告げる

 福岡から和歌山まで、直線距離にしておよそ500km。双方身一つで飛んで移動する間、ホークスは終始無言だった。
 付いてくるか、と。そう常闇に声をかけてきたのはホークスの方だ。
 唐突な提案に対してほとんど考えずに了承した常闇は、どこに向かっているのか、何のために向かっているのかさえもハッキリとは伝えられていない。それでも、向かっている方角から道中うっすらと察しはついていた。
「──よっ、と」
 平地を見つけて地上に降り立ったホークスに遅れること数秒、常闇が地面に足を着いたタイミングで強い風が吹きつけた。よろけかけた体勢を焦ることなく立て直し、改めて降り立った場所──群訝山荘跡地──を見渡した。
 先の大戦で二度に渡って主戦場となったその場所はすっかり荒れ果て、人が活動していた頃の面影はほとんど残っていない。
 それでも、植物たちは逞しい。ほんの数年で山荘の瓦礫をものともせずに蔓延った草木たちは、常闇の身をよろけさせた風でこすれ合い、ザアザアガサガサと、来訪者を歓迎しているとは思い難い荒々しい音を響かせている。この地で潰えた者の数の多さを思えば、怨霊の呻きにも思えた。
「こっちだよ」
 不気味さをものともせずに軽々と歩き出したホークスを追いかけ、瓦礫の山谷を超えていく。
「直接降りると危なくってね」
 かつて手すりだった鉄の棒や、建物の壁だったコンクリートの塊が積み重なった一角。ホークスが足を止めたその場所が、周囲とどう違うのか、常闇の眼には区別がつかなかった。
 唯一目につくのは、石、にしては大きく、岩と呼ぶにはやや心もとない、小さな子供くらいのサイズのコンクリートの塊。他の瓦礫から距離を置いた位置にポツンと置かれた不自然な石。
 恐らく墓標だろう。常闇は心中で推察し、目を細めた。
 案の定その石の前で足を止めしゃがみ込んだホークスは、上着の懐から取り出したどこでも売っているコーヒーの缶を地面に置いた。
「当時本人から話を聞いたり俺が調べた限りじゃ、分倍河原に家族と言えるような人はあの時点ですでにいなかった。まあ、彼にとっては連合の面々が家族同然だったのは間違いないだろうけど、彼らも今は自由の身じゃない」
 淡々と説明をする声を、常闇は1歩後ろに立ったまま聞いていた。
「死んでほしいくらい憎いやつにお参りされても、かえって成仏できないんじゃないか、とも思う、けど」
 淡々と紡がれるホークスの声を聞きながら、同時に、喉の奥からせり上がってくる形容しがたい感情を持て余していた。
 自分がなぜここに居るのか、居るべきなのか、居てもいいのか。不安と焦燥感。可能ならば逃げ出したいと思うほどに気分が落ち着かなかった。
「そうは思っても、彼のことを忘れないようにすること以外、俺にできることがないんだよね」
 話の終わりを示すように、グローブを嵌めた両手を額の前でそっと合わせる。常闇もそれに倣い、立ったまま両手を合わせ、両瞼を閉じた。
 暗闇のなかで風の音に耳を澄ます。頭の中を巡っていたのは、過去の戦いのことでも、その時に散っていった魂たちのことでもなかった。
 自らが薄情な人間とは思わない。敵とされた人々の無念に向ける情はある。
 それでも、今この瞬間、目の前で手を合わせるその人のこと以外の、他を考える余裕がまったくなかった。
「常闇くん」
 呼びかけに、体が反射的に反応し瞼を持ち上げた。しゃがみ込んでいたはずのホークスは立ちあがって石に背を向け、缶コーヒーを常闇に差し出していた。
「あげる。もったいないから」
 常闇がそれを受け取ると、空いたホークスの手はふたたび上着の懐を探り、同じ缶を取り出すと即座にプルタブを引いた。常闇もその後を追って缶に口をつける。コーヒーの苦味を、砂糖の甘さが凌駕しているその液体は、長距離飛行の疲れを癒してはくれても、さきほどからグラグラと揺れ続けている常闇の心を抑える効果は無かった。
「今日、ついてきてくれてありがとう」
 早々に自分の分を飲み切ったホークスが、缶を持った手をブラブラと振りながら感謝の言葉を口にする。他には何も言わず、ただその一言だけを口にして、後はただただ微笑んでいる。
 石の前で手を合わせている時から、否、ここに来るまでの空でもずっと、常闇は目の前で笑っている男のことだけを考えていた。
 今日だけじゃない、その前からずっと。
 ここ数年の間、胸の奥底に溜めては、時折取り出して自問自答し、そして結局は肯定せざるを得ないと認め、また奥へと仕舞い直してきた感情。
 いずれ告げねばならぬ時が来る。それは分かっていた。毎日のように本人を目の前にしながら隠し通すには余りに重く、そして今なお日々育ち続けているのだから。
 いずれ耐えきれなくなる日が来る──だが、それが今とは。
 この場所に淀み溜まっている多大な慚愧の念が、常闇の衝動を抑えている理性の枷を外させたのかも知れない。と、強い風で乱れた外套の裾を直しながら思う。
 自分が大戦終結以来はじめて訪れたこの場所が、彼にとってははじめてではないこと。
 去年の今日も、その前の年の今日も、こうしてここに降り立ち、そしてひとりで石を相手にコーヒーを飲んでいたのか。
 否が応でも頭の中をめぐる孤独な想像が、もう抗うな、と事を急く。
 耐え忍んできた想いの怒涛。焦燥が、切迫していた。
「ホークス」
常闇が呼び掛けると、周囲の様子を観察していたホークスの目が常闇へと戻った。ん?と首を傾げ、そして、恐らく強張っているだろう常闇の表情から異変を察したのか、怪訝そうに眉をひそめた。
「なんか…大事な話?」
 外したヘッドフォンを首元へと移動させる。聞こう、という意思を示され、常闇ももう後には引けなくなるのを感じた。
 二人の間にあいた数歩分の距離を詰めることはせずに、その場でホークスを見つめ返し、コクリ、と首を縦にふった。
 風は止んでいた。
静まり返った草木が再び騒ぎ出す前に、頭をもたげ始めた理性に阻まれてしまう前に。
 この機を逃してはいけない。そう意を決し、糊で貼りついてしまったかのように重く固い嘴を、慎重に開いた。

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