闇雲

 最近自宅の冷蔵庫の調子が悪い、と世間話のつもりで話したら、じゃあ俺が見てあげようか?と、思いも寄らない答えが返ってきた。
「見る?」
「うん。直せるかは分かんないけど。これで」
 これで、と言って指で摘まんでこちらに見せてきたのは、見慣れた赤い羽根だった。
「電化製品、というか機械は音で結構調子分かるから。前にうちのテレビの配線不良も感知できたし」
 説明されて納得した常闇は、その日の仕事終わりホークスと連れ立って自宅に帰った。
 冷蔵庫の場所を当然知っているホークスは、常闇に案内されるより先にキッチンへと向かった。丁度その時、常闇のポケットでスマートフォンが震え出す。
「悪い、実家から電話だ」
 常闇の言葉に、ホークスからは親指と人差し指でつくった丸が返ってきた。


 母親からの電話の内容は、大した話ではなかった。
 食事はちゃんと食べているか、仕事はうまくいっているか、何か困っていることはないか──
 両親の内、どちらかと言えば母親の方が心配性だが、かといって過保護というほどに干渉してくるでもない。こうした連絡もそう頻繁にかかってくるものではなかった。
 通話を終えた常闇がキッチンに戻ると、ホークスはすでに冷蔵庫の裏から出て、流しで手を洗っているところだった。
「お母さん?」
「そうだ。良く分かったな」
「ごめん、実は剛翼の感知の強度上げすぎちゃって、少し話聞こえちゃった」
「ああ、構わない。大した用事じゃなかったから、な………ホークス?」
 言葉の途中で、違和感に気がついた常闇がホークスの様子を伺った。家に着いた時とは明らかにちがう、青ざめた顔に合わない目線、一応笑顔ではあるものの、目付きは鋭く表情は強張っていた。
「いや、やっぱ、よくないのかなと思って。俺らのこと。もし知ったら、どう思うんだろ」
「俺の選択をはなから否定するような人達じゃないはずだ。それに、両親と俺は別の人格だ。気にすることは何もない」
 今のホークスには誰の言葉も聞き入れる余裕はなさそうだ。そう目に見えて分かるほどには動揺していた。カリカリと、キッチン台の角を指でせわしなくひっかく音。背中の剛翼が、怯える獣のように空気を含み天井に届きそうなほどに膨張している。近づけば噛まれるだけでは済まない、そんな気配を肌で感じて、常闇はその場を動けずにいた。
「そもそも、そう思えるっていうのが、常闇くんの育ちがいい証拠やけん。だからこそ、俺は絶対にそんな風には思えん。だって、親も人殺しで、そんで俺も──」
「ホークス!」
 それ以上口にさせてはいけないと、そう思うと同時に半ば無意識の内にダークシャドウを発動させていた。


 すべてを包み込む「胎」の中は、完全な闇になる。自分の手すらも形が一切見えない中で、自分のものではない過呼吸気味の荒い呼吸音を頼りに腕を伸ばす。丁度肩のあたりに手が触れた時、その肩がビクリと大きく跳ねた。その反応を受けて一瞬ためらいが生まれたものの、そのまま掴んだ肩を引き寄せ、闇雲に抱きしめた。
 ダークシャドウも、永遠に技を続けられるわけではない。部屋が薄暗かったのは幸いしたが、それでも体力の限界は訪れた。
 その体力の限界は、ダークシャドウか、それとも常闇自身か。
 胎がほどけ、腕の中で目を閉じているホークスの顔が見えるのと同時に、常闇自身も帳が落ちるように抗いようのない眠気に襲われた。


 ホークスを腕に抱きかかえたまま眠ってしまっていた。その経緯を常闇が正確に把握したのは、次に目が覚めた時だった。
 ひそひそと、誰かがしゃべる声で徐々に意識が覚醒していく。
 窓から差し込み月の明かりが青白い。その光に照らされて、ベッドに腰かけて会話をする2つの影が浮かび上がっていた。
 幼い頃、家族で遊園地に出かけた帰り道、後部座席でうつらうつらとしながら前の席の両親の会話を聞いていた時の感覚を思い出した。
 満足感と幸福感。守られているという感覚の中で安心して眠る頭に、平和の象徴のように響いてくる、話の内容は分からずとも楽しそうなことは分かる穏やかな二人の声――
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「……起きていたのか」
「さっきね。ダークシャドウが相手してくれてたよ。常闇くんが何歳までおねしょしてたのかも教えてもらっちゃった」
 イヒヒ、と顔を見合わせて笑うホークスとダークシャドウに、まだ目が暗闇に慣れていない常闇は瞼をごしごしと擦りながら横たわっていた体を起こした。
「それくらいなら別に構わない。ダークシャドウは、もっと恥ずかしいことも知っている」
「何それ? 気になるなぁ。ああ、俺たちをベッドまで運んでくれたのもダークシャドウだってよ。ありがとね」
「そうか、すまなかったな」
ダークシャドウを労いながらベッドの端まで這って行った常闇がそのまま腰かけると、ダークシャドウは気を効かせたのか、ホークスと常闇の間にいた自分の体を、常闇の反対の肩の脇へと移動させた。
「少々、いいだろうか」
 常闇がそう話を切り出すと、ホークスは床に下ろしていた両脚をベッドの上へと引き上げながら、なに?と何気ない口調で返してきた。
「俺は、物心ついたころから今まで、本当の孤独を知らずに生きてきた」
 常闇は膝に肘をついて顎を手で支え、月明りで雲の形が分かるほどに明るい窓の外の空へと目を向けて話を続けた。
「この見た目だ。差別意識の強い地域に住んではいなかったとはいえ、幼い頃は周囲の人間に遠巻きにされたこともある。それでも、俺はひとりぼっちになることは絶対になかった」
 そう言いながら、常闇は手の甲で傍らを漂うダークシャドウの嘴を撫でた。心地よい薄暗がりの中でまどろんでいたダークシャドウは、常闇の行動の意図は分からずとも機嫌良さそうに微笑んでいた。
「そっか、個性が発現してからはずっと一緒だもんね」
 ホークスは抱えた両膝に頭を預け、下から見上げるようにして、よく馴れた猫のように甘えるダークシャドウに視線を送った。
「ああ。だから……俺はあなたの淋しさを本質的には分かり得ないような気がしている」
「いいんだよ、別に分かんなくて。俺だって、一人から一気に三人になって、一人だった時のことはもう思い出せないくらいだし。それに、俺ともずーっと一緒にいてくれるんでしょ?」
 ホークスの視線がダークシャドウから常闇の顔へと恐る恐る移ってくる途中、月明かりを受けた黄金の瞳がライトを受けた宝石のように光を反射した。それを注視していた常闇は、自らの肩をダークシャドウが隣からグイグイと押してくるのを感じたが、上半身に力を込めることで押し返した。「絶対イマダロッ!」とホークスに聞こえないくらい小さな声で囁かれたが、無視する。
「無論、そのつもりだ」
 常闇の返事を聞いて、ホークスが照れくさそうに微笑む。常闇は、もう寝よう、とホークスを促し二人でシーツにもぐりこんだ。
 横になっても尚、嬉しさと恥ずかしさに綻ばせた顔で自分の方を見ているホークスの顔を見て、常闇は唾を呑んだ。
 自らに向けられる愛情が、幼子が親に向けるものと同じくらいに純粋なものであること。それは喜びであると同時に、どうあっても“望まれていない“ということの表れにも感じられた。
 自分の中に湧く後ろめたさと居た堪れなさを誤魔化そうと、シーツの中を手探りにホークスの手を見つけ、そのまま指を絡めるようにして固く握りしめる。
「……ダークシャドウは、“いきすぎた個性”だ。以前にも話したが、真夜中の暗闇で敵に襲われた際には俺自身にも制御不可能なまでに暴走した」
「雄英の、一年生の合宿の時か」
「それと同じように、自分で自分が抑えられなくなるんじゃないかと、少し不安になる時がある」
「……どんな窮地でも冷静なのが、君の長所のひとつだと思ってるけど」
「だと良いが。感情の制御は、時に個性の制御よりも難しい。ダークシャドウも……あなたへの思いも、この身には余る、と感じることがある」
 常闇が吐き出した言葉に、返事はなかった。その代わりに、つないでいるホークスの手に、ぐっと強い力がこもった。
 意思を感じさせてくれる力に、安心して、堪らなくなった。
 だが、持て余すほどの想いも、言葉にすれば軽く聞こえる。そう分かってしまうと「おやすみなさい」としか言えなかった。
 ああ、心臓の音が言葉の代わりに訴えてくれないだろうか。


 やみもくももかきわけてきれいなつきあかりのもとであなたととびたい

<<秋の夜長いたいのいたいのとんでけ>>