手をつなぐ
その日の仕事終わり、「お疲れさまでした」と挨拶をして事務所を出ていこうとする常闇を引き留めたのは、最後まで事務所に残っていたホークスだった。
「ねえ、抱っこさせて」
「……なんと?」
一体何を言い出すのかと思い説明を求める常闇に、ホークスは「抱えて飛びたいだけ」と、答えを返した。
「今朝、事務所の玄関でツバメの話したじゃない? そしたら、常闇くんが飛行訓練してた頃のこと思い出しちゃってさ~。あん時必死だったよね。深夜まで公園で練習したりして」
「……もう忘れたな」
思い出し笑いをするホークスに、常闇は渋い表情になる顔面を手の平で覆った。
上空だと風が強いため、自然と声が大きくなる。
「うーん、あの時よりも重くなったかも」
「背も伸びた。それに日々鍛えている。当然だ」
抱えられたまま得意げに鼻をならす常闇に、ホークスは楽しそうな笑い声を挙げた。その拍子に常闇の胸部に回している腕の力も抜けそうになり、慌てて力を込め直す。とはいえ、目的地はもう目の前だった。
「あ~、風がきもち~ね~」
かつてと同じ塔の上、足場の縁ギリギリに立つホークスは、手の平で額にひさしをつくり福岡の街を見下ろしていた。その横で、以前とはくらべものにならないくらいしっかりとした足で立つ常闇は、それでも、肩を左右に揺すって落ち着かない様子で、隣のホークスを見ていた。
「……ホークス、ひとつ確認したいことがある」
「ん?」
「その……手はつないでもいいだろうか」
「ああ、もちろん。ほい」
意外にもあっさりと了承されて拍子抜けした常闇は、差し出された手の平のグローブの縫い目を、しばらくじっと見つめていた。すぐに手を出して来ない常闇に、ホークスが不思議そうな顔で、空の手の平をプラプラと振ってみせてくる。
その手をじっと凝視したまま、恐る恐る手を伸ばす。本当にいいのだろうか。自分で言い出しておきながら、緊張で頭が沸騰しこの場から逃げ出したい。
ついさっきまで、上半身が重なり合うほどに密着していたというのに、たかだか手の平と手の平を合わせるだけで、なぜこんなにも緊張してしまうのか――
確実にまどろっこしさを感じているだろうホークスも、あと数センチで指先が届く、というところまで近づいて動かなくなった常闇の手を、急かすことはなく、地面に落ちたヒナを観察するような生ぬるい視線を向け、笑いを堪えていた。
「失礼する……」
厚いグローブ越しでは、肌の感触も温度もほとんど感じられない。それでも、意思を持って手を握り、そして握り返されたという事実だけで十分だった。
付き合うことになって以来初めて手をつなぐことのできた喜びを嚙みしめている最中に、ホークスはふら、と空に視線を向け、あっさりとした口調で提案した。
「そうだ。このまま、飛んでみようか」
言うや否や、ホークスは掴んだ常闇の手を離すことなく、足で電波塔を蹴って勢いよく塔から空中へと身を投げた。繋がった腕を引っ張られ宙を浮いた常闇は、もう片方の手で外套を脱ぎながら、焦った声でダークシャドウを呼んだ。
一気に質量を増したダークシャドウは、瞬時に常闇の体に巻き付きその体を浮かせると「アブネーナー!」と、常闇とホークスの両方に対して文句をぶつけた。
浮力を調整してホークスと同じ高さで浮遊することに成功すると、悪戯が成功して笑っている顔を、常闇が辛辣な顔で睨みつけた。
「あはは、ごめんごめん。でもさ、手つないで飛べるのなんて、俺たちだからできることだよね」
「ムッ……それはそうだな」
ゆっくりと滑降していくホークスに寄り添うようにして空を飛ぶ。繋いでいるホークスの手は、自然に方向を誘導する意図を持って動いていた。
ふいに、「ズルい!」と常闇の体を支えているダークシャドウが叫ぶ。意図の分からなかった常闇に対して、ホークスは「ああ」と納得した表情で頷いていた。
「悪いね。そろそろ下降りよう。そしたら、ダークシャドウもつなげるんじゃない?」
三人、否、二人と一個性で横並びに手をつないで歩いている様子は、深夜の人気のない公園という状況も相まってかなり異様だった。ともあれ、昼間じゃないからこそできることだな、と常闇は幾分慣れてきたホークスと繋いでいる右手を軽く揺らしながらため息を吐いた。ダークシャドウは、常闇の左でではなくホークスの右手を掴んでいる。背後に人がいたら、常闇の背中から飛び出てホークスの背中を超える黒い帯が良く見えるだろう。
「そういえば、以前耳郎が来た時、さっきの場所に二人で行ったことがある」
「あ、そうだったんだ。年明けのチームアップの後?」
「ああ。耳郎が久々に俺の背中で飛びたいと言い出してな」
「それは、なんというか……たくましいね」
「とはいえ、特に行く宛てもない。折角だから、俺が感動した景色を見せるのがいいと思ったんだ」
常闇はその時のことを思い出し、意識の一部をさっきまで見ていた夜景へと戻した。『たしかにこれはヤバいわ!飛びたくなるねー!』と、高所にも物怖じすることなく楽しんでいた旧友の顔を思い出すと、どこか得意な気持ちにもなった。
「ねえ、常闇くんって、今までに女の子と付き合ったことないの?」
「……気になりますか」
「気になるわけじゃないけど、そのー、もし俺が最初の相手だったりしたら、ほんとにそれでいいのかな~って思って」
ホークスが、あえての軽い口調で切り出した話には、核心めいた含みがあった。それを察した常闇は、はあ、と重みのあるため息をついてから、道の真ん中で、歩いていた足を止めた。一歩先に出てしまってから足を止めたホークスが、常闇を振り返る。常闇は、不満そうな顔をしていた。
「……ある。そう言われるのでは、と予想していたからな」
「あー、読まれてたわけか」
「もちろん、それだけが理由というわけでもない。俺自身があなたへの想いに確証が持てなかった時期もある。確認のため、というと聞こえが悪いが……結果としてはそうなってしまった」
常闇がホークスへの思慕の膨らみをどう処理すべきか迷っている時期。いずれ想いを告げるとしても、それは少なくとも数年後になるだろうと分かっていたからこそ、予想されるだろうリアクションや提案を想定して対策を練ることが唯一できることだった。
はぐらかされることも、諭されることも予想していた。すんなりと告白を受け入れられたこと自体は予想外だったものの、今のような質問については幾度となくシミュレーション済みだった。
「他の誰かを相手に手をつないだ時も、それ以上のことをした時も、今あなたとこうしている以上に気分が高揚したことはない。心から愛している相手とではないと、感じられない気持ちがあると知ったのは――」
「ちょちょっ、ストップ! も、分かったけん…」
常闇とダークシャドウの手で両手を塞がれているホークスは、隠すことのできない赤面した顔をどうにかしようと、歯を食いしばったり首を振ったりしていたが、どうにもうまくいかないようで、次第に苦悶の表情を強めていった。その動揺振りに、常闇が心配そうに声をかける。
「すまない、つい思ったことを――」
「ごめんっ! 俺やっぱ先帰る!」
剛翼の力を借りた勢いで一人と一個性の手を振り切ったかと思いきや、常闇が、あっ、と言う間に、地上数十メートルまで飛び上がっていた。そのまま、別れの挨拶もなく猛スピードで自宅の方角へと飛び去って行くホークスを、常闇とダークシャドウは呆気に取られたまま見送った。
「なあフミカゲ、さっきのって、チューするタイミングじゃねえの?」
深夜のせいか、妙に気の大きくなっている様子のダークシャドウが、常闇の肩をツンツンとつつきながら、下卑た口調でそう進言した。
「……ほっとけ」
常闇は、ホークスが去っていた夜空の向こうから、先ほどまで二人をつないでいた手の平へと視線を落とし、その一言だけを呟いた。