にパタパタと足音を響かせながら現れたのは、シスターアイリスだった。
「大隊長さんっ、ちょっと来てもらえますか?!」
 焦った声で呼ばれて振り返った桜備は、ハァハァと息を切らし頬をピンク色に染めたアイリスの真剣な表情に、思わず手にしていた如雨露を置き身構えた。



「おお、咲いてる!」
 ちょこまかと小走りで教会内を歩くアイリスについて行った先は、教会の中庭だった。
 アイリスが「見てください」と嬉しそうに示したのは、天に向かって咲く一輪の朝顔だ。
「さすが、シスターがお世話しただけありますね」
 シスターたちが身を清めるためのその場所は、日当たりも良く、食事に使う野菜や教会内に飾る花を育てる家庭菜園にも使われている。その世話の大部分を引き受けているのがアイリスだ。
「えへへ……でも、アサガオは昔いた教会でも育てたことはなかったです。……綺麗な色ですね」
 口元におだやかな微笑みを浮かべ、支柱に絡まり伸びる蔓の先で丸く開いているピンク色の花を見つめる。ちょうど彼女の手の平ほどの大きさで、花弁はティッシュのように薄く、縁は細かく波打っていた。
 この朝顔は、浅草への調査に同行できなかったのを残念がっていたアイリスのために桜備が買ってきた土産のようなものだった。桜備が買ってきた、とはいっても、朝顔を土産として選んだのは第七大隊長の紅丸だ。
 慣れない女性相手の土産選びにあぐねていた桜備が、何か浅草らしいものといえば……と大雑把な質問で助けを乞うと、ちょうどその時目の先にあった道端の行商人を指さし「アレなんかどうだ」と投げやりな調子で言ったのだった。
「俺も小学生の時に育てた記憶はあるけど、こんな感じじゃなくてもっと普通の……」
 言いながら、シスターには“普通のアサガオ”じゃ伝わらないか、と気がついた桜備は途中で言葉を切った。
「浅草はアサガオの栽培と品種改良が盛んらしいです。変わり咲きを楽しむのが粋だって。だから、同じアサガオでも、花の見た目には色々あるみたいですよ。それに――」



「朝顔は種が薬になるってんで、贈り物として重宝されてたんだよ。それに何より、浅草らしいじゃねェか」
 浅草の路上で、どうして朝顔なのかと首を傾げる桜備に紅丸はそう説明した。
「皇国の大隊長さんはご存じねェか? 浅草じゃ、酔狂者がどんだけ珍しい朝顔を育てられるかで競い合ってんのさ。お陰で、朝顔ひとつとっても何百じゃ収まらねェくらいの種類がある」
 朝顔に限らず、菊や牡丹や紫陽花やら。浅草で盛んに行われている園芸趣味について説明してくれたのは、苗を売っていた商人の男だった。肩に担いだ天秤棒の両端に下げた浅い桶。そこにぎっしりと苗を並べて売り歩く姿は、浅草の呼び名では振り売りというらしい。
「それに、元々は大火事で焼け野原になったとこに種を撒いて楽しんだのが始まりだってんだから、火事場とも深い縁があるぜ……って、こりゃかえって火消しにとっちゃ縁起が悪ぃか」」
 桜備が皇国の特殊消防官だと知っている口ぶりで、あの町の人間らしい気安い口調。ただ、その時桜備が返事をするより先に返したのは、隣にいた紅丸だった。
「べつに悪かねェよ。大火事でも大災害でも、起きちまったことは楽しむのが浅草流だ」



 他の植物達に並んで庭の端に置かれた二つの陶器の鉢、片方は桜備からシスターアイリスへのお土産で、もうひとつは……
「大隊長さんのアサガオも、もう少しで咲きそうですね」
 アイリスが隣の鉢へと目を移し、期待に瞳を輝かせる。花こそ開いていないものの、連なる葉っぱの間には先端が色づいた蕾がいくつも見えていた。
 右と左の二つどちらとも、まだ蔓もさほど伸びていない小さな苗の中から紅丸が選んだものだ。まずひとつ。それから、もうひとつ。



「――コレと……あとコレももらうか」
「あれ? 一個でいいですよ」
「その第八の嬢ちゃんへの土産の分はこっちだけだ。で、こっちは、俺からお前にやる」
「俺?」
「ああ。枯らしてくれるなよ」



 買った時の小さな苗の状態ではよく分からなかったが、ある程度育った今見比べてみれば、葉っぱの形も色も微妙に違う。恐らく、花の姿もまったく別物なのだろう。
「う~ん、名前……なんだったかな」
 振り売りから買った時にそれぞれの品種名も教えてもらったはずが、すっかり忘れてしまっている。なんとなく美しい響きだった気はするが、一度聞いただけの耳慣れない響きは、おぼろげにでも思い出せそうにない。
 桜備が悩んでいると、アイリスがふいに小さな手の平同士を軽く打ち付け「そういえば」と話を切り出した。
「マキさんが調べて教えてくれました。アサガオが七月七日に咲くと縁起が良いらしいですよ」
「へえ、マキが?」
「その~、恋愛運に良いらしいです。七夕に咲いたアサガオは、織姫様と彦星さんが無事会えた証なんですって」
「そうか……マキらしいな」
 茉希尾瀬が人並外れた逞しさと乙女心の両方を備えているのは、桜備ならず同じ隊の誰でも知っている。
 彼女だったら、花を人からもらったという出来事から、どれだけ突飛な曲解をしてくれるだろうか。
 実際のところは、たいした意味などない、ただの気まぐれだろうに。
「楽しみですねっ、どんな花が咲くか」
 シスターアイリスが、桜備の鉢の蕾を眺めながら無邪気に声を弾ませる。
 楽しみだ。楽しみなんだけど、なんでかちょっと怖い。
 素直に「はい」と同意できずに、無言で支柱に絡まる蔓を目で追いかける。視線の動きに合わせて螺旋状にさまよった思考は、そのまま中庭から見える狭い天まで昇っていってしまいそうだった。



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SS

    
WEBイベントで展示していたSS(落火流水)の修正作業中に削った桜備さんと紺炉さんの会話

ただただ二人に会話させたいだけで話的には要らんな~と思って元々削るか悩んでた部分だったんですが、読み直してもやっぱいらないし原作の流れ的にも変だったので削
でももったいないのでこっちにだけ残しておきます
なんとかならないかなと最後ちょっと足したりした跡はあるけど基本展示と同じです


 第八特殊消防教会の会議室で「~てェことらしい」と伝聞調での報告を一通り終えた紺炉は、最後に改めて桜備に向き直ると、眉尻を下げ申し訳なさそうに謝罪を述べた。
「しかし、この前の大火事の時は悪かったな。実は丁度先代の命日でね、まあ、総出でお祭り騒ぎしてただけなんだが……」
「大丈夫です。結果的に、消防隊の結束を強める良い切欠になりました」
「そうかい。なら良かったが……しかし、いよいよ話がきな臭くなってきたな。第七うちに協力できることがあればいくらでも手ェ貸すぜ」
 言いながら、包帯を巻いた左腕に右手の平をパンッと叩きつける。頼もしい言葉に、桜備は一度目を細めてハッキリとした笑顔を見せてから、眉毛を吊り上げ、真剣な表情をつくった。
「ただ、第八はこれから灰島への調査に入る予定です。あまり大事にはしないつもりですが、何かあっても第七には……というより、灰病の薬の供給には影響が出ないようにします」
「俺としちゃ、別に灰島に喧嘩売っちまって構わねェんだけどな。まぁ、紅のやつは気にするか……」
 紺炉は苦笑いを浮かべ、何事かを思い出すように視線を斜め右上にさ迷わせた。その様子から紅丸の方に灰島との抗争を渋る動きがあるのを察した桜備は、先回りして言葉を重ねた。
「こちらとしても、紺炉中隊長には万全の状態で備えていてもらいたいので。それこそ、先日の火災嵐の一件もあって、鬼の焔ビトを一人で倒したお二人の力がどれだけすごいか改めて実感したので……」
 真っ当なことを口にしながらも、桜備の脳裏に別の記憶が浮かんでいた。酒が入れば笑う男が、閨では弱音を吐くのだと知ってしまったばかりに、思考が乱されている。
『……灰病さえなきゃ、紺炉が頭になるはずだった。そもそも、先代の一番弟子は紺炉だったんだ。順当にいきゃ後継ぐはずが、突然拾われてきた野良犬のガキにひっくり返された。もちろん、そんなの気にするような男じゃないとは分かっちゃいるがな……――』
 桜備からすれば、目の前の男が以前に頭を担ぐためなら命も惜しくないと言い切るのを見ていた以上、紅丸の苦悶はすべて杞憂に思えた。
 不自然に開いてしまった間を誤魔化そうとしたその時、大隊長室のドアが外からノックされる。偶然の助け舟に、どうぞ、と桜備が呼び掛けるやいなや、飛び込んで来たのはシンラとアーサーだった。
「紺炉中隊長! 来られてるって聞いたので」
「よぉシンラ。聞いたぞ、この前死にかけたらしいじゃねェか」
 浅草の面々にいたく懐いている二人が久しぶりの再会に目を輝かせているのを傍から眺め、桜備も思わず頬がゆるむ。半ば強引に結んだ第七との縁が時を経て太くなっているのを感じ、安堵と、どこか居心地の悪さも覚えていた。



「どうかしましたか」
 人の輪を離れた位置から眺める桜備に、いつの間にか隣にいた火縄が照準の定まらない質問を投げかける。それでも桜備は、それを明確な意図を持つものとして受け取った。
「ん~~……いや、人を信用するのと利用するのって、紙一重だなと思って」
「マキのことですか?」
「ん? ああ、まぁ、そっちもそうか……」
 頭に浮かんでいなかった名前を突然持ち出され、桜備は一旦怪訝そうな表情をしてから、視線を宙にさまよわせた。最初に皇国軍大将の娘と聞いた時、咄嗟に「利用価値がある」と考えたのは間違いない。無論それだけで引き入れたわけではないとはいえ、彼女の名前について回る、無視し難い要素だ。
「あなたの思う“利”のために用いられるのであれば何の不満も感じない、自分のような人間もいます。正しい目的に向かっているのであれば、気に病む必要はないでしょう」
 帽子のつばの影の奥で、鋭い眼光が一瞬和らぐ。この男なりに安心させようとしているのを微妙な表情の変化から察した桜備は、自らの不甲斐なさに思い至り、グッと背筋に力を入れた。
「……いつも悪いな、火縄」


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SS

    
犬も燃えれば灰に変わる

WEBイベントで展示予定の原作沿い紅備SS の冒頭 桜備視点   

ちなまだ書き終わってないです
楽しすぎて書き終わりたくない~とか思ってる場合じゃない



 初めて体を重ねたあの晩、声を聞いた。
 その声は、地を這う獣の唸りのようでもあり、空を震わす木々の戦慄きのようでもあった。何を伝えようとしているのか、そもそも自分に伝えたいのかもはっきりとはしなかったが、それでも、たしかに人の声が、意味を持つ言葉を発していた。
 どこか気を逸らす隙を探していた自らが生んだ幻聴か。煉合の炎に吞まれまいと酸素の溜まり場を求めていた、酸欠気味の脳が幻を聴いたのかも知れない。
「     」
 あの声は、一体――



 思いも寄らない騒動へと発展した伝道者の関連企業の調査が終わり、そのまま浅草に一晩泊まった翌日、第八の面々が雷門の前でマッチボックスに乗り込む中、最後まで車外に残っていた桜備の袖を背後から誰かが引いた。引っ張ると同時に、桜備、と低い声で呼びかけたのは、見送りのために来ていた紅丸だった。
「お前さん、今日の夜は体空くか?」
「俺ですか? 夜勤の当番ではないので……恐らく九時くらいには」
「十分だ。お前らが昨日の主役みたいなもんだからな。よけりゃ戻って顔出せ」
 さっき盃を交わすのと同時に始まった宴会は、恐らく昼間の内には終わらないのだろう。紅丸のその提案を、桜備はそのまま言葉通りに受け取った。その時は、長官への報告や今後の対策が脳の大半を占めていて、言外の意図など考える余地も無かった。



 折角だから走っていくか。と、普段のランニングの延長で第八の教会から浅草の町を目指した。朝方教会に戻ってから報告書をまとめる中で、昨日の一連の出来事も桜備の脳内である程度整理がついていた。人の少ない川沿いを走る時間は、整理した内容を改めて思い返すのに丁度良かった。
 第七特殊消防隊、特に大隊長と中隊長の二人は、戦力としてあまりに心強い。本来目的としていた調査はほぼ空振りに終わったものの、収穫としては十分だろう。多少の怪我は想定の範囲内……とはいえ、焔ビトによるものよりは、仕組まれた内輪揉めの結果ついたものがほとんどだ。
 焔ビトはともかく、通常味方であるはずの能力者と闘うのは初めての経験だった。
 炎を持って焔を制す。
 今の世の中で火を扱えず、怯えるか立ち向かうかしかできない自分は間違いなく無力だ。だから、頼れるものはすべて頼らなければならない。
「……新門紅丸か」
 いくら唯一無二の煉合消防官とは言え、たしかまだ二十そこそこの青年だ。元々所属していた一般消防士の世界だとしたら間違いなく経験の足りない若手とみなされる。
 それでも、噂で聞いていたイメージとは大きく違っていた。神を信じない原国主義者。祈らない鎮魂を押し通すならず者。徒党を組んで皇国に抗する荒くれ共の(キング)。そんな立場から想像される大胆さや横暴さよりはむしろ――
 必要以上の事柄にまで考えが及びそうになっていたのに気がつき、頭を振って思考をリセットする。走る足の動きに合わせて揺れる視線を、暗い道の先に向けた。
 とりあえず、彼と、彼に従う人達を信じると決めた。今は、それでいい。



 考えを巡らせて集中力を欠いていたせいか、気がついたら雷門の前に到着していた。灯りはほとんど点いていないものの、独特な門と提灯の形は分かる。朝とは雰囲気がまったく違うその場所を不思議そうに見回していた桜備は、闇の奥からぬっと現れた動く影を目の端で捉え、咄嗟に体と意識を緊張させた。
「あっ……新門、大隊長」
「まさか、ここまで走ってきたのか? 体力までバケモン並みだな」
「そんなに遠くはないですよ。今度こっちまで来てみてください。それより、もしかして自分のこと待ってたんですか?」
「待ってたわけじゃねェよ。酔い覚ましの散歩だ。……だが、丁度良かった」
 そう言って、紅丸は突然桜備の左手の手首を掴んだ。


 さきほど酔い覚まし、と言っていたが、なるほど。昼間見たけったいな笑顔が浮かんでいないのであれば、今は酔いが覚めているという証拠なのだろう。表情だけで酔っているかどうか分かるのは本人にとっては癪に障るだろうが他人からすると便利だ。
 酔っているわけではない。それならそれで、これはなんだ。
「あのっ、どこ行くんですか?」
 返事はない。それでも、手首を掴まれ引きずられるままに後をついて行きながら周囲を観察していた桜備は、うっすらと合点していた。
 静かだった門前から1本逸れて明るい方へ、道幅が狭くなった途端に人通りが増え、両脇に並ぶネオンは脳に直で刺さるようなケバケバとした色とデザインで輝いている。消防庁長官をはじめ、男同士の付き合いの一貫として夜の街の多少いかがわしい店へと付き合わされる展開は珍しくない。それに、半ば観光地化している浅草の歓楽街が発展しているのは、皇国の他の地域でも有名だ。
 こううのは好きではないが、嫌というほどでもない。諦め気味に引きずられていると、紅丸の足は歓楽街からさらに一本脇の路地へと入っていった。
 競い合って光っていた電飾は鳴りを潜め、同じサイズ、同じ色の地味な看板が等間隔で並ぶ。屋根を共にした二階建ての建物が連なり、前を通ると開け放たれた一階部分の玄関から客引きの老女が甲高い声で呼び掛けてくる。その内の一人が紅丸に気がついたのか、他とは違う呼び掛けを投げてきた。
「あら、紅ちゃんじゃないの! 久しぶり」
 歩き始めてからズンズンと進むばかりだった紅丸の足が初めて止まったのも、そこだった。
「おい。隣、借りるぞ」
 営業用ではない素の笑顔を浮かべ紅丸に手を振る老婆に対して不愛想にそう告げると、すぐに足の動きを再開させた。店の隣の灯りのない建物の引戸を開き、視界のほとんどない暗い土間からそのまま二階へ。花街の異様な雰囲気に呆気にとられていた上に構造を把握していない桜備は壁や柱にぶつからないようにするだけに手一杯で声を挙げる余裕もないが、説明らしい説明もなく連れ込まれた布団しかない部屋が、そういう目的の場所だろうということは察しがついた。
「昨日の続きといこうじゃねェか」
 ようやくの第一声とともに、布団を無視して畳の上に転がした桜備の、腰骨のやや上あたりに素早く跨る。男一人分の体重で胃を潰される衝撃に耐えかねた桜備は、脊髄反射で濁った呻き声をあげた。昨日とは違って分厚い防火服も着ていない分体に受ける衝撃も大きい。
「いや、もう喧嘩する理由なんてないでしょ?」
 潰されて締まった喉を慌てて開き、わざとらしいまでに困惑を目いっぱいに込めた声を張り上げた。乗り上がった方はそれを意に介した様子もなく、自らの法被の巻帯を片手で器用にほどいている。
「ちょっ、新門大隊ちょ――」
「いちいち長ぇよ。紅でいい」
 肘をついて持ち上げようとした桜備の上体が、すかさず肩を押され畳に戻される。体格では勝っているはずなのに簡単におさえ込まれてしまうのは、体の使い方の熟達度の差か。これだから、持って生まれた人間は嫌なんだ。
「まァそもそも、名前なんて呼ぶ必要ねェだろ。他に誰もいねェんだからな」
 当然、ここまでくれば桜備にもその意図は分かる。それでもまだ、驚きの方が上回っていた。
「あの、俺、今走ってきたばっかりなんですけど」
「気にするかよ。どうせ汗かくんだから一緒だ」
 そう鼻で笑い飛ばしながら、右手をTシャツの裾から潜り込ませ、わき腹を爪で撫でる。他人の手が肌を這う感触に、桜備は思わず四肢を強ばらせた。
 役職としては同じ大隊長ではあるが、そもそも第一から第八まである特殊消防隊には明確な序列が存在する。新設で隊員数も少なく設備資材も最低限しか与えられていない第八は、もちろん一番格下だ。第七はイレギュラーな存在とは言え、設立は第八よりも早い。訓練学校から消防隊を経て、上下関係に厳しい組織の体質が染みついている桜備からすれば、どんな些細な命令であっても逆らうのには勇気がいる。
 ――それにしても、まだ俺で良かったな。
 マキや、もしくはシンラやアーサーが狙われていたら問題も変わってくる。自己犠牲のつもりは無いが、立場的にも、それと肉体的にも精神的にも自分が一番ショックは少ないだろう。
 ただ、それにしても、だし、よりによって、でもある。
 あえて自分を選ぶというその好みは正気を疑うが、とはいえ、頑強な男を屈服させたいという欲求を持つ人間は、それこそ消防隊のような男性中心の組織では珍しくはない。
「……おい」
 状況にそぐわない冷静な思考が態度に出てしまっていたのか、跨った男はイラついた様子で舌打ちをした。右手を頭の高さまで振り上げた。そのまま人差し指と中指を揃え自らの顔の前まで持ってくると、指先に小さな火を灯した。
「一万だ」
 一本の蝋燭の火程度のともし火でも、ほとんど光のない薄暗い部屋では十分な光源だった。桜備を見下ろす顔がオレンジ色の炎に照らされ、目の下に普段からある隈以上に濃い影をつくる。
「浅草の火消しが殺してきた焔ビトの人数。昨日の晩に俺が紅月で葬ったヤツで丁度一万。……それが浅草の人間じゃないってのは皮肉だな」
「……全部、数えてるんですか」
「ああ。皇国の消防隊と違って、浅草には人殺しを代わりに背負ってくれるような神さんがいねェからな」
 第七との関係を良好に保ちたいという打算はあるものの、こんな横暴は撥ね退けても当然構わない。それなのに、どうにも抵抗しようという気が沸いてこなかった。無体を強いる側としては、相手がどうにも繊細すぎるからだろうか。
 今も、こちらに対する挑発というよりは、むしろ自らの感傷に浸っている。遣る瀬無い哀しみのぶつける先に迷い、性欲を捌け口にして吠えている。その青々しい惑いは桜備の目から見ればある種の可愛げにも映った。
 もういいか。半ば諦め気味に受け入れることを決めた桜備は、その意思を示すために、火が灯っている方の紅丸の手首を掴み、自らの方へと引き寄せた。
「――っと! おい、あぶねェだろうが」
 危うく肌につきそうになったところで、紅丸が慌てて指先の炎を散らす。いまだ手首を掴んだままの桜備は、火の消えた素手の手の平に頬を擦りつけた。目線は、赤い目を細めやや困惑した様子で自分を見下ろしている男に向ける。
「……お手柔らかに、しなくていいですよ。割と頑丈にできてるんで」



 雑で荒々しいガブガブと嚙みつくようなキスを受けとめながら、ふと、昔飼っていた犬を思い出した。捨てられているのを桜備自身が見つけ、両親に頼み込んで飼うことになった犬だ。犬種は何が混ざっているのかも分からない雑種で、ビー玉のような丸く大きな目をしていた。
 愛嬌はあったものの飼い主の言うことを聞く犬ではなく、しかも中型犬で体格もそれなりにしっかりしていたものだから、散歩を担当していた桜備に従うどころか引きずり回して喜んでいた。
 躾のしようもない犬だったが憎めないやつで、どんな悪さをしても最後には許してしまう。こんな風に、朝寝ているところに突然のしかかってきては無理矢理に起こされた記憶が蘇る。
 アイツのことを思い出すのは随分と久しぶりだ。最後は病気で、それでも平均寿命以上に長生きしたアイツが死んでから、もう十年以上がたっている。死んだ後には、ペットのための火葬場で骨にしてもらい、庭に墓もつくった。
 そうか。思えばアイツは、俺がはじめて燃やした存在かも知れない。
 皇国の神様は、ちゃんとペットの魂も救ってくれるんだろうか? 半ば疑いながらも律儀に手を合わせラートムと祈りを捧げたのを覚えている。

 デカい犬に噛まれているショックを和らげようとあるかも分からない天国に想いを馳せていたら、ちょっと泣きそうになった。


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三々久遠α2
タケヒサヒナワは受け入れていない


「でも、火縄副指令はやっぱり大人ですね。受け入れられないでギャーギャー言ってる自分が恥ずかしくなってきました」
 更衣室で汗を吸ったTシャツを替えながらそう言うと、先に着替えを終えた副指令が、ガシャン、とあくまで丁寧な手つきでロッカーを閉めてから俺の方を振り返った。
「別に、受け入れたわけじゃないぞ」
「へ?」
「総隊長がドッペルゲンガーに殺された時のショックがあまりにも受け入れ難かった。今の世界になってからもずっと、あの人が死ぬという想像が俺にとっては一番の悪夢だ。だから、生きてさえいれば、誰とどんな性交をしていようがどうでもいい」
 眼鏡の奧の目の据わり方にも口調にも淀みがない。たじろいだ俺は、相槌も打てずに腕にシャツを引っかけた中途半端な格好で固まった。
「それに、職務中はともかくそれ以外の生活までは関与できないからな。目の届かないプライベートな時間に死ぬ確率が低くなるという意味では、あれ以上の相手もいないだろ」
「え、総指揮のこと体のいいSPだと思ってます?」
「そもそも、生き返ったのは良かったが、生き返ったということはもう一度死ぬということだ。そういう意味ではシンラ、お前のことも許していない」
「ちょちょ、それはさすがに逆恨みですって!」


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的外れ
浅草町民目線、エピローグ前のどこか
※桜備過去捏造


 焔人がわんさか沸き出た騒動のせいで遠のいていた浅草見物の客足も、最近は大分戻ってきてはいる。だが子ども連れはまだ少ないようで、ウチの射的屋は今日も朝から閑古鳥が鳴きっぱなしだ。瓦版も読み終わっちまって、道行く見慣れた顔を眺めるくらいしかやることがねェ……と、こっちが嘆いてるってのに、浅草の破壊王様はえらい機嫌が良さそうだ。こりゃァ珍しく博打で大勝ちでもしたか? とくれば、声を掛けない手はない。
「おい紅! 暇してんなら寄ってけよ! おっと、第八の大隊長さんも一緒か。歓迎代わりに一発オマケするよ」
 店先まで来たところで、紅の隣にいるツレに気がついた。紺炉かと思いきや、それとは別の大男だ。件の騒動の時に世話になった第八とかいう消防官の親玉で、名はたしか桜備と言ったか。筋金入りの皇国嫌いが盃交わしたってんで、しばらくは町でも話題になった奴だ。今も俺の挨拶に笑顔で返してくれて、陰気な紅と一緒にいるには丁度いい爽やかさで悪かねェ。
「やらねェよ。ガキの遊びだろうが」
「そいじゃあ、賭けにしたらどうだい? 単純明快、少ない弾数で落とした方が勝ちだ。俺はこっちの大隊長さんが勝つ方に一万賭ける。お前さんは自分に賭けりゃいい」
 チッ、と舌打ちした紅は「そう言われちゃあな」と満更でもない顔になり、台の上に並べている銃の一本を手に取った。俺らのやり取りを第八の大隊長さんが感心した様子で見てたから、目配せしてニヤリと八重歯を見せてやった。このクソガキの扱いにかけちゃ、こちとら玄人よ。
(イチ)じゃヌリィ。三にしろ」
「俺ァ構わねぇよ? ただし、発火能力でイカサマすんのは無しだからな」
「しねェよ。こっちのデカブツは無能力者だぞ。そもそも、火薬使ってねェのに操作も糞もあるかよ」
 俺の冷やかしをそう一蹴し、コルク銃を持った右腕を前に伸ばす。片目を閉じて狙いを定めている最中、胸の前で腕を組んでその様子を眺めてた大隊長さんが口を開いた。
「もし本物の銃だったら、操作できますか?」
「できねェ。まァ、やりゃできるかも知れねェが、必要になったことがねェからな」
「……第三世代能力者相手に無粋な質問でしたかね」
「とはいえ、たとえやれてもお前ンとこの中隊長ほどの芸当は無理だろうよ。ありゃ能力云々ってェより、並外れた鍛錬と集中力の賜物だ」
「そうですか。そう言ってもらえると嬉しいな。俺にとって火縄は、一番信頼の置ける存在なんで」
 ――おいおいおい、紅のやつ外しやがったぞ。まさか、俺の念が通じたか? 三で構わねェなんてつい乗っちまったものの、この客入りでしかも賭けでスッたとなりゃ、母ちゃんが怖くて家に帰れねェ。これでなんとか首の皮一枚つながった。
 悔しそうに眉をひそめての二射目。負けず嫌いだから、もちろんさっき外したのと同じ的を狙う。ふぅ、と尖らした唇で一息ついてから引き金を引くと、ポンッと小気味のいい音と共にコルクが飛んだ。


 パタン。赤い敷布の上でマッチ箱がひっくり返り、台の裏へとストンと落ちていく。


 さて、立ち位置変わって、今度は大隊長さんの番だ。俺は変わらず両手を組んで念じ続ける。今度の念は、どうか一発で当たりますように、だ。ただまァ、こっちだってさすがに勝ち目がなきゃ賭けはしねェよ。この大隊長さんならガタイの良さも腕の長さも申し分ないし、皇国の特殊消防隊とくれば射的なんてお手のもんだろう……
 と、思いきや。一体どうして、いざ銃を構えた腰はなんだか引けてるし、銃身は力のない女子供が持ってるみてェにフラフラして定まらない。
「おい、手ェ震えてんじゃねェか」
 隣で見ていた紅の指摘はその通りだった。冷や汗かいてる大隊長さんは、情けない苦笑いを顔に浮かべて、ハハ、と乾いた笑い声をあげる。
「あ~……実は、銃が苦手でして」
「苦手だァ? こんなん、ただの空気砲だぞ。それに、皇国の消防官だったなら飛び道具の扱いくらい嫌でも習ってんだろ」
「もちろん、訓練校時代に一通り。それと、一時は軍属だったので実践も一応……ただ、あまりにも簡単に、殺せてしまうのが怖くて」
「怖い?」
「実感が無い方が怖いんですよ。手に感触が残らないと、すぐに忘れちゃいそうじゃないですか」
 一向に撃たない、というよりは撃てないのを見かねたのか、紅は舌打ちしながら一歩横にずれると、左手をスッと大隊長さんの肩に置いて、もう片方の手を引き金につがえている大きな手の甲に添えた。下から包み込むようにして支える紅の手のお陰か、銃身のブレも幾分収まったようだ。
「よく狙え。目ェ逸らすな」
「……はい」
「その瞬間の顔を、瞬きしないで真っ直ぐ見てろ。そうすりゃ、夢に見るくらい忘れらんねェよ」
 ポンッ、パタン、ストン。
 お見事。とはいえ、これじゃどっちが勝ちとも言えねぇか? そう思って俺が首を傾げていると、
「オイ、お前ェの勝ちだ。とっとけ」
 紅が不機嫌な声でそう吐き捨て、懐から取り出した札三枚を台に叩きつけた。さっさと踵を返し歩き出した後、大隊長さんが礼を言いながら賭け金とは別に二人分の射的代を置いていってくれた。俺は慌ててその背中を引き留める。
「あ~これこれ、一応景品。紅の好きなやつ……っつってもガキの頃だけどな」
「ありがとうございます。昨日から負けっぱなしらしいんで、これで機嫌直るといいんですけど」
「ああ、そんなの紅にとっちゃいつものことだ。気にしなさんな」
 紅の後を追って小走りで去っていくデカい背中に手を振りながら、俺はまた首を傾げた。
 なんだ、紅のやつ機嫌が良さそうだったのは博打に勝ったからってわけじゃなかったのか?
 するってェと……――なんて、こんな野暮な推測はさすがに的外れか。

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三々久遠α 齟齬ってる



「そういや、シンラが三々九度の話したって言ってましたけど、浅草で誰か結婚する予定でもあるんですか?」
「………………てめェ」
「え゙、なにその顔…………あっ!!いや、アレはその場の勢いでつい、冗談…ってわけじゃあないんですけど、本気でもないって言うか…」
「おい、今からちっとツラ貸せ。いや、ケツ貸せ」
「でもだって、あの時結局するともしないとも答えてなかったですよね?!不成立でしょ?!!」
「うるせェ、黙れ」

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紅備+シンラSS(シンラクサカベは受け入れられない)をまとめました

「三々久遠」https://mites787.sakura.ne.jp/enen/tenji...

タイトルは三々九度のもじりです
なお個々のSSは独立してるので言及がない限り他の話とのつながりはありません

pixivは紅備のタグを2025年にサルベージするのが目的だったからとりあえずもういいかな

***

以下、知らんがなな話

「このセリフを新門紅丸に言わせたい!」を発端に書き始めたのに、途中から楽しくなりすぎたせいかすっかり忘れ、そのセリフを言わせずに終わらせてしまいました あ~~馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿
私の脳内にはあるのに…どうにも今更付け足せる余地がないので、またなんか別の機会に使いたいです
本来そのセリフが入るはずだったところに代わりに入れてたやり取りも悪くないというか収まりとしてはこっちの方がいいから結果オーライではある

なれそめ、プロポーズと書いたから3年目の浮気的なの書きたいな

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シンラクサカベは受け入れられない 8
これで終わりです


「子どもかァ! そりゃいたら楽しいだろうとは思うけど、でも欲しいからつくるってもんでもないしな」
 ラーメン屋でするには不向きな話題だったか、という俺の心配も余所に、桜備総隊長はほとんど間も置かずあっけらかんとした調子でそう答えた。俺たちはカウンターの一番奥の席に横並びで座り、注文したラーメンができるのを待っている。第8時代から通っている馴染みのラーメン屋は、再創造された世界でも変わらない味で営業を続けてくれている。とは言え、2人で来るのは随分と久しぶりだ。
「今は、それこそシンラの子どもとか、そのまた子ども達が無事に暮らせるような世界をつくりたいって方が大きいかもなァ」
 壁にかかったメニューを眺めながら、昼飯をどこで食べるのか悩むのと変わらないトーンで壮大な夢を口にする。自分の子どもと世界の平和、並べて比べる内容でもないと思うけど、平然と並べて考えてしまえるのがこの人のすごいところでもある。
「うーん? いや、無事にっていうよりは“楽しく”、か」
 そう言って、親指と小指を立てた右手を俺に見せながらニヤリと笑った。俺は照れ笑いで口元がひきつるのを感じつつ、同意を込めて同じハンドサインを返した。
「かといって、自分の幸せを諦めたとかじゃなくて、それが俺にとっては幸せのひとつでもあるってことな。そもそも、自分の幸せ諦めてないからこうなってるわけだし……」
 こうなってる、と濁した言い方をしながら指先で頬をかく。その様子を見て、俺もつい眉が下がり、詰まっていた息が自然と抜ける。本人に幸せなのだと言われてしまえば、出せる口は何もない。
「あの………総隊長は、新門総指揮のどこが好きなんですか?」
「おぉ、それ、知りたいのか?」
「総隊長が嫌じゃなければ」
 唐突な質問に明らかに困惑した表情を浮かべていたが、俺が早々引き下がりそうにないのが分かると、しばらく首を左右前後に捻りながら真剣に悩んでくれた。それから、悩まし気な表情で首を傾げたまま、への字になっていた口を開いた。
「うーん……シンラもそうだけど、やっぱ部下の前だとちゃんとしなきゃって意識が働くからか、ついカッコつけちゃうんだよなァ俺。だから今回のことも、なんか恥ずかしくて言うタイミング逃しちまって。隠してたみたいで、ごめんな」
「いえっ、俺の方こそ変な騒ぎ方をしてしまって、ご迷惑おかけしました」
 敬語で謝った俺の下げた頭に、諸々の反省がのし掛かる。一番の反省は、アーサーのようにうまく距離感を詰められれば、と思って結局できないまま今の今まで来てしまったことのような気がする。別に友達になりたいわけじゃないけど、せめてもう少し気楽に接せれていれば見え方も違ったかも知れない。俺は出会った時からずっと、この人の器の大きさに救われて、同時にそこに溺れてもいるんだ。
「それでまあ、そういう意味では一緒にいて気が楽なのかもな。上も下もないというか、展望(まえ)反省(うしろ)も無理して見なくていい感じが……いや待て、いいのかコレ?」
 そういう意味では、こうしてちょっと顔を赤くしながら困っている様子を見るのは貴重な機会な気がする。父でも兄でも、師匠でも、ただの上司でも、目標でも壁でもない。大隊長は大隊長なんだ。この人が国や世界を離れて一人の人でいられる場所があるなら、それは多分、俺にとっても幸せなことだ。
「あとまあ、本人の性格的にも、多少のことじゃ動じないくらい打たれ強いし、精神的に丈夫というか……」
 なんだろう。なんかこの前新門総指揮も似たようなことを言っていた気がするけど、黙っておこう。代わりに別の気になっていた事柄を思い出したから、そっちを話題にすることにした。
「そういえば、この前新門総指揮にお会いした時になんか変なこと言ってましたよ。なんか、サンコンがどうとか……」
「サンコン?」
「はい、盃の話してる時に……」
「ああ、多分それ三々九度のことだよ。原国式の結婚の儀式」
「けっ……!?」
「そうそう。大きさの違う三種類の盃で、それぞれ三回ずつ飲むから三々九度。皇国の結婚式は教会でやるのが普通だったから、俺らには馴染み薄いよな」
「そっ、そそうですね」
 結婚というワードをまったく受けとめ切れていない状態で同意を求められ、返事の声も思わず上擦ってしまった。それでも、桜備総隊長は特に気にした様子もなく、平然とした顔で話を続ける。
「いろいろ意味が込められてるらしいけど、三つの盃の内、小さいのが過去で、中くらいが現在、で、一番大きいのが未来を意味してるんだと」
 両手の親指と人さし指で大きさの違う三段階の円をつくって見せながら、そう説明してくれた。ちょうどそのタイミングで、二人分のラーメンが出来上がった。おまちどおさま、という声と共に背後から差し出され、それぞれの目の前に置かれたラーメンどんぶり。白い湯気とともに立ち上るおいしそうな匂いに思わず鼻の穴が広がる。
「大きい盃で未来の繫栄を祈るっていうからには、こんくらい大きければ安心感あるよなァ」
 ほら、と総隊長が自分のラーメンどんぶりを両手で持ち上げ、俺の方に近づけてきた。その行動に最初は困惑した俺も、すぐに意図を理解した。手にしていた割り箸を置き、同じように両手でどんぶりを持ったが、できたてのラーメンは普通に熱い。慎重にどんぶりを持ち上げると、ちょうど同じ高さになったところで、総隊長の方からどんぶりを近づけてくれた。手にした器の大きさに緊張しつつ、しっかりと両手で支え持って待ち構えていると、カチン、と陶器のふち同士がぶつかり硬く軽い音を立てた。
「俺とシンラと、この世界の未来に乾杯」
 笑顔と共にそう言われても、俺には無言で引きつった笑いを返すのが精一杯だった。そのままどんぶりに直接口をつけて塩辛い豚骨ラーメンの汁をすすりながら、口の中だけじゃなく目頭も熱くなってくるのを感じ、ぎゅっと目を瞑って耐えた。そして、たとえお互いが誰とどんな生き方をすることを選んだとしても、この先ずっと、俺はこの人と一緒に未来を創っていきたいと強く思った。いや、創っていくんだと、心に誓った。




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シンラクサカベは受け入れられない 7



「子どもなんてのは、その辺で拾ってくればいいだろ。俺もそうだったんだ」
 火縄副指令の助言に従い本人に伝えたところ、返ってきたのは、言われてみればないかにも本人らしい答えだった。今までに出自についてくわしく聞かされたことはないが、総指揮が先代の実の子どもでないことは浅草町内では周知の事実だから、俺も前に耳にしたことはあった。もちろん、そのことを気にするような人もこの町にはいない。
「ジジィも紺炉もそうだが、俺ァここの連中の誰とも血はつながっちゃいない。だからと言って縁が浅いとも思わねェよ」
 ここ、と言いながら顎で指し示したのは町全体のことだろうけど、俺はとりあえず目の前の見慣れた裏庭に目をやった。そういうことでもないんだけど、と言いたくても、伝わるように話せる自信もなく「はぁ」と曖昧な相槌を返す。
 思えば、浅草の詰所に訪れるのは随分と久しぶりだ。それでも、裏庭の土の色を見て匂いを嗅いだだけで、全身のそこかしこに負った傷の痛みとか、アーサーの間抜けな悲鳴とか、良いとは言い難い思い出が一挙に甦ってきた。
「――オイ紺炉! さっきから手ェ抜いてんじゃねェぞ! 病人面はもう通じねェからな!」
 と、今まさにその裏庭で俺が連れてきた新入隊員に稽古をつけてくれている紺炉さんに、総指揮が突然怒声を飛ばす。理不尽な罵りに対して、紺炉さんは「なんで俺が怒られにゃならんのですか」と困惑した顔で頭を掻いている。ちょっと俺と話すから、と新門総指揮から紺炉さんに指導が引き継がれて最初は喜んでいた隊員達は、遜色無い、むしろ一層厳しいしごきですでに死体と区別がつかない状態になっている。あぁ、懐かしい。懐かしさしかない。
 走馬灯を見て思わず遠い目になる俺と身勝手に活を入れて満足したらしい新門総指揮の間に、しばらく沈黙が流れる。死にかけの隊員の呻き声と鳥のさえずりをBGMに1分ほどたったところで、先に口を開いたのは新門総指揮の方だった。
「それで…………この前は悪かった」
 俺は、まず自分の耳を疑った。今謝った?誰が?混乱のあまり、一瞬自分の目の前にいる人がどこの誰なのかが分からなくなった。
「イエ、俺の方こそ、出すぎた真似を……」
 駄目だ、驚きで言葉が続かない。冷静に考えれば、俺の方からもっと早く先に謝りに来るべきとこなのに、咎めるどころか自分から謝った? これが本人だけの意思とは思えないけど……と考えていると、つい目が竹刀を振り上げている紺炉さんの方に動く。
「もし他にも聞きたいことがあるなら答えるが」
「え、なんでもですか?」
「ああ。ただし、くだんねェ質問だったらたたっ切るぞ」
 つい喜びに顔を綻ばせてしまった俺に、すぐ牽制が入る。じゃあそれって、なんでもいいとは言えなくないか?と疑問が浮かんだけどスルーした。さっきから新門総指揮の目線はずっと縁側の方を向いているから、俺の位置じゃ横顔しか見えないし目も合わない。どこまでが本気でどこまでが冗談か判断がつかなかった。
「そしたら、桜備総隊長の、そのー、どこが好きなんですか?」
「初っ端からくだらねェな。……しいていえば…頑丈なところか」
 そりゃ、総隊長以上に頑丈な人は世界広しと言えど中々いないだろう。恋人を好きな理由としては特殊な気がするけど、嘘ではなさそうだ。まだ俺の方がまともな理由を挙げられそうな気がしてしまうけど、しかしまあ、俺相手に言えるのはこんなもんか。
「じゃあ……そもそも、何がきっかけでお付き合いすることになったんですか」
 その質問に対して、答えよりも先に、カチャッと鯉口を切る音が響いた。怯えた俺は、思わず全身を震わせ両手を咄嗟に自分の体の前に出した。が、2、3秒の間を置いて再びカチャ、と音がして、指揮官の手元では親指が刀身を納めていた。
「……お前、桜備が泣いてるの見たことあるか?」
「え? いや、多分無い……かな?? そもそも泣いてるイメージが全然ないですね」
 突然の質問に首を大きく捻り、慌てて記憶の箱を引っ掻きまわす。そもそも人が泣いてるとこ自体があんま見ないけど、特に桜備総隊長は普段から笑ったり怒ったり感情表現豊かな割に涙のイメージが全然無い。その点、冷静沈着な火縄副指令の方がまだ想像しやすい。ああ見えて、動物が死ぬ映画とか見るといいとこで涙ぐんでたりするし。
「俺も無かった」
「無かった、ってことは、見たってこと……ですか?」
「まぁな」
「えっ、なんの時ですか? なにが理由で?」
「俺が泣かせた」
「げ」
 思わず、上官の言葉に対する反応としては不適切な声と表情が漏れ出てしまった。
「泣いてるとこが見てみたくて泣かせて、それを見た時に、この先俺以外に泣かされるようなことがあったらソイツを俺が殺すと決めた」
 正直俺には理解しがたい感覚だが、この人が言うと妙に説得力がある。本当に殺しそうだし。
 将来的に出るかもしれない被害者を哀れに思ってゲンナリとした顔をしていると、新門総指揮が右腕を持ち上げて片肌脱ぎながら、突然話を変えた。
「シンラ、お前もう酒呑める齢だよな?」
「まぁ、一応は……」
「お前のことを弟子だと思ったことはねェんだが、事実だけみればそうなっちまう。俺はそれが嫌なんだよ」
 ほれ、と雑に渡された杯を、慌てて両手の平を差し出し受け止める。何がしたいのか、意味を理解した俺の内心では、緊張に心臓が跳ね始めていた。かつて、杯を交わすその場にも、そこに至るまでにも居合わせた。小さな杯でもずしりと重みを感じる。俺は縁側の外にぶら下げていた足を引き上げ、新門総指揮の方を向いて居住いを正した。
「……さっきの話だが、血の繋がりがある家族が欲しいと思ったことが、まったく無いって言ったら嘘になるかも知れねェな」
 新門総指揮が、大きな酒瓶を膝の上に抱え、蓋を捻り開けながら言った。
「ただ、今の世じゃ大事なのは血よりも魂だろ。姿形を作るのが血だとしたら、もっと芯の部分を作ってんのが魂だ」
 淡々とした調子で話しながらも動き続ける手で、俺が両手で差し出した杯にトクトクと透明な液体が注がれていく。縁側に差し込む太陽の光を反射して、黄色っぽい水面がキラキラと輝いて見える。新門総指揮が胡座をかきなおして俺の方に体を向ける。正面で向き合うと、両方の赤い目の色もハッキリと、炸裂した花火みたいに輝いて見えた。
 スッとこちらに差し出された杯に、俺も手の震えを必死に押さえながら応える。
「だから、俺の血が誰にも繋がらなくても、俺の魂はお前が代わりに未来に持ってけ」
 そう言って微笑むと、杯に口をつけ一気に中身を煽った。俺も慌てて真似をし、陶器でできた杯に口をつけた。が、飲んでしまってから思ったけど、日本酒を飲むのは人生で初めてだ。うまいまずいの次元じゃない。それに、これはただの酒じゃなくて人類最強の男の魂の欠片が入っている。火の玉を飲まされたようなしんどさだった。それでも、言われた返事はしなければと喉の違和感に堪え、できるだけ真面目な顔をつくる。
「……はい。了解です」
 俺の返事を聞いた新門総指揮は、なんでこうなるのか未だに分からない酔った時の妙な笑顔で頷いた。それから突然その場でスクッと立ち上がると、一度遠くの方に目線をやってから、頭を斜めに傾けて俺を見下ろした。
「……桜備とも、その内別の杯を交わすことになる。三献の儀は本当は神様の前でやるもんだが、生憎浅草(ここ)には決まった神様がいねェからな」
「さんこん?」
「だから、そん時はお前が立ち会え。森羅…万象マン。曲がりなりにも神様なんだろ」
「いや、だから! 俺は神様じゃないって、いっってぇ!!!?」
「オラ、おしゃべりは終いだ。まさか茶と酒だけ飲んで帰れると思ってねェだろうな?」
 突然の背中への衝撃の後、頭上から明るい声色で不穏な言葉が振ってきた。縁側から蹴りでど突き落とされた俺は、手の平と頬で感じた土の感触に、過去の辛い記憶が今から上塗りされる恐怖の予感がした。


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シンラクサカベは受け入れられない 6
続・焚き火の夜
※事後



 事が始まってから終わるまで、焚火の炎は二人の熱の盛り上がりに寄り添うように明々と燃え続けていた。その炎の前に座り怠い表情でゆっくりと着衣を直す桜備の横で、紅丸は一応話が済むまではとさっきは我慢していたらしい酒を手にさっさと一人破顔している。
「しかし、途中で誰も来なくてよかったですね」
 炎を見つめながら投げやりに言った桜備のその言葉は皮肉だった。が、皮肉を言った相手には伝わらない。
「さすがに、今日の今日で出歯亀するやつぁいねェだろ」
 そう言った紅丸は、最後にくく、と喉を鳴らし上機嫌に笑う。欲と本能に任せているようでそれなりに計算高く物事を考えているところが、聞いていた桜備の勘に触った。つい、不満を明け透けにした低い声で文句のひとつもいいたくなる。
「そもそも、こっちの言うことなんでも聞くって約束も守ってないですよね」
「あぁ? ちゃんと守っただろうが」
 すかさず否定が返ってくるが、桜備の方に聞く耳はなかった。
 少なくとも2つ、せめてテントまで移動したいと言ったはずが最後まで野外で片付き、挿れるなら避妊具をつけろという要望も黙殺された。その他、言った以上のこともされたし、言ってないこともされた。
「文句あんなら言ってみろよ。それとも、他に何かお望みだってんなら聞くぜ?」
 半眼で睨む桜備に、紅丸が前髪をかきあげ目線を返しながら挑発的な物言いをぶつける。少しの無言の間を埋めるように、焚火がパチパチと木の爆ぜる音をたてていた。
「じゃあ………………結婚してくださいよ」
 長い間を置いた後、桜備は火の燃える音にギリギリかき消されないくらいの声量で呟いた。その要望を聞いて一瞬で酔いが覚めたのか、紅丸の顔が笑顔から真顔に戻る。
「なんだって?」
「結婚。法的な契約婚。半分はもう、シンラのためですけど。手っ取り早いじゃないですか。喧嘩するよか本気度も伝わるし」
「お前ェ、ヤクザもんの、しかも頭との結婚がどんだけ面倒か考えたことねェだろ」
 今の世においては浅草界隈も言うほどヤクザ者ではないのだが、その辺りは立場というよりは思想の問題なので口を挟むべきではないと桜備も心得ていた。代わりに別の反論を、相手の睨みを凌駕する勢いで返す。
「どう考えても、このままズルズル続ける方がめんどくさいでしょうが!」
「なっ……こっちの気も知らねェで…そもそも半分シンラのためってのがどういう了見だよ」
「シンラに限らず、いつも説明に困るんですよ! いい歳した大人が中途半端な関係ダラダラ続けてるの、嫌にもなるっての!」
「それだって、この先てめェが色々とやりにくくならないためだろうがっ!」
 言葉の勢いに合わせて反射的に首元に伸びてきた紅丸の手を躱して払いのけた桜備は、カウンターで突き出した拳で相手の胸倉を掴み、自分の方へと引き寄せた。額同士がぶつかる直前で止め、互いの眉間の皺を突き合わせ、瞳孔の開いた赤い目と睨み合う。
「へ~、俺のため。それは初めて聞いたな。天下御免の新門紅丸にそんな殊勝な考えが生まれるとは」
「殊更お前ェを担ぎ上げるつもりもないが、別に邪魔してやりたいとも思わねェからな」
「そもそも、あんたどうなったって止めるつもりも手放す気もないだろ?! こっちだってね、愛されてる自信はなくても、愛してる自信なら十分にありますから! 俺が根を上げるの待ちだって言うなら、待つ時間が無駄になりますよ。俺も、どうせこの先手放す気なんてない、ん、で……」
 勢いづいてヒートアップし語気を荒げながらも、途中から相手の反応が無くなっているのに桜備も違和感を覚えていた。そして、ふと、掴んだ胸倉の上のそっぽを向いて黙りこくっている顔を見て言葉を失った。
 どの言葉がクリティカルヒットしたのかは皆目見当つかないが、口元を手の甲で押さえて何も言えなくなるほどに、見えている部分の肌が炎の色以上に赤くなるほどに照れさせてしまったらしい。
 桜備は、ああもう、と悔しさを噛みしめ一度天を仰いでから、胸倉を掴んでいた手を離し、その手で口元を押さえている紅丸の手を掴み退かした。それから、何か言おうと開きかけた口を黙らせるように唇を重ね、不毛な会話を終わらせた。


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シンラクサカベは受け入れられない 5



 桜備総隊長が朝からずっと露骨に俺を見ている。遠征先でのアレについて話をしたいんだろうと勘づいてしまうと、俺の方からは声を掛け辛い。気づいていない振りをしつつ、部屋の入口の陰でウロウロしている巨体をチラチラ横目で確認するだけに留めていた。すると、その更に後ろから火縄副指令の姿が現れたのも見えて、俺はつい慌ててしまった。
 ああっ、ほら、後ろから火縄副指令が来てますよ。またサボってるって怒られる――
 が、俺の心配とは裏腹に、火縄副指令は総隊長に背後から話しかけて一言二言だけ会話をすると、すぐに俺のデスクの方へと真っ直ぐに歩いてきた。
「シンラ。お前キャッチボールはできるか?」
「は?」



 思った通り、火縄副指令のボールコントロールは完璧だった。俺が一切動かずとも倉庫から引っ張り出してきた使い古しのミットに球が自然と吸い込まれていくのを見て、素直に感動した。
「なんだ、普通にうまいじゃないか」
 俺が投げ返したボールを数回受けたところで、副指令が感心した様子でそう言った。 
「まぁ、ベースボールは俺らが子供の時はあんま流行ってなかったけど、学校の授業とかで一通りやらされたんで。それより、火縄副指令がキャッチボールする方が意外ですよ」
 ボールを投げながら会話を続ける。間に10mくらいの距離はあるが、騒々しい現場でも通るような声の出し方はお互いに心得ている。
「20年以上ぶりだ。幼い頃に父親と休みの日によくキャッチボールをしていたんだが、久しぶりでも意外とできるもんだな」
「へぇ。でも、副指令のこども時代か……」
 想像して、つい頬が緩む。イメージ的には再会した頃のショウに似ていて、それでやっぱり眼鏡だし、どちらかというと家の中とか図書館にいそうで、友達と公園で遊んでる姿はあまり想像できない。
「父は、俺に似て不器用な人間だった。親子のコミュニケーションの仕方も、教科書で学ぶかのように有り体の型を試すしかなかったんだろう」
 公園で父親とキャッチボールか。母さんは寂しさなんて感じさせないくらい愛してくれたけど、憧れないのはやっぱり無理だった。そういえば、まだ赤ん坊だったショウに「大きくなったら一緒にキャッチボールしような」と話しかけたこともあったような。
「……でも、それだけ副指令のお父さんも頑張ってくれてたってことですよね」
「まあな。正直ウザいと思うこともあったが、今なら父の苦労もよく分かる。……あの頃の父の年齢は、もうとうに追い越してるんだ」
 副指令の投げたボールの軌道が、中心からわずかにズレた。頭より先に、目と手がそれを追う。すかさず腕を伸ばして捕球し元の位置に戻ると、副指令が「休憩しよう」とグローブを外しながら俺の方へと歩み寄ってきていた。そのまま傍にあるベンチに二人並んで座り一息つくと、すぐに話の続きが始まった。
「俺の家は父子家庭だったんだ。男手一つで育ててくれた父も俺が第8に入隊する直前に病気で亡くなった。それでいつだったか……俺が高校生になったばかりくらいの時に、父の再婚話が持ち上がったことがあった。職場の上司からの紹介で、なかば見合いのようなものだったらしい」
「ショックでしたか?」
「どうだろうな。ショックだったのかも知れん。態度に出していたつもりはないが、しばらくして破談になった結末を思えば、父本人には動揺がバレていたのかもな」
 そこで言葉を切ると、被っていたキャップを外し脇に置いた。汗で湿った髪を指で軽くほどく動作の後、後頭部に手を置いたまま数秒停止してから、また口を開く。
「俺も一度だけ顔を合わせたが、聡明そうで綺麗な女性だった。彼女と再婚していれば、あるいは父の余生ももっと幸せだったのか……」
 語尾を濁したまま眼鏡を指で押し上げた火縄副指令の横顔を見る。相変わらず表情筋はピクリとも動いていなかったが、茶色い瞳は少しだけ揺れていた。
「あの……桜備総隊長に頼まれたんですよね? 俺と話してくれって」
「ああ。というより、俺が代わりに話を聞いてもいいかと進言したんだ。シンラと話すにしても俺の方がまだマシだと思ってな」
「マシ?」
「片親がいない立場、その片親を亡くす立場をどちらも一応は経験している。……無論、まだマシ、という程度の差ではあるがな。相談に乗っておいてなんだが、他人の感情の機微に疎い自覚はあるんだ」
「そんなことないですよ。火縄副司令は人の気持ちに寄り添える人だ。そもそも、そうじゃなきゃ第8になんて入らないでしょ」
「なんて、か。違いないな」
 フッ、と、口元にささやかな笑みが浮かぶ。今日初めてかもしれない火縄副指令の笑顔だった。
 思えば、火縄副指令から家族の話を聞くのは初めてだ。こんなカードまで切らせてしまった原因が自分にあると思うと、罪悪感で胸が痛い。
「実は、ちょっとモヤモヤしてることがあって。聞いてもらってもいいですか?」
「……相手が俺で構わないなら」
「俺、この前あのお二人の関係を知って……はじめてインカの気持ちが分かっちゃったんです」
 これは、この前アイリスに会った時にはすでに思っていたことだけど、到底彼女に相談できる内容じゃなかったから黙っていた。誰かに言うこともないだろうと思っていたその考えは、いざ口に出してみると余計に嫌な気分になった。
「アイツが言う「この星を救った英雄の子供が欲しい」ってワガママ……俺も似たようなこと考えてたのかも知れないって」
「…………インカに桜備総隊長の子どもを産んで欲しいのか?」
「いや! 違いますよ! なんでそうなるんですか?! つーかそれは絶対に嫌です!!! ……そうじゃなくて、相手は誰でも…インカじゃなきゃ誰でもいいんですけどね。ただ、女性と結婚して子ども産んでって、普通にそうなるもんだと思ってたから、そうならないのかって思ったら……おれが一番ショック受けてるの“ソコ”なのかもなって。桜備総隊長もですけど、新門総指揮も……」
「優秀な遺伝子を後世に残したいと考えるのは、動物としては自然な思考回路とも言えないか」
「だとしても、こんなの人類の未来なんて関係ない、俺の個人的なエゴですよ。子供を産んで欲しかっただなんて」
 俺がぐしゃぐしゃと両手で頭を掻きながら下を向く一方、火縄副指令はスッと顎を持ちあげ、視線を上に向けた。俺もつられて顔を上げる。今いる裏庭のベンチから見て丁度目の先にあるのは、英雄隊本部であり元第8特殊消防教会の一番高い鉄塔、の裏側だ。
「……「あなたはこの城の王であり隊の父にもなる」。第8を結成して間もない、まだ“桜備大隊長”だった頃に、そう話をしたことがある。しかし、今思えば不思議なんだ。なぜあの時に彼を“父”と言ったのか。父親を失ったばかりの自分が、感傷や希望の甘さに浸り二人の面影を重ねたのか。自らの家族を求める思いがつい口を出たのか……」
「でも、俺も総隊長に対して思ったことありますよ。父親がいたらこんな感じかなーとか」
「だが、そもそも俺の父はどちらかと言えば気弱なタイプで、優しくはあってもリーダーシップや大黒柱という言葉とは無縁だった。だから、自分の親に重ねたというよりは、何にも関係なく、ただあの人に“そう思わされた”んだろうな」
「人類の父か…」
 西に傾きつつある太陽の光を反射し輝く鉄塔を眺めながら、頭に浮かんだ言葉をポツリと呟いてみた。それはあまりにも正しい呼称で、だからこそ虚しく空回りしている響きがあった。
「今の話だが、どうせなら直接伝えてみるといい。あの2人のことだ。すでに、よほど簡単な解決策を考えているかも知れない」
「え~……ご本人たちにですか? それはさすがに……」
「救って欲しい。救われて欲しい。こうあってほしい――そういう身勝手なエゴを受けとめられるのもひとつの強さだ」
 副指令は及び腰になっている俺をハキハキとした口調でそう諭すと、キャップを被り直して「続きをやるか」とベンチを立った。相談の口実と思いきや意外と楽しんでいたらしいと分かった俺は「次、カーブ投げていいですか?」と聞きながら腰を浮かせ、かけ足で後を追った。



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江戸之華
浅草町民目線、エピローグ前のどこか


 火消しになれば、いの一番に火事場に出向ける。炎そのものはもちろん、人や家が焼ける時にどんな風に色が変わっていくのかも間近で見られる。業火の迫力と絢爛さをこの身で知れば、描く絵も自然と動き出す。
 本物の火事場を描きたい。だから火消しをやりたいのだ。そんなことを言えば余所じゃ狂人扱いだが、ここ浅草に流れ着いてからは「役に立つんなら好きにしろ」と万事受け入れてもらっている。
 俺が入った後に途中から皇国の犬になったのは気にくわないものの、浅草流の景気の良い燃やしっぷりは最高だ。焔人のおかげで、この世で一番美しい光景が次から次へと湧いてくるんだから、腕がいくらあっても描き足りない。
「あんたうまいんだから、どうせ描くなら紅丸ちゃん描いてよ」
 ガキンチョからババァまで、女どもは口先揃えてそう催促してきやがる。
 そりゃぁ、紅丸に似寄った美丈夫を浮世絵にすれば瞬く間に売れて金にはなるさ。ただ、金になるってだけだ。アイツの火消しとしての力量はともかく、画題にするには及ばない、まだ深みも色気も足りないケツの青いガキだ。
 そう思ってたってのに、それがどうして、最近妙な色がのってきやがった。
「若もいよいよ腹括ったからな。頭としての自覚が出てきたんじゃねェか?」
 紺炉に尋ねて返って来たのは到底納得できない説明だった。馬鹿を言うな。男として固まったんじゃなくて、ありゃむしろ溶け切ってんだよ。


 あの紅丸が惚れた相手だ。さて、どこのお嬢か花魁か。空っぽの財布をはたいて聞き込みをしてみたものの、とんとさっぱり、皆揃って心当たりなどないと首を横に振る。それでも、花街でちっとばかし気になる噂は耳にした。
「そういえば、第八の大隊長さん今週は来てないの?」
 どうやら最近、紅丸の馴染みの茶屋に皇国の消防官が時折出入りしているらしい。前に浅草にやってきて騒ぎを起こした第八連中で、その中でも一番お偉いさんの大男だ。
 身内には話しにくいことも、余所者相手じゃかえって口が滑るなんてのはよくある話。あの男に聞けば何かしら分かるかも知れない。
 そうして、俺は暇さえあればあの男を探し回った。記憶では原告の血が濃い見た目をしていたから浅草にいても違和感はないだろうが、あの人並外れた長尺はさすがに目立つはずだ。


 期待したものの空振り続きで諦めかけてた時分の、小雨降りしきる夜半のことだ。呑み屋の帰り道に、町外れの橋の上にそれらしき影を見た。すかさず走り寄ろうと思ったが、隣にもうひとつ別の影があるのに気づいて、咄嗟に川沿いの柳の陰に身を隠した。
 夜更けにくわえて生憎の雨とくれば人通りはない。一本の番傘の下に二人、赤い太鼓橋の丁度まんなか辺で足を止め、欄干から川を眺めている。少しすると、紅丸の手が傘の柄を持つ男の手へと伸び、強引に引っ張るでもなく手の甲辺りにそっと触れた。斜めに傾いた傘の下で見つめ合う二人は、絵師の自分が嫉妬しそうなほどに完璧な構図のまま、ゆっくりと顔を寄せ合った。惚れ惚れするような光景だった。
 静かな雨の夜。それでも確かにあの時あの場所は燃えていた。ちゃちな物言いにはなるが、恋の炎が燃えているのを見た。あのスカしたガキが蝋燭みたいに溶かされて、いとしいいとしいと表情だけで泣き叫ぶ様を見た。
 水揚げしたばかりの遊女が放つ、饐えた甘さに似ている。蛹が蝶になる瞬間は、どうしてこうも美しい。真白な繭にはもう戻れない絶望の香りは、何故人を狂わせる。
 そっからはもう、夢中だった。火事がしばらく起こらなかったのか、それとも部屋に籠っていたせいで気が付かなかったのかは分からないが、外へは一歩も出ずにひたすら描き続けた。紅丸の火ならこれまでに何遍も見てきたから、その激しさも派手さも頭ん中にある。そこへさらに、恋の炎の色がのった。
 炎はあくまでも見るもん描くもんだと思ってた俺が、まさかの初めて思ったよ。お前の炎に焼かれたいって。


「おい、火元はどこだ?」
「徳兵衛んとこだ! ヤゲン通りの西っ側にある長屋で突然火が上がったらしい。アイツぁ独り身だから、恐らく焔人になったのも本人だろう」
「そうか………」
 宙へと放り投げられた纏達が、一斉に炎を纏う。場所は近い。一本の纏に乗った紅丸は、紺炉が言っていた長屋の裏手まで一挙に飛び、燃え上がる焔人の背後へと降り立った。
 着地の物音に反応して振り返った焔人は、紅丸を見ると、あ、ぁあ……と言葉にならない呻き声をあげながら近づいてきた。
「お前ェ、火事が出るたんびに、こっちの気も知らずにやんややんやと喜びやがってよ。纏よりも先に筆とるような野郎が、最後にはこの有様とは情けねえなぁ」
 紅丸は焔人の炎には一切臆せず、近づいてくるのに任せその場に立ち続けた。焔人の辛うじて光を残した目が、ギョロリと眼球を回転させて紅丸を見る。前方に伸ばされた黒い腕が紅丸に向かう。指先が顔に触れるまであと三寸、あと一寸――
「べに、おまえのほの…お……きれいにな…た、な」
「……見世物じゃねェんだ。いくらきれいになっても、痛ェのは変わんねェぞ」
 すまねェが我慢しろ、と詫びるのとほぼ同時に、炎を纏った腕が黒く焦げた体の中央を貫いた。


「これ、机の上にあったから最後に描いてたやつでしょうかね。ちょっと焦げてるし……」
 徳兵衛の部屋から出てきた新平太は、下絵の描かれた一枚の和紙を手にしていた。それを紅丸が一瞬目に入れようというタイミングで、到着したばかりの紺炉が横から取りあげた。
「どれどれ。こりゃ、弁慶と牛若か……相変わらず、背景は火の海だな。しかし、この牛若…もしかして紅か? でも、だとしたらこっちの弁慶は――って、なにすんですか?!」
「遊んでねェで、さっさと片づけろ」
 手の中で灰になった和紙の残骸が地面に舞い落ちるのを見ながら、紺炉がため息を吐く。
「あーあ、折角の徳兵衛の遺作だってのに」
 焜炉の窘めるような視線を二本揃えた指先で払いのけた紅丸は、片肌脱ぎになっていた着物を整え、先ほど燃やした男の灰が積もる地面に目をやった。
「本人が最期に言ってた気がすんだよ。俺に全部焼いて欲しいってな」


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シンラクサカベは受け入れられない 4
森アイのターン



「アーサーが言うには『救出イベントに成功してるんだから当然の結果』だって。なんだよそれ。そもそもあの時助けにいったの俺たちが先じゃんか」
 歩行者天国の賑やかな通りに面したオープンカフェ。パラソルの影の下で、透明なグラスに入ったアイスコーヒーを啜った後にストローを噛む。丸いテーブルを挟んだ向かいの席で、俺のぼやきを聞いたアイリスが不思議そうに首を傾げた。
「でも、シンラさんは本当に気づいてなかったんですか? ちっとも?」
「それは――」
 アイリスの指摘は鋭く、俺の後ろめたさを的確に刺した。
 実のところ、明言こそしないまでも隠す気もさほど無かったのだろう二人の行動には、オグンに聞かされる以前から俺も引っかかっていた。総隊長は帰る機会のそう多くない自宅を更新のタイミングで浅草の方に移したし、滅多なことでは浅草から外に出たがらなかった新門総指揮を元第8の詰所でちょくちょく見かけるようになっていたし。あとは、部下相手にでも割と丁寧に接する総隊長が指先だけで指揮官を呼びよせたり、総隊長が若い隊員に囲まれてる時の指揮官の顔がやたら不機嫌そうだったり。
 思い当たる節を脳内で並べてみると、それなりにある。やっぱり、気づいてなかったというよりは……
「気づかないふりしてた……の方が正しいかも知れないですね」
「正直、私は紅丸さんのことあまり良く知らないんです。前の世界の時もシスターの身では浅草に行きづらくて、あまりお話しする機会も無かったですし。でも、シンラさんやアーサーさん、タマキさんからお話を聞いてると、それだけでいい人だって分かりますよ」
「もちろん、俺にとってはどっちも憧れの存在なのは間違いないんですけど。あまりに意外というか……」
「私も、桜備さんは姉さんみたいに強くてきれいな女の人と結婚するのかなーって勝手に想像したりしたことはあります。でも、それも勝手な想像ですもんね」
「そうですね……意外ではあるけど、他人がどうこういうことじゃないっていうのは分かります」
「じゃあ~……あ、女性関係にだらしないとか? 人気メンさんですし、原国は一夫多妻制もわりとふつうだったって聞いたことがありますけど」
「いや、それも別に……」
 新門総指揮は、酒とギャンブルに関しては懸念点しかないものの、女性関係については意外なほどに身ぎれいだ。悪い噂を聞いたことがない反面、色っぽい噂も耳にしたことがない。とはいえタマキのスケベられも動じないまでもちゃんと見てはいたし、酒の席での猥談にケラケラ笑いながら乗っている姿も見たことがある。それでも、性格的にさして強い興味は無いのだと勝手に思っていた。
 こうしてアイリスと話していると、ますます分からなくなってきた。分からない、もう何が分からないのかが分からない状態だ。
「そんなに気にしなくていいんじゃないですか? 一時の気の迷いで、すぐに別れるかも知れないし」
 うーんと悩んでいるところに彼女の口からにしては意外な内容が出てきて、俺は動揺を隠そうとアイスコーヒーのグラスを大げさな動作でテーブルに戻した。
「でっ、も、責任が生まれるもんじゃないですか。付き合うってなったら」
「そうでしょうか? シンラさんが死を軽くしてくれたこの世界では、愛だってもっと自由になって良いんじゃないですか?」
 アイリスが細い首を後ろに逸らし、頭上を見上げる。つい真似して首を曲げると、ビニール製の白いパラソルの無骨な骨組みが目に入る。初夏の強い日差しは、目を射すほどではないがパラソル越しでもはっきりと感じられた。
「太陽と同じで、永遠に続くものなんてない。シンラさんと私だって、10年先、20年先まで一緒にいるかは分かりません。これから先、もっと好きになったり、やっぱり嫌いになったり……別の人を好きになったりするかも」
「そんなの、ありえないですよ?!」
 アイリスが最後に少し声をひそめて付け足した言葉を、俺は思わず椅子から立ち上がる勢いで否定した。
「ある“かも”っていう話です。でも、信じていたものがたとえ嘘だったとしても、それまでの自分が否定されるわけじゃない。そのことを教えてくれたのもシンラさんじゃないですか」
「まぁ……そんなもんですかね」
 好きな女の子に「いつか嫌いになるかも」なんて言われるのはそれなりに堪える。でも、アイリスの場合は嫌味のつもりなんてこれっぽっちもなくて、思ったことを本当にそのまま言っているだけだと分かるからまだ受け止められた。
 いや、そもそもだ。インカの話題よりはマシかと思ったけど、こんな話を聞かせられて気を悪くしていないだろうか。二人こうして顔を突き合わせて喋るのも随分久しぶりだ。にも関わらず俺はほぼほぼアイリスとは無関係な他人の恋愛話を続けている。俺が彼女だったらぶちギレてる――と思ったけど。
「……アイリス、なんか嬉しそう? じゃない?」
 俺の指摘に驚いたアイリスは、ハッと小さな口を丸く開き、手の平で押さえた。
「あれ? 私ってやっぱり分かりやすいですか? そうなんです。これまでは私の悩みをシンラさんに聞いてもらってばっかりだったから、こうして相談してくれるのが嬉しくて」
「悩みってほどのことでも……」
 今更になって、悩み相談の内容が男としてあまりにも情けない気がしてきた。でも同時に、聖女然とした彼女の笑顔を見ていて、ふと思いついたことがあった。
「……前に、フォイェンさんが言ってたんです。信じるモノがないと人は崩れてしまう、って。大隊長も総指揮もみんなに信じられる側の存在で、それが当たり前に思ってたけど……でもじゃあ、お二人は何を信じたらいいんだろうって……」
「もしかして、がんばって受け入れようとしてますか?」
「まあ、そりゃ……ガキみたいな駄々こねてもしょうがないし」
「……シンラさんは、やっぱり優しいですね」
 大好きです。と、アイスティーのストローを指先でつまんで、ニコ、と音が聞こえてきそうな丸みを帯びた笑顔を浮かべる。
 たとえシスターじゃなくなっても、彼女が自分にとって向日葵のような存在であることに変わりはない。光の方を見ているんじゃなくて、彼女の見ている先に光が生まれるのだ。
 そう思える相手がいるって、すごく幸せなことなのかも知れない。
 アイリスの風にそよぐ綺麗な前髪を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。


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シンラクサカベは受け入れられない 3



 慣れない土地での夜間移動は危険が多い。森羅発の予期せぬハプニングで足を止めた一隊は、結局日程の繰り上げはかなわずに当初の予定通り野営地で一晩とどまることになった。
「昼間の件、なんだかんだ楽しんでましたよね」
 横倒しになった木に腰掛けた桜備は、焚き火のすぐ前にしゃがみこむ紅丸の横顔に向かってそう声をかけた。
 迦具土神とまで称された男は、人体発火現象が収まった世でも炎に愛され続けている。今も、火の粉が肌にふりかかりそうな距離で平然としているし、手のひらをかざされた焚き火の火は常時よりも勢いよく燃え、まるで踊っているように見えた。
 桜備の問いかけに紅丸は少し間を置いてから、まあな、と口角を軽く上げた。
「はじめて第七(うち)に押しかけてきた時を思い出した。シンラもあん時は威勢が良かったのに、妙に懐かれちまっておもしろくなかったからな」
「だからって、せっかく負傷者ゼロで済みそうだったのに1人増やしてくれちゃって……」
「あいつが弱いのが悪い」
 きっぱりと言い切った紅丸に対して、桜備もそれ以上文句を言う気は無かった。代わりに昼間の妙に真剣な森羅の顔を思い出しながら目線を遠くに投げ、眉尻を下げた情けない顔で長いため息と独り言を吐く。
「しかし、シンラもなんかゴチャゴチャ言ってたけど、まあ、一番最初のが一番言いたかったことなんだろうなぁ……。なんで教えてくれなかったのか、かぁ。普通上官のプライベートな事情なんて知りたくないと思うんだけど。隠しごとされてたって思ったんなら、悪いことしたのかもな」
「そいつは本人に聞くしかねェだろ」
 ふいに立ち上がった紅丸は、大股で桜備のところまで歩み寄ってくると、目の前に立ちおもむろに右手を持ち上げた。
 伸ばされた手は、桜備の頬と耳たぶを掠めて首の裏に到達した。うなじを包み込み、剃りあげられた髪の毛のきわを確かめるように親指がゆっくりと動く。炎にかざしていた手のひらは、触れられた瞬間に分かるくらいに熱を帯びていた。その熱が伝播するように、桜備の顔にも熱が溜まってくる。炎の揺らめきを反射して滲んだ赤い目が視界に収まらない距離にまで近づいてきたところで、そっと目を閉じた。
 会話が途切れた静寂のなか、パチパチと薪が爆ぜる音が響く。角度を変えながら数度触れて離れてを繰り返したものの、紅丸の舌は薄く開かれた桜備の唇の内には入らず、下唇を横にひとなめだけすると顔ごと離れていった。それに気づいた桜備は、閉じていた目蓋を開いて素早く瞬きを繰り返しながら、拍子抜けした声をあげた。
「え? しないんですか?」
「ダメだ。犬っころの顔が浮かんで気が削がれる……」
 上の方へと視線を向けうんざりとした顔でそうぼやくと、ふいっと身を翻し、焚き火の傍へと戻っていく。その着物の裾を、桜備の手が慌てて掴み引き留めた。
「ちょっ、それはないでしょ」
「あァ?」
「いやだって、アレは煽られますよ、さすがに。別に疑ってたわけじゃないけど、本気で好かれ…や、その…あいされてる自信もないもんで」
 着物を掴んでいない方の手で口元を押さえゴニョゴニョと申し立てる伏し目がちな桜備の顔は、炎に照らされているせいだけではなく不自然に赤くなっていた。訴えている内容の気恥ずかしさのせいか、眉間には皺がよっている。振り返った体勢のまま見下ろし黙って聞いていた紅丸は、おもむろに右手を動かすと、その眉間の皺辺りを狙って指を弾いた。
 っだ!と、デコピンの痛みに桜備が声をあげ手を離す。自由になった着物の裾を捌いて振り返った紅丸は、桜備の短い前髪を掴んで無理矢理上を向かせた。強引な動作に、桜備もさすがに顔をしかめたが文句は言わなかった。
「聞き捨てならねェな。クソガキの件もそれが原因だろ。てめェが自信満々で愛されてれば、誰も文句なんか言わねェんだよ」
「さぁ~……どうでしょう」
「俺が人に指図されるのが死ぬほど嫌いなのは知ってるな?」
 紅丸の突然な質問に、冷や汗をかいている桜備は、無言で、掴まれた状態でも可能な範囲で縦に首を振った。
「唯一てめェだけだ、俺に上から物申していいのは。だから……なにをどうして欲しいのか、一から十まで全部言えばその通りにしてやるよ、総隊長殿」
 そう言って、長い前髪の下の目を細めてニマリと笑う。先にねだったのは桜備の方なのに、やっぱりもういい、などとは今さら言い出せない空気になっていた。


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シンラクサカベは受け入れられない 2




「新門“大隊長”!」
 意識より先に体が動いていた。発火能力を失った今でも、俺の体はラピッドのスピードを覚えているらしい。ここぞという時の高い集中力が必要だけど、筋肉の力だけでそれなりに速く動ける。脳も、脚も。
 動いた切欠は、遠く視線の先で新門総指揮の手が桜備総隊長の肩に触れるのが見えた時だ。多分。正直自分でも分からない。ただ、その次の瞬間には俺の体は二人の間に割り込んでいた。
「……あァ?」
 俺が突然現れたのもそうだけど、割り込むと同時に叫んだ名前を聞いて、その場にいた全員がなにやら違和感を覚えた顔をしていた。今は使われなくなった、口に馴染んだ新門総指揮のかつての呼び名が出てきたのも無意識だった。
「桜備総隊長と!お付き合いされてるって本当ですか?!!」
 俺が白目を剝いて荒野の果てまで響く声量で叫んだ質問に、一旦辺りが静まり、それからまず、チッ、と舌打ちが返ってきた。
「……だったらなんだってんだ」
 イラついてる顔でこっちを見ながら、俺に弾き飛ばされた右手の甲を摩っている。隙を突かれたのが気にくわないんだろう。俺からしても、意図的ではないとは言え一撃食らわせられたのはほとんど奇跡に近い。この人は、発火能力が無くなった世界でも最強の名をほしいままにしていて、能力のハンデが無くなった今でも実力差はほとんど変わっていない。それなのに、なんで俺は現在進行形で喧嘩を売ってるんだ?
「どうして、俺に教えてくれなかったんですか」
「どうしたもこうしたも、言う必要がねェからなァ。知ったらどうだってんだよ」
「そ、そもそも、なんでですか? お二人共、普通に女の人好きでしたよね?」
「べつに理由なんてねェよ。俺が惚れた時にはまだ売れ残ってたんだ。手ェ出して何が悪い」
「売れ残りって……じゃあ、総隊長のこと本気で好きってことですか?」
 俺がそう質問を重ねると、新門総指揮は顔の左半分だけを歪めて形相を変え、腰の刀を鞘ごと外して右手に持ち替えた。上半身の力が抜けて体が斜めに傾ぐ。どのタイミングでも瞬時に間合いを詰めてこられそうな、嫌な緊張感が漂い始めた。
「馬に蹴られて死にてェのか? 他人の喧嘩とこういうことには、いちいち首突っ込んでくるもんじゃ――……ねェだろ」
 先手必勝、と、稽古の癖もあってつい相手が喋っている途中で脚が出た。が、もちろんそのまま決まるわけもなく、最小限の動きだけで俺の回し蹴りはかわされた。
「新門総指揮のことは心から尊敬してます。けど! 正直コレに関しては全然信用できないです!」
「あァ? 希代のすけこましが何言ってやがる。女のケツ追っかけてフラフラフラフラしてる奴に文句言われる筋合いねェだろうが」
「なっ、そそ、そうですけど! それとこれとは別問題なんで!」
 淡々とした口撃と共に、ガンッガンッガンッ、と軽くはない勢いで右左からリズミカルに叩きつけられる鞘を、勢いに押されて徐々に後退しながらも辛うじていなす。危険を察知したのか、すでに俺たちの周囲に人は誰も居なくなっていて、一部の人は遠巻きにこっちを眺めているた。紺炉さんだけが、他よりもやや近い位置で心配そうな顔をしている。
「とにかく、俺はっ……俺は認めてませんから!」
「だから言ってんだろ。てめェに認めてもらう必要はこれっぽっちもねェ。何様だオイ? ちっと神様んなったからって調子乗ってんじゃねェぞオラ」
「何回も説明してますけど、おれは、神様じゃないんですって!」
「じゃあとっととくたばって仏になれや」
 ガンッ!とそれまでよりも強い力でぶつけられた鞘を右腕で受けるのと同時に、空いた脇腹を蹴られて吹っ飛ばされる。それでも咄嗟に受け身をとる程度の余裕はあって、すぐに体勢を立て直し、両手を前に出して構え直した。
「前に自分で言ってたじゃないですか。意思は戦って証明するもんだって。だったら、俺のことぶっ飛ばして認めさせてくださいよ」
 キッと眉間に力を込めて新門総指揮を見据えていても、内心では、なんでそんな啖呵を切ってしまったのか、この瞬間になっても俺は自分の心情をよく理解できていなかった。混乱と動揺に突き動かされた、ただの勢いだ。でも、撤回するにはもう遅すぎた。
「……喧嘩売ってきたのはそっちだ。腕の一本くらい叩き落とされてもわめくなよ」
 そう言うや、手にしていた刀を投げ捨て、肩に引っ掛けていた羽織も脱ぎ去る。顔の前に見慣れた手刀を構えたその瞬間、新門指揮官の呼吸の仕方が変わるのを感じた。命の呼吸だ。いや、命の呼吸を超えて一気に重量級の死の圧を感じる。冷や汗がドッと噴出して、口角が引きつっていく。ついさっきインカの巨大モンスターと対峙したよりもよっぽど激しく、本能が身の危険を訴えていた。
「おいシンラ」
「……はい」
 落ち着いた声色で呼びかけられ、乾いた喉に張り付きそうになった声をなんとか絞り出して返事をした。
「言っておくが、どれくらい本気なのか証明しろってんなら、お前を百万遍殺したところで足りねェからな。覚悟しろ……いや、後悔して死ね」





「……こういう時に言うセリフ教えましょうか?」
「ううん、別にいいよ」
「『お願い!私のために争わないで!』ですよ」
 いいって言ってんのにさぁ、と火縄の進言をため息で流してから、桜備は腕を組んだままゆっくりと天を仰いだ。空が青い。響く罵声も高く吸い込まれていく。この空が、そして世界全体が黒い炎に包まれた瞬間を、直前に絶命した桜備は知らない。自分の死が世界崩壊のトリガーになったという顛末を知ったのは再生した後になってだ。
「なんか平和って感じするなぁ」
 空に向かって呟いた桜備の独り言に、火縄が「まったくです」とこの男にしては珍しい、かすかに笑いを含んだ明るい声で応えた。


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シンラクサカベは受け入れられない 1
エピローグ軸紅備、シンラ視点


 世界を創り直したからといって、その世界で生きる人間の意思まで操れるわけじゃない。特に、自分が誰に好きになられるか、誰を好きになるかなんていう感情の面は、むしろ前より一層不可解になった。
「はぁ~あ、シンラが無駄にモテるせいで俺らまでとばっちりだよ」
「悪……くはねェよ。俺だって、別にモテたくてモテてるわけじゃないから」
 再三繰り返されてきた要求を今回も俺が撥ねつけた後、インカはいつもの通りその場から姿をくらました。後に残されたモンスターは「本当に俺のこと好きなのか?」と疑いたくなるくらいには狂暴凶悪で、俺たちは文字通りに命からがらの討伐戦を終えたばかりだ。
 母親しかり、女性に振り回される人生なのは前の世から続く定めなのかもしれない。だからと言って、オグンに愚痴られるほどの責任は俺には無いだろ。
 先遣隊として送られたそのまま前線を任され奮闘したアーサー含む俺ら三人(とエクスカリバー)は、地べたに座り込んで水分を補給しながら、疲れたー疲れたー、と緊張感から解き放たれた反動で中身の無い意味のない文句を吐きながら休んでいた。
 少ししてようやく息が整い出した頃、オグンが「そういえば」と遅れて合流した陣営の方をチラリと横目で示した。
「あっちこっちでくっつきすぎっていえば、あの人らもだよな」
「え? 誰の話?」
 オグンの意図が分からない俺は、素直に訊き返した。視線を辿っていった二十メートルほど先には、情報端末を持ったヴァルカンを囲んで立つ桜備総隊長、火縄副指令、新門総指揮、紺炉総指揮補佐の、合わせて5人の姿があった。決まったパートナーがいる人間も含まれているが、そこら辺はあえて含みを持たせるような話題じゃない。
「だーかーら、総隊長と総指揮。あの二人付き合ってんだろ」
 完全に油断していた。
 訊き返したあと水筒に口をつけていた俺は、予想外の答えに驚き、含んでいた分の水を一気に噴き出した。ついでに気管にも入ってしまい全身でせき込んでいると、隣にいたアーサーが眉をひそめ俺との間の距離を広げた。
「おいシンラ、汚いぞ。水くらい溢さずに飲め」
「だっ、て、おいオグン、それ冗談だとしてもさすがに笑えねえって」
「冗談じゃなくて、マジのマジ。それに、俺よりもアーサーの方が先に気づいたぜ。なぁ、アーサー」
「見てれば分かるだろ」
「こいつの言うことは信用できねェ。なに、なんか証拠あんのかよ。ただの噂話だったら承知しねェぞ」
「いやいや、なんでシンラがそんなキレてんの? 普通にこえーんだけど……。うーん、証拠ってもなぁ……あ! 俺この前ふたりがキスしてんの見かけたわ。たまたまだけど、野営のテント裏で」
「動かぬ証拠すぎんだろぉ?!」
 どうか何もあってくれるな、むしろただの噂話であれ、という祈りも通じずにさっさと出てきたオグンの証言に、俺は思わず手にしていた水筒を潰しながら頭を抱えた。
「……わけ分かんねえ。なにがどうなってそうなってんだよ」
「さぁ…俺も詳しくは知らないけど。でも、この世界がどうなるかわからねェのに悩む時間がもったいねェってさっきシンラが自分で言ってたじゃんか。そういうことだろ?」
「いや、悩むだろそこは!!」
 前言撤回は男らしくないと分かりつつも、反射的にオグンの言葉に噛みついてしまった。オグンは俺のリアクションのデカさに体をのけ反らせて引いている。
 俺自身、脳みそん中が混乱しているのが自分でも分かった。ずしりと重たくなった頭を下げてう~んと唸りながら、恐る恐る、さっきオグンが見ていた方に目をやる。それでも直視はできなくて、視線はフラフラと“その辺り“をさ迷った。
 見るからに他の人の話を聞いていそうにない、どこか遠くを見ている新門総指揮の横顔。その左隣にいる桜備総隊長は、俺たちの居る位置からだと背中しか見えなかった。
 ずっと見てきた背中。背負うものが<8>から<DEATH>に変わっても出会った時からまったく変わらない、広くて大きい、憧れの背中だ。

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桜々惚々α 事後電話



「あっ、若!やっと電話出てくれた。まだ屋敷ですかィ?みんな待ってますよ」
「あ~…もう行くから、待たせとけ。ちょうどよかった、紺炉、お前の着流し一枚貸りるぞ」
「は?? あぁ、桜備か。そっち探しに行ってくれたんですが、会えました?しかし、なんでまた?」
「あいつの服が破け…破いた……いや、破けた……?」
「?よく分からんですが、べつに構いませんよ。勝手に箪笥から持ってってください」
「それと、俺の部屋の柱が一本折れてっけど気にすんな。後で自分で直すから、とりあえずほっとけ」
「えぇぇ…なにしてんですかあんたら」

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なれそめSS(桜を彫りたい紅丸の話)を直しつつまとめました

「桜々惚々」https://mites787.sakura.ne.jp/enen/tenji...

タイトルは恍々惚々のもじりです
R18パートもその内書きます

+++

支部にも呼び水投稿しました
備受け自体が少ないな?と薄々気づいてきたかも知れない

SS

    
桜を彫りたい紅丸の話11
これで一旦おわりです


 先週まで雪が降っていたとは思えないあたたかい陽気が続き、東京でも桜の蕾が次々とほころび始めた。ずらり並んだ川沿いの桜も図ったかのように九分咲きとなった花見当日。桜備は、心地よい陽気のせいか人出も増えて賑わっている浅草町内を歩き回り、人を探していた。とはいえ、きょろきょろと酒屋や賭場の軒先に目を配りながらも足は検討のついている一か所へと真っ直ぐに向かっている。
 見慣れた暖簾を腕で押し、広々とした玄関に人の気配が無いのを確認すると、すぐに中庭へと回った。こちらも人の気配はないが、訓練のために広く空けられたスペースを囲むようにして植えられたたくさんの草木が風に揺れ、騒めきで桜備を迎え入れる。今日は白い雲ばかりが浮かぶ晴天だが、朝からずっと、湿気を含んだ生温かい南風が強く吹いている。
 強風に木々が騒めく音に混じって、桜備の頭上から低い声が振ってきた。
「よぉ」
 桜備程の体格があっても一抱えにするのは難しそうな太い桜の木。探されている男は、その桜の木が3つ股に分かれたうちの一本の枝の根元に腰かけていた。特段人の目から逃げていたつもりも無いのか、見つかっても特段あわてた様子はない。両足をブラブラと揺らしいつも通りの不機嫌そうな顔で地上を見下ろす紅丸の姿は、猿、もしくは天狗を思い起こさせた。
「あぁ、そんなところに。みんな探してますよ」
「…」
「体、元気になったみたいで良かったです」
「……」
「しかし、ここにも桜生えてたんですね。全然気づいてなかったなぁ」
「…………」
 目線は真っ直ぐに桜備を見下ろしているが、口はまったく開かない。桜備としてはほとんど道端の野良猫に話しかけるように気分で、呼びかけに返事がないのも気にせずに大きく声を張り続ける。
「桜といえば、タトゥーどこに入れるかっていうアレ。肩がいいんじゃないですか? 肩にタトゥー入れるのは<強さ>の象徴らしいですよ」
「……彫らねェよ」
「え?」
「俺ァ彫らねェんじゃなくて、彫れねェんだよ」
 ボソボソと呟いて最後、よっ、と言葉尻に合わせて勢いをつけ、枝から飛び上がる。妖怪か妖精のように見えても実際は人間だから、ふわりと柔らかく舞い降りるわけにはいかない。ドサッ、と数十キロの体が落ちた衝撃で、砂埃が舞う。紅丸が膝を伸ばして立ち上がる頃には、揺さぶられた枝から遅れて落ちてきた桜の花びらが二人の間をふわふわと舞っていた。
「この桜の木は、先代の先代が植えたもんらしい。ガキの頃は先代や紺炉に怒られそうになるとよくこの上に登って逃げた……すぐに叩き落されたけどな」
「だからか。多分ココじゃないかって教えてもらったんです。しかしそんな昔から……通りで立派な枝ぶりだ」
 腕を組み、長い年月をかけて成長しただろう太く高い桜の木を、感心した表情で見上げる。紅丸は桜の深い割れ目が無数に走る木の幹に背中を預けたまま、逸らされた太い首の中央を走る縫い目をジッと見つめていた。
「……昔、先代が色恋に関して俺に教えてくれたことってのがいっこだけあってな」
「へぇ。なんですか?」
「惚れた方が負けだ、だってよ。だから彫れねェ。認めることになる」
 片袖を抜いた右手が長い前髪をかき上げ、立てた指でぐしゃぐしゃと乱す。露わになったのは、眉根にきつく皺を寄せて桜備を睨みつける子供じみた悔しそうな顔で、感情表現としては言葉よりもよほど雄弁だった。
「勝つか負けるかってもんなら、俺が負けるわけにはいかねェだろ」
「でもその理屈でいったら、もう負けてませんかね?」
返事はない。代わりに、くるりと片足を軸に身を翻えし、桜の木に片手と額とを預けて寄りかかった。必然、桜備の方に背を向けることになり表情は読めなくなった。
「いいんですか、浅草の破壊王が負けっ放しで」
 あァ?と喉奥を擦るがなり声と共に顔だけ勢いよく振り返った紅丸に、桜備は特段怯むこともなく続ける。
「一回負けても、次で勝てばいいじゃないですか。前にそんな感じのこと言ってませんでした?」
「……それは博打の話だ。じゃあなんだ、次は何で勝ち負けつけりゃいいんだよ?」
 紅丸が不機嫌そうにな眉をいっそう歪め、挑発的に顎をしゃくる。それを受けて、桜備は顎を引いて一度目線を落としてから、伺うような視線を相手に投げ、声量をワントーン落として呟いた。
「……布団の中とか」
 当然、妙な間が生まれる。紅丸葉桜備の返事を聞いて思わず目を見開きかけたのをグッと堪えると、そのままさらに細め、嫌悪露わなうんざりとした顔をつくった。
「おい、なんだその犬のクソみてぇな誘い文句は」
「そこは別に、ただのクソでいいでしょ」
 妙な具合に歪んだ空気の中、桜の木から体を離した紅丸が、ザッザッ、と地下足袋で地面を蹴って桜備の目の前まで歩み寄る。ぶつかるまであと一歩のところで足を止めると、首をぐいっと上向きに逸らし、20cm上にある明らかに戸惑っている顔を見上げた。
「……ちょっとしゃがめ」
「へ?」
 グイ、とTシャツの襟首を掴んで引っ張る紅丸の手に対して、桜備はわずかに抵抗をしながらも腰を曲げた。抵抗したのは、起こり得る状況を咄嗟に予想したからだ。案の定顔の距離が一気に近くなり、紅丸の長い前髪が額に触れそうになったところで思わず固く目を瞑る。ただ、桜備の予想は外れ、顔がそれ以上に近づいてくることはなく、そして、予想していた顔ではなく頭に何かが触れる感覚があった。
「花ついてんぞ」
 二人の鼻先と鼻先の間に、紅丸が指先で摘まみとった桜の花びらを掲げた。目を開いた桜備は薄ピンク色の小さな花びらとその向こうにある紅丸のしたり顔のどちらにもうまくピントを合わせられずに、ぼんやりと状況を理解していった。
「あんたっ!……ん」
 揶揄われたのに気づき声を荒げようとした瞬間、熱くなった桜備に反して水が流れるように静かに紅丸の上体が動き、口で口を塞いだ。一度フェイントを掛けられたせいもあって、ただ唇の表面同士を触れ合わせるだけのキスでも、桜備の動揺は激しかった。ポロリ、と桜の花のひとつが枝を離れ、ヒラヒラと風に舞い地面に落ちるまで。その程度の時間だけ続いた柔らかい感触。その間ずっと瞬きもできないくらいに全身を硬直させていた桜備は、解放されるやいなや、屈めていた腰をさらに曲げてその場にうずくまった。
「もおぉぉ~~なんなんですかコレ」
 不満と動揺が混ざった唸り声をあげながら頭を股の間に入れ込むようにして小さくなり、首の裏まで真っ赤になっているのを隠すために両手で押さえる。紅丸は突っつかれたダンゴムシのように丸まった巨体を見下ろし、ハッと鼻で笑った。
「えらい初心だな。これなら余裕で勝てそうじゃねェか」
「別に、勝負もしてないし勝ちたいわけでもないし……」
「おら立て、部屋行くぞ。今なら花見の準備で連中みんな出払ってるから丁度良い」
「え、今って、今ですか?!」
「善は急げって言葉を知らねェのか。生娘じゃあるまいし心の準備なんて要らねェだろ」
 手首を掴んで歩き出した紅丸にひっぱられ、体勢を崩した桜備もつんのめりながらなんとか後に続く。
「ちょっ、でもっ、花見はいいんですか? みんな待ってますよ」
「どうせ夜中までやってんだ、後で顔出しゃいい。それに酒飲んで騒いでたら誰がいようがいまいが気にしちゃいねェよ」
 それはどうかなぁ、と疑問形の相槌を口の中で呟く桜備の脳裏には「早く戻ってくださいね」とBBQ用のトングをカチカチと鳴らしながら念を押してきた火縄の厳しい表情が浮かんでいた。
 靴を脱ぎ捨て縁側に上がり、庭に面した障子の開け放たれている一枚へと紅丸が迷いなく進む。起床して間もないのか、布団一式が人の抜け出たそのままの形で敷かれていた。二人よりも先に、強い風に乗って飛んできた桜の花がするりと和室の中に滑り込む。紅丸は5枚の花びらの形をきれいに保ったまま畳の上に落ちたそれを踵で踏みつけ中へと入ると、掴んだままだった桜備の手首を唐突に離し、自分より一回りは大きい体を軽々と蹴り飛ばし奥へと追いやった。布団の上に転がされた桜備は、咄嗟に受け身はとったものの尻餅をつき、衝撃に一瞬顔をしかめる。
「扱い、雑……っ」
 不満を訴えようと顔をあげ、目に入った光景に思わず息を呑む。薄暗い和室で仰ぎ見ると、外の光を背中から受けた紅丸の立ち姿は妙に大きく見えた。桜備を見下ろす左右非対称な瞳の赤色は、闇夜に点る非常灯のように煌々と輝いている。これは、危険を知らせる色だ。悩んでいてもしょうがない、いっそ一度壊してみてもいいかと、その判断は軽率だったかも知れない――
「今日は久しぶりにうまい酒が飲めそうだ」
 悠々と弧を描いた唇が溢した呟きを、いまだ強く吹いている風の音が掻き消す。紅丸が後ろ手に障子をゆっくりと閉め、昼の青空が隠れていく。細い隙間になり、そのまま完全に閉じ切るまで微かに見えていたその空には、今日の内にすべてを散り落とさんばかりの勢いで桜の雪が降っていた。




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桜を彫りたい紅丸の話10


 ビンッ、とレコードの針が飛んだ不快なノイズで、前日の紺炉との会話を振り返り隘路に行き詰まり掛けていた桜備の思考は途絶した。音が止まっても同じ速度で回り続けているレコードを止め、撥ね上がった針が曲がっていないかたしかめる。古いレコードの傷も原因だが、プレーヤー本体の調子も最近良くない。気分を変えるついでに修理を頼もうかと、同じ建物内にあるリヒトの研究室へと向かった。
「あれ、ヴァルカン?」
「あれ、総隊長? リヒトに用なら、トイレ行ってるだけだからすぐ戻るよ」
 目的の場所で思っていたのとは違う人物と顔を合わせ、お互いに軽い驚きの声をあげた。分野は微妙に違えど、職務上相談し合う機会も多い二人なので不思議はない。開発中の機械を弄っていた手を止めたヴァルカンを前にして、桜備は、ついつい目が行ってしまう綺麗に刈った頭や首、半袖のシャツから覗く二の腕に彫られたライン状のタトゥーを指差し尋ねた。
「そういや、ヴァルカンのタトゥーってなにか意味はあるのか?」
「意味? ま~無くはないけど、俺はどっちかっていうとファッション目的かな。なに、もしかして興味あんの?」
「興味ってほどでも……でも、ヴァルカンのタトゥーはかっこいいなとは前から思ってるよ」
「入れる時はあんま気にしてないけど、多少知ってはいるよ。たとえば、この二の腕のラインは戦士か、部族のリーダーとかが入れるやつ。あと、肩は強さの象徴とか……そうだ、シンラが入れた足首は<挑戦>かな。ただのファッションって言うには奥が深いよな」
「この腕のやつは、リサさんも同じの入れてなかったか?」
「あーそうだっけ? まあ、それこそそんな深い意味はないよ。リサが真似して入れたがっただけっつーか……」
 桜備の指摘に、ヴァルカンは頭を搔きながら目線を斜めに逸らし、ぎこちなくとぼけてみせる。その照れくさそうな顔を見て、桜備は口元を緩め無言で微笑んだ。
「そもそも、この辺のは元々俺が親父の真似して彫ったんだ。だから、家族の証みたいなもんかもな」
 ヴァルカンは、育ての親や肉親ではない、二番目の家族をつくったのが人並よりもかなり早い。その二人に注いできた愛情に嘘も裏もなく、だからこそ関係は障壁を乗り越え今なお円満に続いている。
 愛する人に真剣に向き合うという姿勢ではまちがいなく上級者だ。Dr.ジョヴァンニからリサを救い出したその時に傍らにいた桜備は、18歳の青年と思えないほどの愛の深さと覚悟を肌身で感じた。人を愛するのに、特別な技術はいらないし年齢も関係ない。たとえ老齢でも愛の深さも広さも知らない人間は世界が変わっても哀しいかな存在する。
「……ちょっと意地悪な質問だけど、リサさんに会ってどうしてすぐに家族として受け入れられたんだ? 全然知らない相手だろ?」
「理由かぁ。うーん、まあ事情を聞いて共感したのもあるけど……」
 顎に手を当てて悩み始めたヴァルカンは、さほど時間をかけずに答えにたどり着くと、ピン、と人差し指を立てて閃きを表現した。
「そもそも、俺がじいさんの孫、親父の子どもに生まれたのだってただの偶然だろ。でも2人が大切な家族なのは間違いない。ユウもリサも出会ったのは偶然で俺が選んだわけじゃないけど、お互い自然に助け合えたからそれで別にいいんだよ」
「そうか。一理あるな」
「それと、デカく意識が変わったのはジョヴァンニの件で壊れかかった後かな。機械はそもそも壊れないようにつくるのが一番だけど、人間関係はそう簡単にはいかないって俺も学んだし……。壊れるのは仕方ない。それを直したいって思えるかどうかが大事なんだと思うよ」
「なるほど。でも総隊長の場合むしろ壊すの専門の人が相手だから困っちゃいますね」
 ぬっ、といつのまにか部屋に戻っていたリヒトが二人の間に長身を割り込ませ、物知り顔で相槌を打つ。驚いた桜備は、あはははと暢気に笑うリヒトの白衣の襟を強引に引っ張り自らの傍に寄せた。
「なっ、んでお前が」
 動揺に肩を震わせ小声ながらも強い口調で詰問する桜備に対して、リヒトは顔色を変えずこともなげに返す。
「ジョーカーから聞きました。あの二人、いまだに結構仲いいんですよー。腐れ縁ってやつですね。あぁ、もちろんジョーカーは100%面白がってますけど、僕は真剣に応援してますよ」
「応援って……どっちのだ?」
「どっちでも。なにはともあれ平和に解決しますように、って。応援というよりは祈りですね」
 そう言うと、元の世界でも信心など持ち合わせていなかった男は、指先を合わせて祈りのポーズをとってみせた。横で二人の様子を見ていたヴァルカンは、仔細は分からないながらも雰囲気からあることに気づき、片方の眉を吊り上げ驚きの表情を浮かべた。
「え、もしかしてこれって総隊長の恋バナだったの? 俺、こういう勘が悪いんだよ」
「意外か?」
「そりゃ意外、いや、意外というか……なんだろうな。総隊長はみんなに愛されてるしみんなに平等に接してくれるじゃないすか。だからかな、誰かを特別扱いするっていうイメージがないんだ」
 自分の考えに納得して頷くヴァルカンの横で、リヒトもうんうんと顎を縦に揺らす。
「桜備総隊長は古のアドラー心理学でいうところの共同体感覚が非常に強い人ですからね。常人は諸々を飛び越えて社会や世界なんて曖昧なものを守るために命を懸けて戦ったりできません。だからヴァルカンくんのように身近な家族を大切にするところからスタートするのが普通です」
「俺にも育ての親はいるし、それこそ元第8のみんなも家族みたいなもんだぞ」
「それはもちろん。でも世界も変わったし、彼らも個としての幸せをドンドン追求してますからね。ちょうど子離れの時期なんじゃないですか?」
「おいおい、寂しいこと言うなよ」
「俺は総隊長のことずっと好きだけど……。でもなんであれ、総隊長が幸せになるってんなら誰も文句ないと思うよ」
「まあ、自分の好きにしたらいいってのは分かってるんだけどな……」
「現状の関係が居心地いいならなおさら、一度壊してみるのはアリな手かも知れませんよ。なにごとも試してみないと、待ってるだけじゃなんの結果も出ませんから」
「……リヒト、お前も応援してるんじゃなくて面白がってるよな?」
「ありゃっ、バレましたか」


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桜を彫りたい紅丸の話9



 休日の朝、ヴァルカンが以前に作ってくれたコーヒーメーカーが抽出してくれているのを待つ間に、桜備は一枚のレコードを探していた。
「お、あったあった」
 浅草で降る雪を眺めている時の会話に出てきた歌。棚の奥の方で埃を被っていたそのレコードは、桜備のコレクションの中でも他とは少し毛色が違っていた。ケースの埃を軽く落とし、円盤を取り出しプレーヤーにセットする。針を落とすと流れ出したのは、穏やかでゆったりとした旋律に、物悲しい歌詞。滅多に聞かないフォークソングも、少し肌寒い朝の空気に合っていて心地よかった。
 この歌で歌われている<東京>は自分が生まれた<東京>とも今住んでいる<東京>ともまったく違う世界だろうが、別れの切なさには共感できる。情緒など意に介さなそうだが、原国の文化が色濃く残る街で育った彼がどんな感想を持つのか興味があった。
 元第七のあの屋敷にレコードプレーヤーなんてありそうにないから、この部屋まで来てもらうのが手っ取り早いかも知れないな。たわむれな思いつきがレコードと一緒に頭の中を回る。
 たとえば、シンラやアーサーは桜備から見れば子どもか弟のようなものだ。部下でありヒーローであり神であり、一言では表せない複雑さはあれど、どちらかと言えば肉親に近い関係なのは間違いない。紅丸も年齢で言えばシンラ達に近いが、出会った当初から立場は対等で、子ども扱いが失礼になるほどに強靭さも背負うものの大きさも過剰だった。お互いに違う正義を生きているのは明白でも、肩を並べ手を取り合うに足る存在。中途半端だが、だからこそ稀有ではある。
 それが恋だと、まさか愛だと。
 疑いを捨て素直に向き合うのがこんなにも難しい事案は今までにあっただろうか。相手の気持ちも自分の気持ちも、どちらも易々とは信じられない。とはいえ、ないがしろにするつもりもないが――



「これ、お見舞いのメロンです。本人はいらないからヒカゲとヒナタにあげてくれって」
 紅丸の部屋を出た桜備は、土間にある台所で夕飯の支度をしている紺炉を見つけ、声をかけた。紺炉は包丁を動かしていた手を止め、笑顔で面を上げた。
「おぉ、悪いな折角持ってきてくれたのに。若もスイカは好きだよ。ウチの畑でも育ててるし。それに若の手刀スイカ割りは芸術だからなァ。夏になったら見に来るといい」
「芸術的スイカ割り……」
 想像し難しい言葉を反復し、首をひねる。その顔を見ていて何かに気がついた紺炉は、怪訝そうに眉をひそめた。
「おいおい総隊長、若に熱うつされたか? 顔真っ赤だぞ」
「もーそれ分かって言ってるでしょ? 人が悪いな……」
「ハハ、まぁな。でも、分かってんのにはぐらかすのだって良かァないだろ」
「っそんなつもりは……」
 ない、とも言い切れないせいで、嘘がつくのが得意ではない桜備の言葉尻はあからさまに濁る。その様子を見ていた紺炉は、ふぅ、と鼻から息を抜いてから眉尻を下げて微笑んだ。
「そっちの立場からすると突拍子もない傍惚れに思えるかも知れないけど、若もこういう勘に関しては悪くないんだ。ケツの青いガキの酔狂とも言い切れない」
「はぁ」
 桜備は曖昧な相槌を打ちながら、紺炉が伸ばしてきた手にメロンを渡した。
「俺もいまさらあんたのことを疑っちゃぁいないが、ああ見えて意気地がないし、意外に打たれ弱いところもあってね。ひどい女に遊ばれて捨てられるくらいならまだ慰めようもあるが、相手が桜備じゃ俺の手に負えそうにない。他にもっといい男はいる、なんて簡単には言えねェしな」
 受け取ったメロンを両手の中で転がして品定めながらそう言い、最後に困ったように微笑み肩をすくめる。
「しかしどうにも、腑に落ちないと言いますか。その……なんというか、モテるでしょう、新門総指揮は」
「そりゃあもう、女にも、それこそ男にもモテるよ。袖にされて泣いたり狂ったりしてる奴も数えきれないくらい見てきたが……まあ、そいつらの中に脳天ぶっ叩いて血ィ出させるようなのはいなかったのはたしかだ」
「その節は、ご迷惑をおかけしました」
「いや、むしろありがたかった。アレも若が頭んなる覚悟決めた切欠のひとつだ。まぁ…それ以上に妙な拗らせ方しちまったみたいだが……下手に口出す気はねェけど、嫌でも目に入っちまうからなぁ。俺としては、若が楽しそうならそれでいいよ」
 落ちくぼんだ眼窩の奧の目が、じっと桜備の顔を見つめる。微笑みの浮かんだ口元に比べると、眼光は冷たく鋭い。いまだ顔の中央に残る一文字の聖痕は一切歪んでいない。
「紅のこと、よろしく頼むな……盃を交わしているとは言え、万が一不義理で頭の面子を潰されるようなことになりゃ、こっちも黙ってるわけにいかないんでね」
 丹念に研がれた出刃包丁を握っていた紺炉の右手に力が込もり、ストン、と頭ほどもある大きなメロンを軽々と断つ。真っ二つに割れたメロンの片割れがゴロリとまな板の上を転がり、無数の種が並ぶむき出しのオレンジ色の中身が、新鮮な果汁を滴り落としながら桜備の方を向いた。
 そこんとこよろしく、と念を押す紺炉の声が暗い土間を這う。桜備はすぐには頷けずに、ゴクリと口内に溜まった唾を呑むにとどめた。


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原作エピローグ軸小話 桜備視点
隣にいると



 シンラが創り直し、世界は果てがどこかも分からないほどに広くなった。
「おお、ドラゴン……」
 今回初めて訪れた大陸を西に進み辿り着いた、360度巨大な岩と砂としか見えない乾燥した荒野。高台に陣取ったので見晴らしは良く、ひとつふたつ向こうの岩場の陰からあらわれ空を悠々と横切っていく動物にもすぐ気がついた。手の平で庇をつくって目を凝らし、そのファンタジックな存在を認識すると思わず感嘆が漏れる。
「えらいデカそうだな。しかし、鳥にしちゃ不格好だろ。よくあんな羽で飛べるもんだ」
 隣に立つ新門が、非対称な目を細めることもせずぼんやりとした表情のまま同じ方向を眺め、感心した様子で言う。
「まぁー、なんでもありですからね。羽なんてなくても飛んでるのいっぱいいるし……」
「アイツを狩って飼い慣らしたら移動が楽そうじゃねェか?」
 本気で算段をしているのか、腰に差した刀に預けた左手の指先が、トントン、と一定のリズムで(つか)の頭を叩いている。それを横目に見ながら、人に危害がないものには手は出さないでくれとか、そもそも一撃で殺さない方法を知っているのか?とか、言いたいことがいくつか頭に浮かぶ。
「そういえば、新門総指揮も発火能力が無くなって飛べなくなりましたね」
「今更だな」
「……能力が戻ったらいいのにな~とか、思うことあります?」
「べつに、思わねェよ。おかげで紺炉の灰病が治ったってのに」
 先遣隊の様子見のためにこの場を離れている男の名前が出て、柄を叩いていた指先の動きも止まる。「優しいですね」と素直な感想を漏らすと、照れ隠しなのか横目上目で睨まれた。
「それに、今でも本気出せば家二ツ分くらいは一足に跳べる。体の軽さで言えば前以上だ」
 ふふん、と口端をわずかに持ち上げ、珍しく得意げな表情を見せる。楽しそうで何よりだ、と思いながら空に目を戻すと、まったく知らない別の空のはずが、東京の、というよりも浅草の空と同じに感じるから不思議だった。


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桜を彫りたい紅丸の話8

 桜の花芽が膨らみ出し、朝着た上着を昼には脱ぎたくなるような日も増えて来た頃、新東京皇国に季節外れの雪が降った。
「え、高熱ですか? なにか感染症の疑いは?」
『念のため元第六のお医者さんにも診てもらったが、問題ないだろうってさ』
「なら良かった。どうせ大した会議じゃないんで、お二人とも欠席で大丈夫ですよ」
『そうさせてもらう。若は能力者の体質のせいか、昔っから熱が出やすくてね。心配するほどのもんじゃないよ』
 電話口の紺炉の声色には、本人の言葉通り深刻さはまったくなかった。電話を受けていた桜備は、最後に一言二言告げてから受話器を置くと、背後に控えていた火縄を振り返った。
「新門総指揮、今朝から熱出てて会議休むって」
「へぇ。病気の方から逃げ出しそうなのに、意外ですね」
「だよな。病気を追いかけ回していじめてそうなのに」
 火縄の感想に頷き同意しながらも、桜備の目はささめ雪が舞う窓の外を向いていた。心配そうな横顔を”心配そう”と認識できるのが火縄だからなのか、それとも誰の目から見ても明らかなのか、判断が微妙になる程度の表情だった。
「お見舞い、行ってきたらどうですか。どうせ大した会議じゃないですし」




「ろ……こん、ろ……みず」
 布団から片手を宙へと伸ばし呻く紅丸に、はい、と茶碗が差し出される。その、はい、の声の違和感に気づき薄っすらと目を開けた紅丸は、傍らにいるのが紺炉ではないことに驚き、氷枕も掛け布団もはね除けて上体を跳ね起こした。
「なっ……!」
「うわ、びっくりした。寝てていいですよ」
「吃驚したのはこっちの方だ。てめェ何しに来た」
「何ってそりゃ、お見舞いです。あ、メロン好きですか?」
「好きじゃねえェ……けど双子は喜ぶだろ」
 桜備が片手で掲げた本人の顔と同じくらいの大きさがあるメロンの球を睨み付けながら水を飲み、ノロノロと布団の中へと戻る。
「体調どうですか?」
「どうもこうもねェ。最悪だ。……そういやさっき寝てる時、つっても熱のせいで寝てるか起きてるかもよくわかんねえんだけどな。今のこれも、夢か現かわからねェ。まあとにかく、夢を見てた」
「また前みたいな実体感のある夢ですか」
「ねェよ。実体感も現実感もねェ。ガキの頃の夢なのに、お前も出てきたからな」
「へえ」
「ガキん頃の俺が、町の外れにあるがらくた置き場で能力の使い方間違ってうっかり炎上させちまう。そこを助けに来たのが皇国の消防隊様々ってわけだ。で、起きたら本人がいたもんだから、よけい吃驚したんだよ」
「なるほど」
「四方を火に囲まれて、熱い熱いって泣いてんのが情けなくって我ながらムカついた。熱のせいで見ちまった夢だな」
「ちなみにそれ、いくつぐらいの時ですか?」
「さあな。十かそこらじゃねェか? 先代も生きてたから、どんなに育ってても十三だ」
 あくまでも夢の話なのにまるで実際の思い出のように話すフワフワとした紅丸の説明を受け、桜備は、ふむ、と小首を傾げながら順に指を折った。
 現実感がないと言ったが、その頃の桜備はもう訓練校を卒業して一般消防官として入隊していたはずだ。あり得なくはない。が、もちろん桜備にそんな記憶はないし、そもそも紅丸が炎を怖がったことなど生まれて一度もないだろうから、そういう意味で現実感が無いのかもしれない。
「そういや聞きましたよ。タトゥー入れるって」
「紺炉か。あの馬鹿……」
「どこに入れるんですか? 腕?」
「まだ決めてねえ」
 不満げなドスの効いた声で返され桜備がたじろぐと、紅丸はおもむろに自らの足で掛け布団を撥ねのけた。そのまま両手を左右に伸ばし大の字になると、天井に向かって「選べ」と宙に放るような声で言った。
「選べ。好きなとこ」
「選べ、って言われても……」
 普段つけている黒い腹掛けもなく、寝乱れた浴衣の合わせ目からは首から腰までの素肌が三角形に覗いている。裸を見られるのにも見せるのにも抵抗が無い元第八の男性陣と違い、この男が必要もなく素肌を晒すのは稀だ。活動時間が夜に寄っているせいなのか生まれつきなのか、肌は不健康に青白く、そこに熱のせいでほんのりと赤みが差し、妙に人間らしい色になっている。
「布団、ちゃんとかけなさいよ」
 なんとなく見てはいけないようなものに思え、本人が剥がした布団を手早く元に戻す。気恥ずかしさから、子どもを嗜めるような口調になってしまった。
「そういや知ってます? 今朝から雪降ってるの」
 話題を変えようと声を張ってそう問いかけた桜備は、部屋の中央に敷かれた布団を回り込んで移動し、縁側の障子に手を掛けた。30センチほどの隙間から、薄っすらと白くなった庭と、チラチラと雪が舞う藍鼠色の空か覗く。雨と雪の境のような、氷の粒に近いみぞれ雪だ。
「すっかり春になったと思ってたってェのに。どうなってんだ」
「なごり雪ってやつですかね」
「なんだって?」
「なごり雪。こういう、季節外れに降る雪。俺はもともと歌の歌詞で知ったんですけど」
「……知らねェな。それよか、用がねェならとっとと帰れ。デカいのがいると気が散って寝れやしねェ」
 寝込んでいても減らない口にはいはい、と呆れ顔で返し障子を閉めようとした桜備は、中途半端なところで手を止めた。
「……どっちなんですか」
 言葉とは裏腹に、布団からはみ出した紅丸の手は桜備の服の裾をしかと掴んでいる。困惑する桜備が呟いたもっともな疑問に対しての返事はなく、そもそも言葉を発する気力すらもう無いのか、息ばかりが荒い。それでも、見下ろす桜備を見返す細まった双眸の眼光はやたらと鋭かった。
 参ったな、と悩まし気に片眉を歪め目を反らし、仕方なしに、障子の隙間からふたたび外を見る。ここに来るまでの道中にくらべると雪の勢いは幾分弱まり、ハラハラと落ちる白い欠片は花びらのようにも見えた。隙間に鼻先を少し近づけると、途端に冷たい風が吹き付けてくる。
 視線は移さずに、手だけを自分の腰あたりにさ迷わせた。掴まれている場所は服を引っ張られている感覚で大体分かる。だとしても、掴んでいる手を離させようとしたのか、それともただ触れたかったのか、桜備自身にも曖昧だった。そして、いざ触れた途端に感じた熱の高さにハッとし、ほんの一瞬で慌てて引っ込める。俺は一体何を――
 指先の行き場に困り、火傷した時のようについ耳たぶを擦る。発火能力を失ったはずの体がこんなにも熱いのは、高熱のせいだけなのか?
「……アレ、どんな歌だったかな」
 動揺を誤魔化そうという意識が働いたのか、思考は前の話題へと無理矢理に戻っていく。思い出せるのは曲名から始まる数フレーズだけだったが、試しに口ずさんでみると頭よりも口が先に動き出し、たどたどしい調子ながら恐らく合っているだろうメロディーラインを紡げた。
「まぁ、大災害より前の曲だから知らなくて当たりまえですよ。俺もたまたま見つけた古いレコードで――」
 話しかけながら振り返り、いつの間にか目を閉じていた顔を見て口を止める。裾を掴んでいた手の力も完全に抜け、布団から飛び出したまま畳の上にぐたりと落ちていた。自由に動けるようになったもののすぐに立ち上がる気にはなれず、部屋の主の心地よさそうとは言い難い寝顔を眺める。
 あの夜の引き留めに応じても応じなくても、多分結果は変わらなかっただろう。態度や言葉で表せるような、そんな感情はもうとうに越えている。ような気がする。
 うなじを撫ぜる風は冷たいのに、顔はどんどん熱くなっているのを感じる。咲いた桜を眺めるのではなく、咲く寸前の蕾を見守っている時に近い感覚。随分と久しぶりに覚えたときめきとしか表現しようのない期待と高揚感に、自然と鼓動が速まる。
「……悪くないな」
 今春が来て、そして唐突に溢れそうになった感情を持て余し、その一言を呟くので精いっぱいだった。


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桜を彫りたい紅丸の話7


 ――危なかった。
 紺炉が出て行った後、部屋で一人になった桜備は机に両肘をついて項垂れ、安堵の息を吐いた。
 恐らく、あの世話人は自らの主人の奇行にも、その原因にも気づいている。
 人並の恋愛経験を有し、惚れる方と惚れられる方どちらの立場も経験がある桜備にとってみても、紅丸の態度はあからさまだった。立場や年齢や性別や、否定するための要素をすべて無意味と取り去ってしまえば、それはあまりにも明らかだ。無意味と取り去った方が話が早い、そういう規格外の相手でもある。
 ただでさえ、新門紅丸という男は人の好き嫌いが分かりやすい。嫌いな人間は徹底的に嫌いだし、好きな人間はあっさりと懐に迎え入れ等しく愛する。
 等しく愛されている内の一人。そうだったはずが、どこで、いつのまに変わってしまったのだろう。相手の変化のきっかけは分からないが、それに桜備が気がついた瞬間は覚えている。
 浅草上空に現れた巨大な鳥を総出で退治し、そのままソイツを丸焼きにして宴会に興じた夜のことだった。時間も遅くなり、次の日早朝から予定が入っていた桜備は頃合いを見て中座しようと腰を上げた。それを引き留めようと、グイ、と緩いズボンの裾を引っ張っていたのは紅丸の手だった。
「まだいいだろ」
 スクワットのような中途半端な体勢で固まった桜備の顔を見上げる。それまでは酒が入ってニコニコと笑っていたはずが真顔に戻り、瞼に隠れていた左右非対称な瞳が開いている。眉根にはシワがより、まさか怒っているのかと心配になる表情だったが、酔っているのは間違いないようで、赤く染まった頬が怒るというよりは拗ねた子供じみたかわいらさに和らげていた。
「明日、朝早いんでこれ以上はちょっと……」
 紅丸は酒の席に限界ギリギリまで留まる方だし、宴会には人が多ければ多いほど良いと思っているタイプではあるが、他人に無理強いすることはない。というより、誰がいつ来ていつ帰ったのかなど把握していない。だから、この時の対応は桜備にとってかなり予想外だった。
「いやだ」
 振り払いたくても振り払えないくらい本気の力で掴まれた裾を、一体どうやって引き剥がしたのかはよく覚えていない。今になって思う。あの時引き留めに応じて帰らないのが正しい選択だったかもしれない。手に入らなかった経験が余計に欲を燃え上がらせるのはよくあることだ。
 あの一件以来、紅丸の態度や視線に欲の混じった色を感じる瞬間が増えた。若さとは恐ろしい。ギラギラと光る欲の刀を大人しく鞘に仕舞っておくなどできないのだろう。
 気づいていない振りでやり過ごせればそれはそれで。そう考えてのらくらしていたところで、今日の紺炉の様子伺いは耳が痛かった。とはいえ、紅丸の変化を察せれるとすれば彼しかいない。真っ先に気づくだろう人物に気づかれただけ。まだ状況は深刻ではないのだ。なにか問題があるとすれば――
「俺、喜んじゃってんだよなぁ……大人としてどうなんだ?」
 うんうんと悩みながらも、耳は扉の外のざわめきに注意を向いていた。さっき部屋を出た紺炉と、恐らく火縄が、さっきから何やら話している。内容までは聞き取れないが、言葉が途切れ遠ざかる足音が聞こえて、会話の終わりを察する。パン、と両頬を手の平で打ち付け気合いを入れる。
 自らの動揺を悟られるようなことだけは避けなくては。そう気合いを入れ、予想通りのタイミングで鳴った火縄特有の固く鋭いノックの音に、どうぞ、と大きな声で返した。


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桜を彫りたい紅丸の話6



「なにが思い過ごしなんですか」
 独り言のつもりで呟いた紺炉は、ふいに話しかけられて、ギョッと驚き眉を吊り上げた。
「驚いた。いたのかい」
「通りがかったんです。総隊長に用があるので」
 いつの間にか横にいた火縄は、いつも通りの淡々とした口調で答えながら、紺炉の背中のすぐ後ろにある扉を人差し指で指し示した。
「今日はどうなさったんですか?」
「ああ、ちょっとばかしお礼と、あと花見の相談を」
「まだ正月も過ぎたばっかりだっていうのに、浅草の人は気が早いですね」
 皮肉というより、本気で感心している様子で火縄が驚く。眼光鋭く言葉に棘はあるものの、真面目な男だ。
「そういや子供が産まれるんだって? めでてェこった」
「無事に産まれるまではめでたくもなんともありません。死がフワッフワに軽くなったこの世界で、生の重みは余計増していると考えていますから」
 表情を変えずに言い切り、クイ、と眼鏡のフレームを指で押し上げる。少し俯いた顔の眼光が幾分落ち着き、わずかに不安までもが滲んでいるのが紺炉からすると意外だった。
「総隊長とはお話を?」
「まあ、ほんの数分ってとこだが」
「……紺炉指揮官補佐から見て、総隊長に何か変わった様子はありませんか?」
 火縄のその質問に引っかかりを覚えた紺炉は、思わず首を捻った。奇しくもついさっき自分が桜備に尋ねたのとほとんど同じ質問だったからだ。
「何か、ってェと……」
「特に無ければ構いません。忘れてください」
 言い淀む紺炉を待たず早々に切り捨てる。まるで自分の質問が失言だったとすぐに気づいたかのような火縄の様子に、ますます疑念が募る。
「……お互い、頭がジッとしてられる性質(たち)じゃないから苦労するな。世界はすっかり変わったってのに、あの人らはまるで変わりやしねェで、こっちが思いも寄らないことばっかり考えつきやがる」
「……全くです」
「……お前さん的にはいいのかい?」
 紺炉が探り探りに投げた質問に対して、火縄は頬も眉もピクリとも動かさないまま、素早いまばたきを数度繰り返した。まるで、人間の及ばない素早さで結果を求めているこんぴゅうたあのようだ。妙な状況に陥って、答えを待つ紺炉の額には冷や汗が伝っていた。
 数秒後、火縄は計算の終わりを示すかのように眼鏡のフレームを押し上げてから口を開いた。
「あの二人は今やほとんど神に匹敵する力があります。つまり、喧嘩にでもなれば世界の半分くらいは滅んでも不思議じゃない。仲が良いのに越したことはないでしょう」
 予想外の答えに呆気に取られた紺炉は、一瞬息を呑んでからすぐに我に返り、ワハハハと声に出して豪快に笑った。
「ちげェねェな! 犬も喰わねえような喧嘩だけは勘弁してほしいところだ」
 それから「あんたも花見絶対来いよ」と言い置き、笑顔を浮かべたまま廊下を玄関に向かって歩きだした。



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桜を彫りたい紅丸の話5


 その日紺炉は、町の破壊を手伝ってもらった礼とは別に、ひとつの提案を携えて元第8特殊消防隊詰所・現世界英雄隊本部を訪れた。
「部隊合同での花見か、いいですね。折角だから送別会も兼ねて、集まれそうな人みんなに声をかけましょう」
「送別会ということは、誰か離職を?」
「ああ、退職ではないんですがマキ中隊長が来月から産休に入るんですよ。無事に産まれたら火縄も育休を取るし、しばらくの間は寂しくなりそうです」
 目を細め朗らかに笑う顔は、まるで自分自身が父親になるかのように嬉しそうだった。(元)第8は隊というより家族みたいなものなのだと、そう言っていたのは修行に訪れたシンラだっただろうか。
「先日は若の酔狂にも付き合ってもらっちまって……随分派手に暴れてたけど、体は平気か?」
「全然! 賑やかなのは好きだし、良いトレーニングにもなりました。宴会までは残れなくて残念だったんで、今度の花見で雪辱を果たすつもりです。--案件としては、こんなもんですかね?」
「じゃあー、ついでにウチのしょうもない相談でも聞いてもらおうか。実は若が……」
「また何かしたんですか?」
「墨、じゃなくて……たとぅーを入れるって言い出して」
「うわっ、あの時のシンラを思い出す…! 男の子って、やっぱ一度はそういう時が来るんですかね」
「男の"子"といえる年でもないってのに」
「でも、浅草の原国式のタトゥーは粋でかっこいいじゃないですか。シンラの場合は人格もおかしくなっちゃったからイメージ悪いけど、タトゥー入れるだけだったら特段たいした問題にもならなかったかと」
 説明と共にそう遠くはない記憶に思いを巡らせているのか、口の間から乾いた笑いを漏らしつつ、視線を斜め右にさ迷わせる。桜備の珍しい表情を見た紺炉も、浅草に第8が秘密基地を構えていた時に垣間見たシンラの”反抗期”をぼんやりと思い出す。
「悪いこたァないが、なにやら変な感じでね。総隊長から見て、最近若…いや、紅のことで、何か気になる節はねェかな」
「気になる?」
 気になることねえ…と、縫い目のある首を見てる方が不安を覚えるほどにまで傾け考えていた桜備だったが、突然すっ、と執務机の大きな席から無言で立ちあがったと思いきや、そのまま紺炉のすぐ横にまで歩み寄ってきた。ふいの行動と詰められた距離にぎょっとした紺炉の体が、反射的に軽く強張る。
「ほら、俺たち丁度身長同じくらいでしょ。だから分かってくれるんじゃないかと思うんですけど、見上げられると照れませんか?」
「照れる?」
「こう、横並びで立ってる時なんかに、こっちを見上げてくる顔が妙に幼く見えて。酒に酔った時の笑顔もそうだけど、あんな顔されると、ちょっと調子狂いますね」
 頬を指先で掻きながら照れ笑いを浮かべる桜備の細まった目。本人が言う通り紺炉の目線とほぼ同じ高さだった。その目からそろりと視線を逸らし、いつも紅丸の顔がある辺りにさ迷わせる。
 あんな顔、と言われても、どんな顔か分からない。
 おい紺炉、と見上げてくる紅丸を思い浮かべてみたが、それは勝気で不遜で、ある意味愛おしいくらいの生意気さに満ちている。照れるようなもんじゃない。幼い頃からよくよく知っているつもりだが、それだって今の紅丸の全てとは言い難いことを思い知らされた気がした。
「すいません。俺が言いたいのは、とどのつまり気になることはないってことです。これまでの働きにも、文句のつけようがない。この国、いや、この世界にとってお二人とも代えがたい存在です。頼りにしてます!」
 距離が近いまま真剣な面持ちで言い連ねる桜備からこの男特有の妙な圧を受け、耐えきれなくなった紺炉は思わず一歩二歩と後ずさる。
 そういう話ではないのだけど、と返すべきか数秒ほど逡巡し、止める。
「そりゃ、ありがたい……若にも伝えとくよ」
 情人云々と、紅丸より先にこちらにカマをかけなくて良かった。いや、たとえ投げかけたとしても、元より紺炉の意図などサッパリ伝わりそうにない。
 紅丸の真意の程は測りかねるが、たとえどう転んだとしても、大地に根を張る巨木のようなこの男はビクともしないだろう。
 じゃあまた、とそそくさとその場を後にした紺炉は、廊下に出てからほぉ、とため息を吐いた。まるで自らがスッパリと振られたような気分になり、かえって溜飲が下がるのを感じていた。
「早とちりで、思い過ごしか。紅のこととなると心配が先立っちまってなさけねェな」
 


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桜を彫りたい紅丸の話4


 桜を好きなのに嘘はない。
 パッと咲いてパッと散る。その潔さが好きだ。そもそも、浅草の人間で桜が嫌いな奴は居ねェ。酒と一緒ならなおのこと。
 嘘は、ない。ただ、好きになる切欠があの男だったと、その事実は伏せた。
 きっとあの男の死に際も桜のごとく、花の色が鮮やかなうちにパッと散るのだろう。枯れる姿も萎びる姿も想像できない。人ひとりの身に余る精魂と気力に満ちた器の持ち主だ。
 先代に連れてってもらった荒川での花見。視界一面の桜の海と風が吹くたびに起こる豪快な桜吹雪に胸を躍らせた。
 俺ァ、あの時から桜が好きだ。ただ、いつの間にやらすっかり忘れていたその感覚を思い出させたのはあの男だった。名前に負けぬ気風の良さで、嵐にも折れぬ太い芯を備えた、あの男。
 恋など知らぬ、愛などましてや。
 心躍る。退屈しない。安心もすれば、畏怖も覚える。
 俺ぁどうやら、あの男がいたく気に入っちまっている。
 ただそれだけだ。

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