SS 桜を彫りたい紅丸の話8 続きを読む 桜の花芽が膨らみ出し、朝着た上着を昼には脱ぎたくなるような日も増えて来た頃、新東京皇国に季節外れの雪が降った。 「え、高熱ですか? なにか感染症の疑いは?」 『念のため元第六のお医者さんにも診てもらったが、問題ないだろうってさ』 「なら良かった。どうせ大した会議じゃないんで、お二人とも欠席で大丈夫ですよ」 『そうさせてもらう。若は能力者の体質のせいか、昔っから熱が出やすくてね。心配するほどのもんじゃないよ』 電話口の紺炉の声色には、本人の言葉通り深刻さはまったくなかった。電話を受けていた桜備は、最後に一言二言告げてから受話器を置くと、背後に控えていた火縄を振り返った。 「新門総指揮、今朝から熱出てて会議休むって」 「へぇ。病気の方から逃げ出しそうなのに、意外ですね」 「だよな。病気を追いかけ回していじめてそうなのに」 火縄の感想に頷き同意しながらも、桜備の目はささめ雪が舞う窓の外を向いていた。心配そうな横顔を”心配そう”と認識できるのが火縄だからなのか、それとも誰の目から見ても明らかなのか、判断が微妙になる程度の表情だった。 「お見舞い、行ってきたらどうですか。どうせ大した会議じゃないですし」 「ろ……こん、ろ……みず」 布団から片手を宙へと伸ばし呻く紅丸に、はい、と茶碗が差し出される。その、はい、の声の違和感に気づき薄っすらと目を開けた紅丸は、傍らにいるのが紺炉ではないことに驚き、氷枕も掛け布団もはね除けて上体を跳ね起こした。 「なっ……!」 「うわ、びっくりした。寝てていいですよ」 「吃驚したのはこっちの方だ。てめェ何しに来た」 「何ってそりゃ、お見舞いです。あ、メロン好きですか?」 「好きじゃねえェ……けど双子は喜ぶだろ」 桜備が片手で掲げた本人の顔と同じくらいの大きさがあるメロンの球を睨み付けながら水を飲み、ノロノロと布団の中へと戻る。 「体調どうですか?」 「どうもこうもねェ。最悪だ。……そういやさっき寝てる時、つっても熱のせいで寝てるか起きてるかもよくわかんねえんだけどな。今のこれも、夢か現かわからねェ。まあとにかく、夢を見てた」 「また前みたいな実体感のある夢ですか」 「ねェよ。実体感も現実感もねェ。ガキの頃の夢なのに、お前も出てきたからな」 「へえ」 「ガキん頃の俺が、町の外れにあるがらくた置き場で能力の使い方間違ってうっかり炎上させちまう。そこを助けに来たのが皇国の消防隊様々ってわけだ。で、起きたら本人がいたもんだから、よけい吃驚したんだよ」 「なるほど」 「四方を火に囲まれて、熱い熱いって泣いてんのが情けなくって我ながらムカついた。熱のせいで見ちまった夢だな」 「ちなみにそれ、いくつぐらいの時ですか?」 「さあな。十かそこらじゃねェか? 先代も生きてたから、どんなに育ってても十三だ」 あくまでも夢の話なのにまるで実際の思い出のように話すフワフワとした紅丸の説明を受け、桜備は、ふむ、と小首を傾げながら順に指を折った。 現実感がないと言ったが、その頃の桜備はもう訓練校を卒業して一般消防官として入隊していたはずだ。あり得なくはない。が、もちろん桜備にそんな記憶はないし、そもそも紅丸が炎を怖がったことなど生まれて一度もないだろうから、そういう意味で現実感が無いのかもしれない。 「そういや聞きましたよ。タトゥー入れるって」 「紺炉か。あの馬鹿……」 「どこに入れるんですか? 腕?」 「まだ決めてねえ」 不満げなドスの効いた声で返され桜備がたじろぐと、紅丸はおもむろに自らの足で掛け布団を撥ねのけた。そのまま両手を左右に伸ばし大の字になると、天井に向かって「選べ」と宙に放るような声で言った。 「選べ。好きなとこ」 「選べ、って言われても……」 普段つけている黒い腹掛けもなく、寝乱れた浴衣の合わせ目からは首から腰までの素肌が三角形に覗いている。裸を見られるのにも見せるのにも抵抗が無い元第八の男性陣と違い、この男が必要もなく素肌を晒すのは稀だ。活動時間が夜に寄っているせいなのか生まれつきなのか、肌は不健康に青白く、そこに熱のせいでほんのりと赤みが差し、妙に人間らしい色になっている。 「布団、ちゃんとかけなさいよ」 なんとなく見てはいけないようなものに思え、本人が剥がした布団を手早く元に戻す。気恥ずかしさから、子どもを嗜めるような口調になってしまった。 「そういや知ってます? 今朝から雪降ってるの」 話題を変えようと声を張ってそう問いかけた桜備は、部屋の中央に敷かれた布団を回り込んで移動し、縁側の障子に手を掛けた。30センチほどの隙間から、薄っすらと白くなった庭と、チラチラと雪が舞う藍鼠色の空か覗く。雨と雪の境のような、氷の粒に近いみぞれ雪だ。 「すっかり春になったと思ってたってェのに。どうなってんだ」 「なごり雪ってやつですかね」 「なんだって?」 「なごり雪。こういう、季節外れに降る雪。俺はもともと歌の歌詞で知ったんですけど」 「……知らねェな。それよか、用がねェならとっとと帰れ。デカいのがいると気が散って寝れやしねェ」 寝込んでいても減らない口にはいはい、と呆れ顔で返し障子を閉めようとした桜備は、中途半端なところで手を止めた。 「……どっちなんですか」 言葉とは裏腹に、布団からはみ出した紅丸の手は桜備の服の裾をしかと掴んでいる。困惑する桜備が呟いたもっともな疑問に対しての返事はなく、そもそも言葉を発する気力すらもう無いのか、息ばかりが荒い。それでも、見下ろす桜備を見返す細まった双眸の眼光はやたらと鋭かった。 参ったな、と悩まし気に片眉を歪め目を反らし、仕方なしに、障子の隙間からふたたび外を見る。ここに来るまでの道中にくらべると雪の勢いは幾分弱まり、ハラハラと落ちる白い欠片は花びらのようにも見えた。隙間に鼻先を少し近づけると、途端に冷たい風が吹き付けてくる。 視線は移さずに、手だけを自分の腰あたりにさ迷わせた。掴まれている場所は服を引っ張られている感覚で大体分かる。だとしても、掴んでいる手を離させようとしたのか、それともただ触れたかったのか、桜備自身にも曖昧だった。そして、いざ触れた途端に感じた熱の高さにハッとし、ほんの一瞬で慌てて引っ込める。俺は一体何を―― 指先の行き場に困り、火傷した時のようについ耳たぶを擦る。発火能力を失ったはずの体がこんなにも熱いのは、高熱のせいだけなのか? 「……アレ、どんな歌だったかな」 動揺を誤魔化そうという意識が働いたのか、思考は前の話題へと無理矢理に戻っていく。思い出せるのは曲名から始まる数フレーズだけだったが、試しに口ずさんでみると頭よりも口が先に動き出し、たどたどしい調子ながら恐らく合っているだろうメロディーラインを紡げた。 「まぁ、大災害より前の曲だから知らなくて当たりまえですよ。俺もたまたま見つけた古いレコードで――」 話しかけながら振り返り、いつの間にか目を閉じていた顔を見て口を止める。裾を掴んでいた手の力も完全に抜け、布団から飛び出したまま畳の上にぐたりと落ちていた。自由に動けるようになったもののすぐに立ち上がる気にはなれず、部屋の主の心地よさそうとは言い難い寝顔を眺める。 あの夜の引き留めに応じても応じなくても、多分結果は変わらなかっただろう。態度や言葉で表せるような、そんな感情はもうとうに越えている。ような気がする。 うなじを撫ぜる風は冷たいのに、顔はどんどん熱くなっているのを感じる。咲いた桜を眺めるのではなく、咲く寸前の蕾を見守っている時に近い感覚。随分と久しぶりに覚えたときめきとしか表現しようのない期待と高揚感に、自然と鼓動が速まる。 「……悪くないな」 今春が来て、そして唐突に溢れそうになった感情を持て余し、その一言を呟くので精いっぱいだった。 畳む 2025/03/23
桜の花芽が膨らみ出し、朝着た上着を昼には脱ぎたくなるような日も増えて来た頃、新東京皇国に季節外れの雪が降った。
「え、高熱ですか? なにか感染症の疑いは?」
『念のため元第六のお医者さんにも診てもらったが、問題ないだろうってさ』
「なら良かった。どうせ大した会議じゃないんで、お二人とも欠席で大丈夫ですよ」
『そうさせてもらう。若は能力者の体質のせいか、昔っから熱が出やすくてね。心配するほどのもんじゃないよ』
電話口の紺炉の声色には、本人の言葉通り深刻さはまったくなかった。電話を受けていた桜備は、最後に一言二言告げてから受話器を置くと、背後に控えていた火縄を振り返った。
「新門総指揮、今朝から熱出てて会議休むって」
「へぇ。病気の方から逃げ出しそうなのに、意外ですね」
「だよな。病気を追いかけ回していじめてそうなのに」
火縄の感想に頷き同意しながらも、桜備の目はささめ雪が舞う窓の外を向いていた。心配そうな横顔を”心配そう”と認識できるのが火縄だからなのか、それとも誰の目から見ても明らかなのか、判断が微妙になる程度の表情だった。
「お見舞い、行ってきたらどうですか。どうせ大した会議じゃないですし」
「ろ……こん、ろ……みず」
布団から片手を宙へと伸ばし呻く紅丸に、はい、と茶碗が差し出される。その、はい、の声の違和感に気づき薄っすらと目を開けた紅丸は、傍らにいるのが紺炉ではないことに驚き、氷枕も掛け布団もはね除けて上体を跳ね起こした。
「なっ……!」
「うわ、びっくりした。寝てていいですよ」
「吃驚したのはこっちの方だ。てめェ何しに来た」
「何ってそりゃ、お見舞いです。あ、メロン好きですか?」
「好きじゃねえェ……けど双子は喜ぶだろ」
桜備が片手で掲げた本人の顔と同じくらいの大きさがあるメロンの球を睨み付けながら水を飲み、ノロノロと布団の中へと戻る。
「体調どうですか?」
「どうもこうもねェ。最悪だ。……そういやさっき寝てる時、つっても熱のせいで寝てるか起きてるかもよくわかんねえんだけどな。今のこれも、夢か現かわからねェ。まあとにかく、夢を見てた」
「また前みたいな実体感のある夢ですか」
「ねェよ。実体感も現実感もねェ。ガキの頃の夢なのに、お前も出てきたからな」
「へえ」
「ガキん頃の俺が、町の外れにあるがらくた置き場で能力の使い方間違ってうっかり炎上させちまう。そこを助けに来たのが皇国の消防隊様々ってわけだ。で、起きたら本人がいたもんだから、よけい吃驚したんだよ」
「なるほど」
「四方を火に囲まれて、熱い熱いって泣いてんのが情けなくって我ながらムカついた。熱のせいで見ちまった夢だな」
「ちなみにそれ、いくつぐらいの時ですか?」
「さあな。十かそこらじゃねェか? 先代も生きてたから、どんなに育ってても十三だ」
あくまでも夢の話なのにまるで実際の思い出のように話すフワフワとした紅丸の説明を受け、桜備は、ふむ、と小首を傾げながら順に指を折った。
現実感がないと言ったが、その頃の桜備はもう訓練校を卒業して一般消防官として入隊していたはずだ。あり得なくはない。が、もちろん桜備にそんな記憶はないし、そもそも紅丸が炎を怖がったことなど生まれて一度もないだろうから、そういう意味で現実感が無いのかもしれない。
「そういや聞きましたよ。タトゥー入れるって」
「紺炉か。あの馬鹿……」
「どこに入れるんですか? 腕?」
「まだ決めてねえ」
不満げなドスの効いた声で返され桜備がたじろぐと、紅丸はおもむろに自らの足で掛け布団を撥ねのけた。そのまま両手を左右に伸ばし大の字になると、天井に向かって「選べ」と宙に放るような声で言った。
「選べ。好きなとこ」
「選べ、って言われても……」
普段つけている黒い腹掛けもなく、寝乱れた浴衣の合わせ目からは首から腰までの素肌が三角形に覗いている。裸を見られるのにも見せるのにも抵抗が無い元第八の男性陣と違い、この男が必要もなく素肌を晒すのは稀だ。活動時間が夜に寄っているせいなのか生まれつきなのか、肌は不健康に青白く、そこに熱のせいでほんのりと赤みが差し、妙に人間らしい色になっている。
「布団、ちゃんとかけなさいよ」
なんとなく見てはいけないようなものに思え、本人が剥がした布団を手早く元に戻す。気恥ずかしさから、子どもを嗜めるような口調になってしまった。
「そういや知ってます? 今朝から雪降ってるの」
話題を変えようと声を張ってそう問いかけた桜備は、部屋の中央に敷かれた布団を回り込んで移動し、縁側の障子に手を掛けた。30センチほどの隙間から、薄っすらと白くなった庭と、チラチラと雪が舞う藍鼠色の空か覗く。雨と雪の境のような、氷の粒に近いみぞれ雪だ。
「すっかり春になったと思ってたってェのに。どうなってんだ」
「なごり雪ってやつですかね」
「なんだって?」
「なごり雪。こういう、季節外れに降る雪。俺はもともと歌の歌詞で知ったんですけど」
「……知らねェな。それよか、用がねェならとっとと帰れ。デカいのがいると気が散って寝れやしねェ」
寝込んでいても減らない口にはいはい、と呆れ顔で返し障子を閉めようとした桜備は、中途半端なところで手を止めた。
「……どっちなんですか」
言葉とは裏腹に、布団からはみ出した紅丸の手は桜備の服の裾をしかと掴んでいる。困惑する桜備が呟いたもっともな疑問に対しての返事はなく、そもそも言葉を発する気力すらもう無いのか、息ばかりが荒い。それでも、見下ろす桜備を見返す細まった双眸の眼光はやたらと鋭かった。
参ったな、と悩まし気に片眉を歪め目を反らし、仕方なしに、障子の隙間からふたたび外を見る。ここに来るまでの道中にくらべると雪の勢いは幾分弱まり、ハラハラと落ちる白い欠片は花びらのようにも見えた。隙間に鼻先を少し近づけると、途端に冷たい風が吹き付けてくる。
視線は移さずに、手だけを自分の腰あたりにさ迷わせた。掴まれている場所は服を引っ張られている感覚で大体分かる。だとしても、掴んでいる手を離させようとしたのか、それともただ触れたかったのか、桜備自身にも曖昧だった。そして、いざ触れた途端に感じた熱の高さにハッとし、ほんの一瞬で慌てて引っ込める。俺は一体何を――
指先の行き場に困り、火傷した時のようについ耳たぶを擦る。発火能力を失ったはずの体がこんなにも熱いのは、高熱のせいだけなのか?
「……アレ、どんな歌だったかな」
動揺を誤魔化そうという意識が働いたのか、思考は前の話題へと無理矢理に戻っていく。思い出せるのは曲名から始まる数フレーズだけだったが、試しに口ずさんでみると頭よりも口が先に動き出し、たどたどしい調子ながら恐らく合っているだろうメロディーラインを紡げた。
「まぁ、大災害より前の曲だから知らなくて当たりまえですよ。俺もたまたま見つけた古いレコードで――」
話しかけながら振り返り、いつの間にか目を閉じていた顔を見て口を止める。裾を掴んでいた手の力も完全に抜け、布団から飛び出したまま畳の上にぐたりと落ちていた。自由に動けるようになったもののすぐに立ち上がる気にはなれず、部屋の主の心地よさそうとは言い難い寝顔を眺める。
あの夜の引き留めに応じても応じなくても、多分結果は変わらなかっただろう。態度や言葉で表せるような、そんな感情はもうとうに越えている。ような気がする。
うなじを撫ぜる風は冷たいのに、顔はどんどん熱くなっているのを感じる。咲いた桜を眺めるのではなく、咲く寸前の蕾を見守っている時に近い感覚。随分と久しぶりに覚えたときめきとしか表現しようのない期待と高揚感に、自然と鼓動が速まる。
「……悪くないな」
今春が来て、そして唐突に溢れそうになった感情を持て余し、その一言を呟くので精いっぱいだった。
畳む