ツキハヒガシニ

    

SS

    
江戸之華
浅草町民目線、エピローグ前のどこか


 火消しになれば、いの一番に火事場に出向ける。炎そのものはもちろん、人や家が焼ける時にどんな風に色が変わっていくのかも間近で見られる。業火の迫力と絢爛さをこの身で知れば、描く絵も自然と動き出す。
 本物の火事場を描きたい。だから火消しをやりたいのだ。そんなことを言えば余所じゃ狂人扱いだが、ここ浅草に流れ着いてからは「役に立つんなら好きにしろ」と万事受け入れてもらっている。
 俺が入った後に途中から皇国の犬になったのは気にくわないものの、浅草流の景気の良い燃やしっぷりは最高だ。焔人のおかげで、この世で一番美しい光景が次から次へと湧いてくるんだから、腕がいくらあっても描き足りない。
「あんたうまいんだから、どうせ描くなら紅丸ちゃん描いてよ」
 ガキンチョからババァまで、女どもは口先揃えてそう催促してきやがる。
 そりゃぁ、紅丸に似寄った美丈夫を浮世絵にすれば瞬く間に売れて金にはなるさ。ただ、金になるってだけだ。アイツの火消しとしての力量はともかく、画題にするには及ばない、まだ深みも色気も足りないケツの青いガキだ。
 そう思ってたってのに、それがどうして、最近妙な色がのってきやがった。
「若もいよいよ腹括ったからな。頭としての自覚が出てきたんじゃねェか?」
 紺炉に尋ねて返って来たのは到底納得できない説明だった。馬鹿を言うな。男として固まったんじゃなくて、ありゃむしろ溶け切ってんだよ。


 あの紅丸が惚れた相手だ。さて、どこのお嬢か花魁か。空っぽの財布をはたいて聞き込みをしてみたものの、とんとさっぱり、皆揃って心当たりなどないと首を横に振る。それでも、花街でちっとばかし気になる噂は耳にした。
「そういえば、第八の大隊長さん今週は来てないの?」
 どうやら最近、紅丸の馴染みの茶屋に皇国の消防官が時折出入りしているらしい。前に浅草にやってきて騒ぎを起こした第八連中で、その中でも一番お偉いさんの大男だ。
 身内には話しにくいことも、余所者相手じゃかえって口が滑るなんてのはよくある話。あの男に聞けば何かしら分かるかも知れない。
 そうして、俺は暇さえあればあの男を探し回った。記憶では原告の血が濃い見た目をしていたから浅草にいても違和感はないだろうが、あの人並外れた長尺はさすがに目立つはずだ。


 期待したものの空振り続きで諦めかけてた時分の、小雨降りしきる夜半のことだ。呑み屋の帰り道に、町外れの橋の上にそれらしき影を見た。すかさず走り寄ろうと思ったが、隣にもうひとつ別の影があるのに気づいて、咄嗟に川沿いの柳の陰に身を隠した。
 夜更けにくわえて生憎の雨とくれば人通りはない。一本の番傘の下に二人、赤い太鼓橋の丁度まんなか辺で足を止め、欄干から川を眺めている。少しすると、紅丸の手が傘の柄を持つ男の手へと伸び、強引に引っ張るでもなく手の甲辺りにそっと触れた。斜めに傾いた傘の下で見つめ合う二人は、絵師の自分が嫉妬しそうなほどに完璧な構図のまま、ゆっくりと顔を寄せ合った。惚れ惚れするような光景だった。
 静かな雨の夜。それでも確かにあの時あの場所は燃えていた。ちゃちな物言いにはなるが、恋の炎が燃えているのを見た。あのスカしたガキが蝋燭みたいに溶かされて、いとしいいとしいと表情だけで泣き叫ぶ様を見た。
 水揚げしたばかりの遊女が放つ、饐えた甘さに似ている。蛹が蝶になる瞬間は、どうしてこうも美しい。真白な繭にはもう戻れない絶望の香りは、何故人を狂わせる。
 そっからはもう、夢中だった。火事がしばらく起こらなかったのか、それとも部屋に籠っていたせいで気が付かなかったのかは分からないが、外へは一歩も出ずにひたすら描き続けた。紅丸の火ならこれまでに何遍も見てきたから、その激しさも派手さも頭ん中にある。そこへさらに、恋の炎の色がのった。
 炎はあくまでも見るもん描くもんだと思ってた俺が、まさかの初めて思ったよ。お前の炎に焼かれたいって。


「おい、火元はどこだ?」
「徳兵衛んとこだ! ヤゲン通りの西っ側にある長屋で突然火が上がったらしい。アイツぁ独り身だから、恐らく焔人になったのも本人だろう」
「そうか………」
 宙へと放り投げられた纏達が、一斉に炎を纏う。場所は近い。一本の纏に乗った紅丸は、紺炉が言っていた長屋の裏手まで一挙に飛び、燃え上がる焔人の背後へと降り立った。
 着地の物音に反応して振り返った焔人は、紅丸を見ると、あ、ぁあ……と言葉にならない呻き声をあげながら近づいてきた。
「お前ェ、火事が出るたんびに、こっちの気も知らずにやんややんやと喜びやがってよ。纏よりも先に筆とるような野郎が、最後にはこの有様とは情けねえなぁ」
 紅丸は焔人の炎には一切臆せず、近づいてくるのに任せその場に立ち続けた。焔人の辛うじて光を残した目が、ギョロリと眼球を回転させて紅丸を見る。前方に伸ばされた黒い腕が紅丸に向かう。指先が顔に触れるまであと三寸、あと一寸――
「べに、おまえのほの…お……きれいにな…た、な」
「……見世物じゃねェんだ。いくらきれいになっても、痛ェのは変わんねェぞ」
 すまねェが我慢しろ、と詫びるのとほぼ同時に、炎を纏った腕が黒く焦げた体の中央を貫いた。


「これ、机の上にあったから最後に描いてたやつでしょうかね。ちょっと焦げてるし……」
 徳兵衛の部屋から出てきた新平太は、下絵の描かれた一枚の和紙を手にしていた。それを紅丸が一瞬目に入れようというタイミングで、到着したばかりの紺炉が横から取りあげた。
「どれどれ。こりゃ、弁慶と牛若か……相変わらず、背景は火の海だな。しかし、この牛若…もしかして紅か? でも、だとしたらこっちの弁慶は――って、なにすんですか?!」
「遊んでねェで、さっさと片づけろ」
 手の中で灰になった和紙の残骸が地面に舞い落ちるのを見ながら、紺炉がため息を吐く。
「あーあ、折角の徳兵衛の遺作だってのに」
 焜炉の窘めるような視線を二本揃えた指先で払いのけた紅丸は、片肌脱ぎになっていた着物を整え、先ほど燃やした男の灰が積もる地面に目をやった。
「本人が最期に言ってた気がすんだよ。俺に全部焼いて欲しいってな」


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