じゆうにどこまでも
原因はおそらく身体ではなく、精神的なものです。
ホークスは、午前中に受けた診察で医師が口にしていた言葉を脳内で反芻していた。
空を見上げれば、青空の真ん中を薄い筋状の雲が北から南へと走る、冷えた空気さえ心地よく感じるような気持ちの良い晴天だ。
すじ雲は空の高い位置にできるから、こんな天気の日には雲や日差しに邪魔されず空を気持ちよく駆けられる。
過去に経験していた爽快感を思い起こしてみても、飛びたいという欲求はわかなかった。
『羽の量にも、全身の傷の治りにも問題ありません。であれば、可能性としては意志の欠如でしょう』
個性の使役や進化には、血統や環境以上に「感情」が重要である。
そう認識が改められたのは、先の大戦で得られたデータの分析が進んでからだ。
ホークス自身はOFAの宿主であったデクやAFOと死柄木との接触の中で、すでに感覚的に知りえていた。
それゆえに、医師の説明も納得して受けいれていた。
かつて自らを救ってくれたエンデヴァーは、プロヒーローとしての重圧からは自由になった。すっかり籠の外とは言えないまでも、自分に出来ることはもう無い。
後進は次々に育っている。より強い個性と、より強い心を持って。
ヒーローではあり続けたいが、派手な個性よりも、経験のなかで身につけた判断力や統率力を活かせればそれで十分。
また飛びたいと、そう強く思えない理由に、合理的でそれらしい筋道はつけられる。
本当のところは、失ったときに感じたいくばくかの解放感が忘れられないのだろう。
ただ、この羽が嫌いだっただけだろう。
飛べる奴は飛ぶべき、なんて偉そうに言ってた奴がこの様か。
3階建てのビルの屋上から、手すりの向こう側へと体を乗り出した。
眼下の歩道には、警察と話をしているインターン生の黒い姿がある。
恐らく、この後の警備について打ち合わせているのだろう。剛翼で音を聞くまでもない。
この手すりを乗り越えて、飛び出せるか。
以前なら、風向きや空気の重さから、まるで空中に線が見えるかのように一瞬で飛行のラインを思い描くことができた。鳥と違って浮力を考える必要はないとはいえ、風に乗った方が楽なのだ。
でも今は、乗り越えたそのまま、無様に宙に放り出され、地面にしたたかに打ち付けられる様しか想像できなかった。
たかだか10数メートル。
それすらも怖い。
乗り出していた上半身を元に戻したホークスは、緊張で詰まっていた息を吐いてからおもむろに革のグローブを外した。
素手の右手を上着のポケットに突っ込んで取り出したのは、数日前に常闇にもらった指輪だった。
日差しを受けて磨かれたシルバーが白く光る。異様な存在感を放つ、歪みの無い金属の輪。
受け取れないのなら捨てて欲しい、と。
真剣な面持ちで添えられた言葉に、中身の分からないホークスには曖昧な返事しかできなかった。自宅に帰ってから小さな箱の中身を確認して、渡された時の緊張感の理由が腑に落ちた。
この贈り物を受け取ってしまったら、覚悟をしないといけない。
見守る者でも見送る者でもなく、寄り添い飛び続ける者でいることの覚悟を。
オールマイトとOFAの秘密が明らかになったことで、AFOによって奪われそのまま消失した個性群に対して「残り火」の存在が希望として示された。
「残り火」を核とし、セントラルの医療技術と巻き戻しの個性によって失われた個性の復元が可能になったのだ。
そして、その復元にあたって必要となったのも「感情」だった。
個性を取り戻したいという強い気持ちがある者は成功し、無い者は失敗した。
個性を取り戻したいかと尋ねられた時に、ホークスには即答ができなかった。
あるに越したことはない。なんて、感情としては弱すぎる。
それに、失った時に感じた解放感も脳裏をよぎった。
「一緒に好きに飛ぼう」と誘ってくれた、今は亡き人の笑顔も。
気持ちの整理のつかないまま日々を過ごす中、
「いつかまた、あなたと飛びたいな」
右隣の少し低い位置から発された控え目な呟きを聞いた時にはじめて、微かに背中が疼いた。
思い返せば、彼なのだ。
――個性があって良かった。
そう思ったのは、初めて人を助けた時でも公安に才能があると拾われた時でもない。
――光にはなれなくても、光を支える影にはなれる。
そう思えたあの瞬間を、また味わえるのならあるいは――
「ツクヨミ!」
下界に向かって大声で呼ぶと同時に、ホークスは足元のコンクリートを蹴り手すりへと飛び乗った。
声に反応して上向いた常闇が、ホークスに気づいておどろきの表情を浮かべる。それと目を合わせたのは一瞬だけ、すぐに手すりを乗り越え頭を下にして飛び降りた。
自分の体が重い。その分落ちるスピードも速い。それでも、心臓の早鐘を打たせる恐怖心はむしろ高揚感に感じられる。
飛べる。
たとえ飛べなくても、受け止めてもらえるから大丈夫。
常闇が伸ばした手に届く直前。地面までおよそ2メートルの位置で、落下を続けていたホークスの体が90度向きを変えた。そのまま常闇の頭上を越えて飛んで行くと、スピードを緩めることなく街路樹にぶつかって動きを止めた。
「ホークス?!」
ドシャドシャと激しい音をたてながら枝と一緒に地面に落ちたホークスに、常闇が慌てて駆け寄る。
「はは、ごめんごめん……こんな、下手くそな飛び方はひさしぶり……」
落ちてくる葉と舞い上がった土埃にまみれたホークスが、起き上がらせようと差し出された常闇の右手に、左手を差し出した。
不自然に掴み辛い方の手を差し出されて不審がる常闇の目が、グローブをつけていない手の甲で光る指輪の輝きを見つけた。
あ、と常闇が驚きの声を発するのとほぼ同時に、ホークスが掴んだ常闇の手を、ぐい、と強引にひっぱる。体勢を崩して倒れ込んだ常闇の体を、そのままホークスの両腕が抱き締めた。
「ありがとう。背中押してくれて」
常闇の頬の羽毛に顔をうずめ、高揚し弾んだ声で告げる。
「俺も、君と一緒に飛びたい」
自由に、どこまでも。