進路の話
「ホークス、今日は返事を聞かせてもらいに来た」
常闇が福岡にあるホークス事務所を訪ねたのは、学校のない土曜日の午前中だった。
常闇たちの雄英高校での生活も3年目を迎え、もっぱらの話題となるのはやはり卒業後の進路についてだ。同級生たちの希望を聞くと、インターン先のヒーロー事務所にそのままサイドキックとして就職するという選択をする者が多い。そして常闇も当然そこに含まれるだろうと、周囲の人間はもちろん、常闇自身もそう考えていた。
「ホークス事務所のサイドキックとして、卒業後も共に活動したい」
決して烏滸がましい申し出だとは思わなかった。むしろ、烏滸がましいと思うことの方が失礼に当たるくらいには、彼から学んで成長してきたという自負があったし、必ず役に立てるはずという自信もあった。年月だけでは測れないくらい濃厚な、数多の困難を共に乗り越えてきたという経験。そこから醸造してきた二人の間の信頼関係を考慮すれば、断られるはずがないと、そう結論づけた上での、半ば儀礼的なサイドキック入りの申し出だった。
そのつもりが、前回のインターン時にいざ申し出ると、その場ではまさかの「あ、そうなんだ」の一言で済まされてしまった。
その後もホークス側からはなんの回答もないまま、あっという間にひと月が経った。催促のメールを送った。無視された。もうひと月が経った今日、常闇は福岡に飛んだ。
事前に事務所のサイドキックヒーローとだけ連絡をとり、ホークス本人が事務所にいることは確認しておいた。そういった点で抜け目がなくなったのは、これまでのホークスとの付き合いの賜物かもしれない。
突然現れた常闇の行動と、事務所に入って来た瞬間から発されているただならぬ気配に、さすがのホークスも動揺を完全には隠せず、デスクの正面に立って視線で圧力をかけてくる常闇を前に、気まずそうな表情で頬をかいていた。
「あー、はいはい。あの件ね」
そう言って、バサリ、と手にしてた書類をデスクに放ると、明後日の方向に逸らしていた視線を動かし、常闇の方へと向き直った。立ってホークスを見下ろす常闇の横には、どこか心配そうな表情の黒影ダークシャドウが漂い、二人の顔を交互に見比べていた。晴天の朝、気が弱くなっている黒影には気の重い緊張感だった。
数秒間の張り詰めた沈黙を、ホークスの長いため息が破った。
「……常闇くん、おれがこの事務所開いたのがいくつの時か知ってる?」
ホークスの突然の質問に、意図の読めない常闇はムッと眉間にしわを寄せ、頷いた。
「18の時だろう」
「で、君今年何歳になるの?」
「……18だが」
「正解。つまり何が言いたいって、うちのサイドキックなんてちっちゃいこと言ってないで、立ち上げちゃいなよツクヨミ事務所」
ホークスがビシッと突き出した人差し指が、くちばしを開いたまま言葉を失っている常闇の顔を指す。
「いや、それはさすがに……」
「先の大戦での君の活躍は、世間も銀行もみんな知ってるし。なんとかなるんじゃない?」
あっけらかんとした顔で、こともなげにホークスは話を続けた。突然の提案に、常闇はポカンと口を開いて驚いていた状態から、徐々に、両手で頭を抱えて悩むポーズへと変わっていった。速すぎる男の会話展開の速さにも大分慣れたつもりでいたが、まったくついていけていない。
そんな常闇の様子を見て、ホークスは嬉しそうに笑っていた。可動式の所長椅子を蹴り飛ばして反動で立ち上がると、足早にデスクを回り込んで常闇の傍へと歩み寄った。
「まあ、経営とか営業とか大変だと思うけど、そこはさ、優秀な現役ヒーローをサイドキックで雇ってサポートしてもらったらいいじゃないの」
そう言うや、はいっ、と右手を顔の高さまで挙げ、自分の存在をアピールする。ホークスが何を言わんとしているのか、常闇もさすがに理解した。
「俺でよければ、サイドキックにどう? ヒーローとしての素質は悪くないと思うんだけど。まあ、ちょっと後ろ暗いところもありますが」
「それはもちろん、願ってもないが、ホークスは…それでいいのか?」
「俺が自分の事務所を開いたのも、目立って活動したのも、公安の命令ってのが一番の理由。本当はチャート上位なんて目指さないで、注目の当たらないところで気楽にやりたいのよ、俺は。今はもう自由の身だし、事務所だっていつ畳んでも構わないと思ってたとこ。いや~有名事務所のサイドキックなんて、地味だけど自由に動けて俺にぴったりだな~」
「ちょっと待ってくれ…思考が追いつかない」
話し始めてからずっと、常闇はホークスに誘導尋問をされているような気分だった。ふた月前の自分の申し出を受けてから、急遽この代替案を思いついたのだろうか。それとも、それ以前からこのつもりだったのか。ホークスのこの”目標”が、一体いつから計画されていたものなのか、考えると空恐ろしかった。
頭を抱えて唸る常闇に、ホークスは「あ」と何事かを思い出し、更に追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「別に、俺だけの事情ってわけでもないよ。常闇くんの性格とかいろいろ考えても、この方が良いと思って。だって君、実はかなり負けず嫌いじゃない」
「は?」
「え? そうでしょ?」
「いつから…なぜ、そう思ったのか聞いてもいいだろうか」
「いつって、最初に体育祭の映像見た時。3位になったのに表彰台で全然嬉しそうじゃなかったから。1番以外じゃ納得できないタイプなんだろーなと思って、それも君が気になった理由だったんだよね。まわりに血気盛んな友達が多いから、自覚ないかも知れないけど。最初に職場体験に来た時も、俺にないがしろにされて内心でハラワタ煮えくり返ってたでしょ?」
その指摘はおおむね正しかったので、常闇は何も言えなかった。随分と昔のことを今更になって引っ張り出され、強い羞恥にも襲われていた。
「誰よりも強くなりたい、周囲の人にも自分の実力を認めさせたいって、そう強く思ってるからこそ、君は強いんだよ。そういうタイプは、ちゃんと自分の名前を看板に掲げて活動した方がいい」
「そう、かも知れないが」
「ま~、あんな、同世代が化け物ばっかりの群雄割拠の中でトップ目指すなんて、俺がNo.2になった時とは比べもんになんないくらい大変だと思うけど」
うんざりとした顔で宙に視線を泳がせるホークスの頭の中には、恐らく1、2年生の時点で現役プロヒーロー以上に活躍していた面々が浮かんでいるのだろう。常闇も級友たちの顔を思い浮かべた。誰一人とっても、常闇にとってはかけがえのない存在だ。共に死線をくぐり、実力も人格も認めている。だが――
「もちろん……やるからには誰にも負けるつもりはない」
「お!いいね~、やる気満々!」
ぐっ、と親指を立て嬉しそうに笑うホークスを、徐々に事態を飲み込み始めた常闇も、しっかりとした目線で見つめ返した。その時ふと、出会った時にはわずかに見上げる位置にあったはずのホークスの顔が、いつの間にか同じ高さにあることに気がついた。卒業まであと少し、目線の高さだけでなく立場も対等に近づくのだと実感すると、途端にえも言われぬ喜びが胸に押し寄せた。
飛べるなら飛べ、やれるならやれ。シンプルな教えに変わりはない。出会った時からずっと、こうして想像もしていなかったような高さまで半ば無理矢理に引き上げてもらってきたからこそ、今の自分があるのだ。師の相変わらずの口車に乗せられているだけだとしても、断る理由などすぐにはみつからなかった。
「本気でNo.1ヒーローを目指すっていうなら、いくらでも背中押すよ。マイヒーロー」
目線を合わせたまま黙っていると、だめ押しの言葉がホークスから投げかけられ、常闇の背筋が興奮に震える。口車に転がされるのが、癖になっていやしないかが少し心配だ。
「……前向きに検討させてもらう」
常闇がそう返事をしながらホークスに向かって親指を立て返すと、固唾を飲んで会話の行方を見守っていた黒影が嬉しそうに二人の周りをくるくると回り始めた。