ツキハヒガシニ

    

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桜を彫りたい紅丸の話10


 ビンッ、とレコードの針が飛んだ不快なノイズで、前日の紺炉との会話を振り返り隘路に行き詰まり掛けていた桜備の思考は途絶した。音が止まっても同じ速度で回り続けているレコードを止め、撥ね上がった針が曲がっていないかたしかめる。古いレコードの傷も原因だが、プレーヤー本体の調子も最近良くない。気分を変えるついでに修理を頼もうかと、同じ建物内にあるリヒトの研究室へと向かった。
「あれ、ヴァルカン?」
「あれ、総隊長? リヒトに用なら、トイレ行ってるだけだからすぐ戻るよ」
 目的の場所で思っていたのとは違う人物と顔を合わせ、お互いに軽い驚きの声をあげた。分野は微妙に違えど、職務上相談し合う機会も多い二人なので不思議はない。開発中の機械を弄っていた手を止めたヴァルカンを前にして、桜備は、ついつい目が行ってしまう綺麗に刈った頭や首、半袖のシャツから覗く二の腕に彫られたライン状のタトゥーを指差し尋ねた。
「そういや、ヴァルカンのタトゥーってなにか意味はあるのか?」
「意味? ま~無くはないけど、俺はどっちかっていうとファッション目的かな。なに、もしかして興味あんの?」
「興味ってほどでも……でも、ヴァルカンのタトゥーはかっこいいなとは前から思ってるよ」
「入れる時はあんま気にしてないけど、多少知ってはいるよ。たとえば、この二の腕のラインは戦士か、部族のリーダーとかが入れるやつ。あと、肩は強さの象徴とか……そうだ、シンラが入れた足首は<挑戦>かな。ただのファッションって言うには奥が深いよな」
「この腕のやつは、リサさんも同じの入れてなかったか?」
「あーそうだっけ? まあ、それこそそんな深い意味はないよ。リサが真似して入れたがっただけっつーか……」
 桜備の指摘に、ヴァルカンは頭を搔きながら目線を斜めに逸らし、ぎこちなくとぼけてみせる。その照れくさそうな顔を見て、桜備は口元を緩め無言で微笑んだ。
「そもそも、この辺のは元々俺が親父の真似して彫ったんだ。だから、家族の証みたいなもんかもな」
 ヴァルカンは、育ての親や肉親ではない、二番目の家族をつくったのが人並よりもかなり早い。その二人に注いできた愛情に嘘も裏もなく、だからこそ関係は障壁を乗り越え今なお円満に続いている。
 愛する人に真剣に向き合うという姿勢ではまちがいなく上級者だ。Dr.ジョヴァンニからリサを救い出したその時に傍らにいた桜備は、18歳の青年と思えないほどの愛の深さと覚悟を肌身で感じた。人を愛するのに、特別な技術はいらないし年齢も関係ない。たとえ老齢でも愛の深さも広さも知らない人間は世界が変わっても哀しいかな存在する。
「……ちょっと意地悪な質問だけど、リサさんに会ってどうしてすぐに家族として受け入れられたんだ? 全然知らない相手だろ?」
「理由かぁ。うーん、まあ事情を聞いて共感したのもあるけど……」
 顎に手を当てて悩み始めたヴァルカンは、さほど時間をかけずに答えにたどり着くと、ピン、と人差し指を立てて閃きを表現した。
「そもそも、俺がじいさんの孫、親父の子どもに生まれたのだってただの偶然だろ。でも2人が大切な家族なのは間違いない。ユウもリサも出会ったのは偶然で俺が選んだわけじゃないけど、お互い自然に助け合えたからそれで別にいいんだよ」
「そうか。一理あるな」
「それと、デカく意識が変わったのはジョヴァンニの件で壊れかかった後かな。機械はそもそも壊れないようにつくるのが一番だけど、人間関係はそう簡単にはいかないって俺も学んだし……。壊れるのは仕方ない。それを直したいって思えるかどうかが大事なんだと思うよ」
「なるほど。でも総隊長の場合むしろ壊すの専門の人が相手だから困っちゃいますね」
 ぬっ、といつのまにか部屋に戻っていたリヒトが二人の間に長身を割り込ませ、物知り顔で相槌を打つ。驚いた桜備は、あはははと暢気に笑うリヒトの白衣の襟を強引に引っ張り自らの傍に寄せた。
「なっ、んでお前が」
 動揺に肩を震わせ小声ながらも強い口調で詰問する桜備に対して、リヒトは顔色を変えずこともなげに返す。
「ジョーカーから聞きました。あの二人、いまだに結構仲いいんですよー。腐れ縁ってやつですね。あぁ、もちろんジョーカーは100%面白がってますけど、僕は真剣に応援してますよ」
「応援って……どっちのだ?」
「どっちでも。なにはともあれ平和に解決しますように、って。応援というよりは祈りですね」
 そう言うと、元の世界でも信心など持ち合わせていなかった男は、指先を合わせて祈りのポーズをとってみせた。横で二人の様子を見ていたヴァルカンは、仔細は分からないながらも雰囲気からあることに気づき、片方の眉を吊り上げ驚きの表情を浮かべた。
「え、もしかしてこれって総隊長の恋バナだったの? 俺、こういう勘が悪いんだよ」
「意外か?」
「そりゃ意外、いや、意外というか……なんだろうな。総隊長はみんなに愛されてるしみんなに平等に接してくれるじゃないすか。だからかな、誰かを特別扱いするっていうイメージがないんだ」
 自分の考えに納得して頷くヴァルカンの横で、リヒトもうんうんと顎を縦に揺らす。
「桜備総隊長は古のアドラー心理学でいうところの共同体感覚が非常に強い人ですからね。常人は諸々を飛び越えて社会や世界なんて曖昧なものを守るために命を懸けて戦ったりできません。だからヴァルカンくんのように身近な家族を大切にするところからスタートするのが普通です」
「俺にも育ての親はいるし、それこそ元第8のみんなも家族みたいなもんだぞ」
「それはもちろん。でも世界も変わったし、彼らも個としての幸せをドンドン追求してますからね。ちょうど子離れの時期なんじゃないですか?」
「おいおい、寂しいこと言うなよ」
「俺は総隊長のことずっと好きだけど……。でもなんであれ、総隊長が幸せになるってんなら誰も文句ないと思うよ」
「まあ、自分の好きにしたらいいってのは分かってるんだけどな……」
「現状の関係が居心地いいならなおさら、一度壊してみるのはアリな手かも知れませんよ。なにごとも試してみないと、待ってるだけじゃなんの結果も出ませんから」
「……リヒト、お前も応援してるんじゃなくて面白がってるよな?」
「ありゃっ、バレましたか」


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