夕立
『今から行く』という連絡が常闇へ来てすぐに、穏やかに晴れていた窓の外が暗く陰り始め、ゴロゴロと雷雲が力を蓄えている音も響いてきた。
これは間に合わないか、と念のために家にある中でも大き目のバスタオルを何枚か用意して待ち構えていると、案の定、ベランダに降り立ったホークスは毛先や顎からしとどに水を垂らしていた。
「行儀悪くてごめん、玄関濡らしちゃ悪いと思って」
自らの足元にできた小さな水溜まりを見下ろし、うんざりとした顔でそう謝るホークスに、そんなことは構わないから早く中に入るようにと促す。
雨水は、私服のジャケットはもちろん、中に着ていたTシャツにまで染みていた。器用に羽根を宙に浮かせてそれらを脱いでいくホークスを見て、慌てて風呂場へと誘導する。本人は風呂場の洗濯機に脱いだ服を入れるためだと思っているようだったが、常闇としては、堂々と上裸を晒されては堪ったものではない。放っておいたら多分下まで脱いでいただろう。
「体が冷えたろうから、ついでにシャワーも使ってくれ」
そう言いおくと、常闇は脱ぎかけのホークスを詰め込んだ脱衣所のドアを、外からさっさと閉めた。
閉めたドアにもたれて、スーハ―スーハ―、と浅くてもできるだけ長い呼吸を繰り返す。
一瞬目に入った肌の色が、脳内でチカチカと浮かんでは消え、眩惑される。体のそこら中についた傷痕で斑に色を変えているマーブル模様の肌が、どうしてこうも欲を誘うのか。
気を落ち着かせようとそのまま廊下に蹲っていると、ホークスがシャワールームのドアを開く音が、脱衣所のドア越しに聞こえてきた。
入ってからまだ2、3分にも満たないが、常日頃から烏の行水で入浴時間の短いこと知っている常闇からすれば、不思議ではない。
「ごめーん常闇くん、なんか着替え借りてもいい?」
脱衣所前に留まっているのも完全に察せられている。羞恥極まりない。
返事をする余裕もなく立ちあがり適当な部屋着を引っ掴んで戻ると、ホークスは脱衣所のドアの隙間から顔だけを覗かせていた。戻ってきた常闇と目が合い、ニコリと笑う。やめてくれ、かわいいだろうそれは。
「うわっ、なんか、さすがにキツイってことはないと思ったけどむしろこれは……デカい……」
着替え終えて居間へと戻って来たホークスは、歩きながら肩を回したり裾を引っ張ったりしながら、何やら独り言を呟いていた。
常闇はその不満そうな表情を横目に、内心でほくそ笑んだ。最近では体格差がほぼなくなっていることは比べるまでもなく分かっていたが、今のホークスの多少のゆとりすらある服のフィット具合は、常闇の自尊心を満たすには十分だった。
「乾かそう、こちらへ」
剛翼を使って適当に動かしていたタオルを引き継ぎ、自らソファに座ってから、その脚の間に座るように促す。大人しくカーペットの上に体育座りをしたホークスのうなじを、襟足からたれた水が伝っている。情欲を煽られないと言えば嘘になるが、先ほどよりは落ち着いている。
邪心に打ち勝て、と自分に言い聞かせながら、きれいにたたんでくれている両翼の間に手を伸ばし、毛先を一束ずつタオルの間に挟むようにして水気を取っていく。
日に焼けてさらに色素の薄くなった髪の毛の、その一本一本までもがいとおしい。そう感じ入るのにぴったりな、時計の秒針と降り続いている雨の音だけが響く静かな時間だった。
だが、静寂は束の間で、動けないことに焦れたホークスの「テレビつけて良い?」という質問に常闇が頷くよりも早く、赤い羽根がリモコンを無視して直接、向かいの壁に設置してあるテレビ本体の電源を入れた。
「関東はよう晴れとうね」
たまたま点いた夕方のニュースは、ヒーローが間一髪で食い止めた列車事故の現場を生中継で映していた。画面に映っている東京の街は、確かに空模様や行き交う人を見ても、雨が降っている様子は無かった。
「……そうだな」
本人に追いついたといって、慢心している場合ではない。
画面の向こうでインタビューに答えるフレイムヒーローの芸術的なまでに鍛え上げられた巨躯を見据えて、更なる高みを目指す決意を新たにした。
翌朝、平時であれば事務所にいるはずの時間になっても、ホークスの姿がなかった。常闇が当日の全スタッフの予定が記載されたボードを確認すると、ホークスの朝のトレーニング時間が30分伸びている。
すぐに、昨日貸した自分の服が理由だと察し、ボードの前で思わず吹き出しそうになるのを堪えた。