見聞
秋も深まり、博多に立ち並ぶビルの隙間にも木枯らしが吹き始めるころ。
常闇は、事務所のビルの屋上で再び自らを恥じていた。原因は、前の週半ばに迎えた自身の誕生日にある。
今年もまたひとつ年をとった。
自分も愛する人も息災でその日を迎えられた。
それだけで十分。それ以上に何を望むというのか。
そう言い聞かせることで、誕生日の直前まで心の奥底にかすかな期待を抱いてしまっていた自分を恥じた。
自分の「欲しいもの」としてソレがある可能性を、ホークスもうっすら考えているのではないか、とか。
踏み切るタイミングとしては、うってつけなのではないか、とか。
もちろん、そんな常闇の思惑を世間や敵が知る由もない。
誕生日前日は、ハロウィンイベントに乗じて暴れる敵を収拾するために、事務所総出で深夜まで対処することとなった。そして、遠距離広範囲に攻撃できる個性を持った敵を袋小路まで追い詰めたものの、あと一歩のところを近づけずに物陰でヤキモキとしている時に、日付変更線を超えた。
そんな状況で誕生日を迎えていたことに真っ先に気がついたのは、常闇自身ではなく偶然隣にいたホークスで、「あっ!常闇くん誕生日おめでとう!!」と元気よく叫ぶと、その大声に驚いて気を緩めた敵の隙をついて飛び出し、その場は事なきを得た。
──状況が状況だ。その瞬間を一緒に、しかもヒーローとして迎えられたのだから、むしろ喜ばしいくらいだ。印象的過ぎて、今後のどんな誕生日以上に記憶にも残るだろう。
どんなに納得しようとしても、期待していたのは事実だ。
その一件の事後処理を終えた数日後に祝ってはもらったものの、無論そんなことを考えていたとはつゆとも露呈させていない。
運命に邪魔をされたのであれば、それを受け入れるのが常闇だった。
まだ早いと、そう天は思っているからこそ肩透かしをくらったのだ。
それで終わればいいのに、欲望が、煩悩が、無限に肥大化していくのを止められない。
一人苦悶し頭を抱える常闇を嘲るように、カァ、と真っ黒なカラスが鳴きながら頭上を横切って行った。
カラスが飛んで行くのを見送り、その先にある山並みをぼおっと眺める。
旅がらすか。
俺も、いっそのこと長い暇をもらって武者修行にでも出るべきだろうか。
着けているのが普段愛用している集音性が高いヘッドフォンではないからと言って、常闇が自宅に入って来た時点で“感知”しないことはまずない。
つまり、聞こえないのではなく聞こえていても意識がいかないくらいに、画面に集中しているということだろう。
ホークスの自宅を訪ねた常闇は、玄関の方に向いたまま動かないホークスの背中を見てそう推察した。
一体何を見ているのか──さして考えもなくホークスが見入っているパソコンの画面を後ろからチラリと覗き込んだ常闇は、驚愕のあまり両眼をほぼ完全な円形になるまで見開いた。
その瞬間に、ホークス、と名前を呼んだ声が、常闇自身が思っていたよりも大きかったのだろう。
ヘッドフォン越しにでも耳をついらしい常闇の怒声に、ホークスは椅子から転げ落ちる勢いで慌てて振り返る。そして常闇の姿を確認すると、呆気に取られた表情を浮かべてから、全身を脱力させるのに合わせてズルズルとヘッドフォンを外した。
「あ~常闇くんか。ビックリした~」
「……何を、見ているんだ」
常闇の質問に、まだ驚いている様子のホークスは、さっきまで見ていた画面と常闇との間で視線を往復させてから、ああ、と頷いた。
「何って、あ~~、アナルセックスのAV」
「……なぜ」
「見聞を広げようかと思って……」
「……おふざけで?」
「いや、割と本気だけど……その、想像してたよりハードで、ついつい見入っちゃった」
ワハハ、と誤魔化したいのかそうでないのか、常闇には思惑の読めない豪快さで笑うホークスに対して、常闇自身は完全に精神を憔悴しきっていた。
そしてそのまま、形容しがたい感情にわななく拳を握りしめ、何かに耐えるように、その場にしゃがみ込んだ。
大丈夫?お腹痛いの?と見当違いの心配をしながら歩み寄って来たホークスが、同じように横にしゃがみ込んで蹲った常闇の背中に手を置く。広がった剛翼で、常闇の頭上に暗い影が落ちた。
「この際だ、ついでに聞きたいことがある」
「うん?」
「ホークス……俺が異形のものだから、そういう欲求が沸かないということはないか?」
その問いを常闇が発してから数秒の沈黙、の後、ホークスは表情を変えずに、項垂れた常闇の額を人差し指で弾いた。しっかりと力が込められた指に叩かれ、バチリという鈍く重たい音と共に、常闇の頭が勢いよくのけ反った。
本気のでこぴんを受けた常闇が両手で額を抑え涙目になって悶絶するのを、ホークスが呆れた顔で見守る。
「やはり……」
「怒られるって分かってるなら、そんなこと言わないでくれるかな?」
「すまない、失言という自覚はある…ただ、万が一ということを考えてしまって、その……相手が俺じゃなければともしかしてと」
一度口に出してしまうと、弱音は糸でつながっていたかのようにズルズルと引きずられ出てくる。
異形も、別姓婚も、同性婚も、公的には許されている。だがそれは、社会的に受け入れられていることと同義ではない。
そんなことを気にしてはいない。恐らくホークスは常闇よりももっと気にしていない。それも分かっている。
すまない、と再度謝り、嘴の先を床に向けて項垂れる。そんな常闇を見て、やれやれ、と困った顔で軽い溜息を吐いたホークスが一言。
「常闇くん、意外とネガるとやねえ」
ますます居た堪れなくなった常闇は、何も言わずにダークシャドウを発動させた。