ツキハヒガシニ

    

SS

    
桜を彫りたい紅丸の話11
これで一旦おわりです


 先週まで雪が降っていたとは思えないあたたかい陽気が続き、東京でも桜の蕾が次々とほころび始めた。ずらり並んだ川沿いの桜も図ったかのように九分咲きとなった花見当日。桜備は、心地よい陽気のせいか人出も増えて賑わっている浅草町内を歩き回り、人を探していた。とはいえ、きょろきょろと酒屋や賭場の軒先に目を配りながらも足は検討のついている一か所へと真っ直ぐに向かっている。
 見慣れた暖簾を腕で押し、広々とした玄関に人の気配が無いのを確認すると、すぐに中庭へと回った。こちらも人の気配はないが、訓練のために広く空けられたスペースを囲むようにして植えられたたくさんの草木が風に揺れ、騒めきで桜備を迎え入れる。今日は白い雲ばかりが浮かぶ晴天だが、朝からずっと、湿気を含んだ生温かい南風が強く吹いている。
 強風に木々が騒めく音に混じって、桜備の頭上から低い声が振ってきた。
「よぉ」
 桜備程の体格があっても一抱えにするのは難しそうな太い桜の木。探されている男は、その桜の木が3つ股に分かれたうちの一本の枝の根元に腰かけていた。特段人の目から逃げていたつもりも無いのか、見つかっても特段あわてた様子はない。両足をブラブラと揺らしいつも通りの不機嫌そうな顔で地上を見下ろす紅丸の姿は、猿、もしくは天狗を思い起こさせた。
「あぁ、そんなところに。みんな探してますよ」
「…」
「体、元気になったみたいで良かったです」
「……」
「しかし、ここにも桜生えてたんですね。全然気づいてなかったなぁ」
「…………」
 目線は真っ直ぐに桜備を見下ろしているが、口はまったく開かない。桜備としてはほとんど道端の野良猫に話しかけるように気分で、呼びかけに返事がないのも気にせずに大きく声を張り続ける。
「桜といえば、タトゥーどこに入れるかっていうアレ。肩がいいんじゃないですか? 肩にタトゥー入れるのは<強さ>の象徴らしいですよ」
「……彫らねェよ」
「え?」
「俺ァ彫らねェんじゃなくて、彫れねェんだよ」
 ボソボソと呟いて最後、よっ、と言葉尻に合わせて勢いをつけ、枝から飛び上がる。妖怪か妖精のように見えても実際は人間だから、ふわりと柔らかく舞い降りるわけにはいかない。ドサッ、と数十キロの体が落ちた衝撃で、砂埃が舞う。紅丸が膝を伸ばして立ち上がる頃には、揺さぶられた枝から遅れて落ちてきた桜の花びらが二人の間をふわふわと舞っていた。
「この桜の木は、先代の先代が植えたもんらしい。ガキの頃は先代や紺炉に怒られそうになるとよくこの上に登って逃げた……すぐに叩き落されたけどな」
「だからか。多分ココじゃないかって教えてもらったんです。しかしそんな昔から……通りで立派な枝ぶりだ」
 腕を組み、長い年月をかけて成長しただろう太く高い桜の木を、感心した表情で見上げる。紅丸は桜の深い割れ目が無数に走る木の幹に背中を預けたまま、逸らされた太い首の中央を走る縫い目をジッと見つめていた。
「……昔、先代が色恋に関して俺に教えてくれたことってのがいっこだけあってな」
「へぇ。なんですか?」
「惚れた方が負けだ、だってよ。だから彫れねェ。認めることになる」
 片袖を抜いた右手が長い前髪をかき上げ、立てた指でぐしゃぐしゃと乱す。露わになったのは、眉根にきつく皺を寄せて桜備を睨みつける子供じみた悔しそうな顔で、感情表現としては言葉よりもよほど雄弁だった。
「勝つか負けるかってもんなら、俺が負けるわけにはいかねェだろ」
「でもその理屈でいったら、もう負けてませんかね?」
返事はない。代わりに、くるりと片足を軸に身を翻えし、桜の木に片手と額とを預けて寄りかかった。必然、桜備の方に背を向けることになり表情は読めなくなった。
「いいんですか、浅草の破壊王が負けっ放しで」
 あァ?と喉奥を擦るがなり声と共に顔だけ勢いよく振り返った紅丸に、桜備は特段怯むこともなく続ける。
「一回負けても、次で勝てばいいじゃないですか。前にそんな感じのこと言ってませんでした?」
「……それは博打の話だ。じゃあなんだ、次は何で勝ち負けつけりゃいいんだよ?」
 紅丸が不機嫌そうにな眉をいっそう歪め、挑発的に顎をしゃくる。それを受けて、桜備は顎を引いて一度目線を落としてから、伺うような視線を相手に投げ、声量をワントーン落として呟いた。
「……布団の中とか」
 当然、妙な間が生まれる。紅丸葉桜備の返事を聞いて思わず目を見開きかけたのをグッと堪えると、そのままさらに細め、嫌悪露わなうんざりとした顔をつくった。
「おい、なんだその犬のクソみてぇな誘い文句は」
「そこは別に、ただのクソでいいでしょ」
 妙な具合に歪んだ空気の中、桜の木から体を離した紅丸が、ザッザッ、と地下足袋で地面を蹴って桜備の目の前まで歩み寄る。ぶつかるまであと一歩のところで足を止めると、首をぐいっと上向きに逸らし、20cm上にある明らかに戸惑っている顔を見上げた。
「……ちょっとしゃがめ」
「へ?」
 グイ、とTシャツの襟首を掴んで引っ張る紅丸の手に対して、桜備はわずかに抵抗をしながらも腰を曲げた。抵抗したのは、起こり得る状況を咄嗟に予想したからだ。案の定顔の距離が一気に近くなり、紅丸の長い前髪が額に触れそうになったところで思わず固く目を瞑る。ただ、桜備の予想は外れ、顔がそれ以上に近づいてくることはなく、そして、予想していた顔ではなく頭に何かが触れる感覚があった。
「花ついてんぞ」
 二人の鼻先と鼻先の間に、紅丸が指先で摘まみとった桜の花びらを掲げた。目を開いた桜備は薄ピンク色の小さな花びらとその向こうにある紅丸のしたり顔のどちらにもうまくピントを合わせられずに、ぼんやりと状況を理解していった。
「あんたっ!……ん」
 揶揄われたのに気づき声を荒げようとした瞬間、熱くなった桜備に反して水が流れるように静かに紅丸の上体が動き、口で口を塞いだ。一度フェイントを掛けられたせいもあって、ただ唇の表面同士を触れ合わせるだけのキスでも、桜備の動揺は激しかった。ポロリ、と桜の花のひとつが枝を離れ、ヒラヒラと風に舞い地面に落ちるまで。その程度の時間だけ続いた柔らかい感触。その間ずっと瞬きもできないくらいに全身を硬直させていた桜備は、解放されるやいなや、屈めていた腰をさらに曲げてその場にうずくまった。
「もおぉぉ~~なんなんですかコレ」
 不満と動揺が混ざった唸り声をあげながら頭を股の間に入れ込むようにして小さくなり、首の裏まで真っ赤になっているのを隠すために両手で押さえる。紅丸は突っつかれたダンゴムシのように丸まった巨体を見下ろし、ハッと鼻で笑った。
「えらい初心だな。これなら余裕で勝てそうじゃねェか」
「別に、勝負もしてないし勝ちたいわけでもないし……」
「おら立て、部屋行くぞ。今なら花見の準備で連中みんな出払ってるから丁度良い」
「え、今って、今ですか?!」
「善は急げって言葉を知らねェのか。生娘じゃあるまいし心の準備なんて要らねェだろ」
 手首を掴んで歩き出した紅丸にひっぱられ、体勢を崩した桜備もつんのめりながらなんとか後に続く。
「ちょっ、でもっ、花見はいいんですか? みんな待ってますよ」
「どうせ夜中までやってんだ、後で顔出しゃいい。それに酒飲んで騒いでたら誰がいようがいまいが気にしちゃいねェよ」
 それはどうかなぁ、と疑問形の相槌を口の中で呟く桜備の脳裏には「早く戻ってくださいね」とBBQ用のトングをカチカチと鳴らしながら念を押してきた火縄の厳しい表情が浮かんでいた。
 靴を脱ぎ捨て縁側に上がり、庭に面した障子の開け放たれている一枚へと紅丸が迷いなく進む。起床して間もないのか、布団一式が人の抜け出たそのままの形で敷かれていた。二人よりも先に、強い風に乗って飛んできた桜の花がするりと和室の中に滑り込む。紅丸は5枚の花びらの形をきれいに保ったまま畳の上に落ちたそれを踵で踏みつけ中へと入ると、掴んだままだった桜備の手首を唐突に離し、自分より一回りは大きい体を軽々と蹴り飛ばし奥へと追いやった。布団の上に転がされた桜備は、咄嗟に受け身はとったものの尻餅をつき、衝撃に一瞬顔をしかめる。
「扱い、雑……っ」
 不満を訴えようと顔をあげ、目に入った光景に思わず息を呑む。薄暗い和室で仰ぎ見ると、外の光を背中から受けた紅丸の立ち姿は妙に大きく見えた。桜備を見下ろす左右非対称な瞳の赤色は、闇夜に点る非常灯のように煌々と輝いている。これは、危険を知らせる色だ。悩んでいてもしょうがない、いっそ一度壊してみてもいいかと、その判断は軽率だったかも知れない――
「今日は久しぶりにうまい酒が飲めそうだ」
 悠々と弧を描いた唇が溢した呟きを、いまだ強く吹いている風の音が掻き消す。紅丸が後ろ手に障子をゆっくりと閉め、昼の青空が隠れていく。細い隙間になり、そのまま完全に閉じ切るまで微かに見えていたその空には、今日の内にすべてを散り落とさんばかりの勢いで桜の雪が降っていた。




畳む

    

or 管理画面へ