薬を塗る
発信元は静岡のエンデヴァー事務所、電話を受けたエンデヴァーに呼びかけたのはキドウだった。
「この前頼まれた過去の事件の資料、見つかりましたよ。端末にもデータで送りましたけど見るのに手こずるかも知れないんで、概要だけ口頭で伝えます。場所は福岡市外、別件捜査の途中で、路肩に停まっていた乗用車を盗んで逃走しようとしていた鷹見を確保。そのまま警察に引き渡しています。その後鷹見の余罪が殺人をふくめ複数発覚、現在も収監中みたいですね。ただ、鷹見自身は強個性じゃありません。タルタロス収監の必要はなしということで、今回のダツゴクにも含まれては――
「橙矢が言ってたこと、わざわざ調べてくれてたんですね。ありがとうございます、エンデヴァーさん」
ジーニストがシャワールームから出ると、ホークスが誰かに向かって喋る声が聞こえてきた。今この場に自分とホークスしかいないはずの状況を踏まえ、電話だとすぐに察する。
ベッドに腰かけシャワールーム側に背を向けた状態のホークスは、電話越しの会話を続けている。
「でも、俺に謝る必要なんてないですから。そんなことより、あなたはあなたのご家族のことだけ考えてください」
両膝に肘をつき、やや前かがみになって電話をする背中。
ジーニストはシャワールームを出てすぐの壁に肩を寄りかからせ、会話の欠片に耳を傾けながらその火傷痕で覆われた肉の隆起を眺めていた。
「情報がまとまり次第、こちらと合流できるよう手配しますんで。まずは、ご自身の体の回復を最優先でお願いします」
じゃあおやすみなさい、と、会話を終わらせる合図が聞こえたところで、ジーニストも壁から体を離しベッドの方へと足を進める。
電話を切ったホークスは、サッと背後を振り向き、ジーニストに向かって両手の平を合わせた。
「すんません、気ぃ遣わせました。やっぱ俺ホテルとか取るべきでしたかね」
「今出たところだ。それに、二人一緒の方が防犯上都合がいいと提案したのはこっちだ、電話くらい好きにしろ。それより、ソレ、背中は自分じゃ塗れないんじゃないか?」
ソレ、と指さしたのはベッドの上に放り出されていた塗り薬のケースだった。中央病院で処方されてきたそれを脇に置いたホークスは、ジーニストよりも先にシャワーを出たのに未だ上半身に何も身に付けていない。
「あ、そうそう。ちょうど電話かかって来たんで忘れてました。困ってたんスよー、コレ」
貸せ、と手を差し出したジーニストは、ホークスが手渡すよりも先に、自らその薬を手に取った。ホークスの隣に腰かけ、指先だけで体の向きを変えるよう促す。
無意味な遠慮をしない鷹は、素早く両脚をベッドの上に上げると、ジーニストに背中を向け膝を抱えた。
「お願いします」
描かれるのを待つキャンバスのようにじっと動かない、視界を邪魔するものの無い広い背中。
背中を超えて、肩や首に至るまで。元々の肌の色と思わしき面積の方が少ないくらいに赤く爛れた肌は、それでも、自然治癒に頼れば今の状態まで回復するにも数ヶ月はかかっただろう。敵側の残した記録映像を思い起こし、そう想像する。
一番色の濃い肩甲骨あたりが、恐らく個性である翼が生えていた部分か。引き攣った皮膚の禍々しい赤銅色から、燃やした相手がその箇所へと向けた執念が伝わってくるようだった。
「羽が使えないと、信じられないくらい不便です」
ジーニストが薬を塗り始めてすぐに、ホークスが正面を向いたまま呟いた。
「そうだろうな」
「でも、なくなったおかげで、しょうがないと諦めがつくようにもなりました」
「何をだ?」
「俺は強欲なんで。たとえ自分と無関係でも、救えるものはとりあえず救っておこうの精神でやってきたんです。でも今は、本当に救いたいものだけを救おうとしてる」
「へえ」
「今の俺は、世界の平和よりなにより、あの家族の幸せを願ってる。まあ、あのお宅にとってなにが幸せなのかは知らんですけど」
アハハ、と乾いた笑い声をあげたせいでホークスの背中が揺れると、ジーニストは塗りにくさに顔をしかめ、一旦手を止めた。
「本当の俺は、実はずっとこうだったんじゃないかとさえ思います。市民とか社会とかどうでもよくて、自分の大事なものだけ守れればいいっていう、一番ヒーローにしちゃいけないヤツ。……この個性も、俺を縛ってたもんのひとつだったみたいで。ほらあれ、個性尊重時代になってからよく言われるじゃないですか。個性は親からの贈り物、ってやつ」
「個性はその能力の中身よりも、どう使うかの方がもっと重要だがな」
「あの金言の通り、俺の個性はまちがいなく両親譲りなんですよ。見た目も能力も」
突然始まった独白めいたホークスの話の隙間、ジーニストが試しにと挟みこんでみた正論は、あっさりと無視される。
この男、どうやら会話をするつもりはないらしい。そう悟ったジーニストは、そこからしばらくの間、口を閉ざして目の前の痛々しい火傷痕にだけ意識を向けることにした。
「俺が親からもらったものって、この個性と……あとは元々の名前のふたつだけで。で、名前は早々に捨てちゃって、名前と一緒に全部切り捨てたつもりでしたけど、それでも、この個性を背負ってる限りはどこか逃れ切れない感覚がずっとあった。あの人達とのつながりを感じるからこそ”正しく使わないと”って思わされる」
ホークスの右手が宙に持ち上がる。存在しない自らの羽を弄ぶように五指がバラバラに動き、最後に、グッと力強い握りこぶしをつくる。
「俺がこの個性を自ら捨ててしまわずに今までやってこれたのは、エンデヴァーさんがヒーローっていう道筋を示してくれたおかげです」
「相手のまったく意図しないところでな。ヒーローにはありがちな話だ」
「ヒーローにはね。……でも親としてはどっちが良かったか分かりませんよ? 個性ごと忌み嫌われるか、個性としてしか愛されないか」
「結果だけ比べてもしようがないだろうよ」
「それもそーだ。とにかく、俺は、あの人にただただ救われただけです。謝られるようなことは何もされていない」
「なら、本人にそう言えばいい」
「言えればね」
「言えるだろ」
「言えません」
「なら私にも言うな」
青筋を立てたジーニストが怒声にも近い苛立ち露わな声色で吐き捨てると、ホークスが心底おかしそうに笑う。
「すんません。ジーニストさん真面目に相手してくれるんで、つい」
謝罪の意思が感じられない軽い言い方に、ジーニストは、ふん、と不満そうに鼻を鳴らした。
「いい名だと思うがな、啓悟。いいじゃないか、鷹見啓悟。ヒーロー名よりもおまえに合ってるんじゃないか、なあ啓悟」
傷に塩を塗り込むように力強く薬を塗りたくりながら、明瞭な発音で名前を連呼する。ホークスは強すぎる指の力に、いてて、と上体を捩りながらも、まだ笑い続けていた。
「どーもどーも。でもそれ言ったら、あなただって――」
そこで、はた、と笑いと言葉を止め、真剣な面持ちの口元を手の平で覆う。
「……あれ? ジーニストさんの本名ってなんでしたっけ」
「本気か?」