ほしいもの
運よくヴィランやダツゴクの蹂躙を免れた郊外の墓地には、荒廃し切った世間から隔絶された、まるで別世界かのごとく静かで穏やかな時間が流れていた。とはいえ、晴れやかな日差しは徹夜続きで充血し切った目には凶器にも近い。
血走った目の先では、墓前に供えられた花がどこからともなく吹いてくる風に揺られてさわさわと揺れている。
するり、と花と花の隙間から滑り出てきたのは赤い花びら、ではなく小さな一枚の羽根だった。墓石の前で踊るその羽に手を伸ばし、えいやっと掴む。手の中で暴れて逃げようとする羽を掴んだまま、首を後ろに反らし、頭上に目を向けた。
「……羽、まだ少ないんじゃないですか? こんな変なことしなくていいですよ」
バサリ、と音をたてながら青い葉を茂らせた栴檀の木の枝がおおきく揺れる。地面へと降りてきたホークスは、右手を額まで上げて敬礼のポーズを取ってみせた。
「挨拶代わりです。もち、後で回収するつもりですって」
「この前も、棺桶の中に紛れ込ませてたでしょう」
「あれ、バレてました?」
「そりゃ、白い花の中に赤い羽根が混ざってたら目立つに決まってる。わざわざ葬儀場の近くまで来てたなら、ちゃんと参列してあげればよかったのに」
「んなこと言って、俺がいたらまずいでしょうよ。いろいろと」
「……あの羽は、一緒に燃やしましたよ」
「そりゃ、ちゃんと感知したんで存じてます。天国か地獄か知らないですけど、俺なんかの羽でも上へ昇る時にちょっとは役に立ったでしょ」
からっとした笑顔で言いながら、頭上を指さした人差し指をくるくると回す。
私はその指先が差す方向をチラリと一瞬だけ見上げてから、すぐに日差しの明るさに耐えかね俯き、一旦瞼を閉じた。次に目を開けた時、彼はこちらでも頭上でもなく、墓石を見つめていた。
「で、用件はなんですか?どうせ、墓参りなんかしに来たわけじゃないでしょ」
「あら、バレてます? ならさっさと本題に。あのー、俺が昔戦闘訓練で使ってたブレードって、公安のどっかにありますかね。当面の武器としてアレ使いたいと思って。羽がこんな有様なんで」
「……多分、探せばどこかには。戻ったら探してみます」
「ども。連絡待ってマス」
「他には…なにか必要なものありますか?」
「え、いいんすか。それじゃ遠慮な――」
「電池は、大丈夫ですか?」
彼の答えを遮って続けた私の言葉に、彼は不思議そうな顔で大きく首をひねっていたものの、すぐに記憶の中に心当たりをみつけたのか、今度は至極不満そうに眉を顰めた。
「やだなー、んな、どうでもいいことばっか覚えてて」
「……私たちにとっては、どうでも良くないんですよ。だって、あなたが“物”が欲しいとねだったのは、アレが最初で最後ですからね」
こちらから子供らしさを捨てるように仕向ける必要もないほど、はなっから子どもらしさの無い、考え方の現実的すぎる子どもだった。
『ホークス、なにか欲しいものはない? 訓練頑張ってるから、サンタさんが来てくれるかもよ』
サンタさんなどという戯言が、このおとなこどもに通じるとは到底思えない。
そう分かっているはずなのに腰を低くかがめて話しかける会長の必死さな有様には、いつもながら、子どもに対する不慣れさがモロに出ている。もちろん、不慣れなのは隣にしゃがんで様子を伺っている自分も同じだ。
肝心のホークスからの反応は悲しいほどに薄く、私は早々に「それ見たことか」と両手を上げて降参しようとした。と、その直前、蚊の鳴くような小さな声が、何ごとかを呟いた。
『……でんち』
『え? 電池?』
慌てて聞き返す。すると、彼は返事の代わりとばかりに、ずいとこちらに何かを差し出してきた。両手で鷲掴んでいるそれは、彼がここに来た時から肌身離さず持ち歩いているフレイムヒーローエンデヴァーのぬいぐるみだった。もちもちふわふわとしたフォルムは、ごつごつとしていかつい本物の男とは正直なところ似ても似つかない。
『……まえまで、おなかんとこ押すとボーって言っとったのに』
『ああ、そうか。電池が切れたんですね』
子どもの言いたいことが分かり得心したところで、そのぬいぐるみを受け取ろうと手を伸ばす。なのに、なぜか彼の方が一向に手を離そうとしない。それどころか、強盗犯を睨むかのような攻撃的な目でこちらを見てくる。ただ見せてきただけで渡すつもりじゃなかったのか。思い返せば、今まで組織のどのスタッフであっても、このぬいぐるみに触ろうとすると途端に嫌がられていたような記憶がある。
『……それ、ちょっと貸してくれないかな』
睨まれてもめげずに、ぬいぐるみの足を掴んだ手だけは離すまいと死守する。こちらのお願いに対する答えはもちろんノーだ。心底嫌そうな顔で「いや」と言われてさすがにちょっと傷つくが、こちとら公務員。市民の冷たい目線には慣れている。
『電池のサイズ! 知りたいだけだから! 分かんないと用意できないんだよ!』
『なんでよ! サンタさんなら分かるはずったい!』
などというやりとりをしていたら「調べれば分かるんだから、別に取らなくていいでしょ!」なんて、一方的にこちら側だけを叱って来たのが、今は墓石の下で眠りについている彼女だ。
こちらの唐突かつノスタルジックな揶揄いに対してうんざりとした顔をしていた大人の彼は、すぐにへらりといつもの調子の笑顔を浮かべた。
「おかげさまで、もう要らないですよ~。なんてったって、今じゃリアルボーが聞き放題なんですから」
「リアルボー……」
「そう、リアルボー。やっばいんだから、隣で聞くリアルボーの破壊力」
ニヤニヤと口角を上げながら力説されたところで、まったく羨ましくもなんともない。あの音を聞いても、うっかり書類が燃えてしまって要らぬ仕事が増えないか心配になるだけだ。
「彼も元気そうで、何よりです」
「元気元気! 俺らのNo.1は逞しいですよ。ご家族もみなさんお強いですしね」
「……そうですか」
「おれ、あの人たちを見てると元気出るんです。なんかいいっすよねー、家族って」
さらりと、こちらが口を閉ざさざるを得ないようなことを、平然とした顔で口にする。あの頃の哀れな子どもは、その言葉を口にした意図も思惑もあからさまにせずに、ただただ朗らかに笑っていた。
「……あの時、本当にいらなかったんですか」
「何がです?」
何が、と聞き返されてしまい言葉に詰まる。
しいて言えば――自由。
なんの枷も重荷もない穏やかで軽やかな人生。
人を傷つけることなく、ただ空を飛ぶためだけに使われる羽。
愛してくれるかも知れない母親と、もう一度だけでも真剣に向かい合うチャンスと時間。
思いついたどれもが、口にはできなかった。今更「本当は欲しかった」と、そう言われたところで、何が変わるというだろうか。何ができるというだろうか。
こちらが答えに窮して黙っていると、いつの間にか力の弛んでいた私の手の平の中にあった一枚の羽根を、ホークスはそっと自分の方へと引き寄せた。手で掴んだその羽根を顔の方へと近づけ、目を瞑る。
「俺ね、エンデヴァーさん達見てて、家族っていいなーって思った時に、ふとみなさんのこと思い出したんです。たぶん俺が知ってる家族みたいなのって、ギリ公安での生活なんでしょうね」
「……そりゃ、寂しいですね」
「はは、ほんとに。じゃあ、ブレード見つかったって報告、待ってますんで」
そう言ってさっさと向けられた背で、木に飛び上がるくらいの力しか備わっていない頼りない翼が、手のひら代わりにパタパタと揺れる。
飛ぶのではなく歩いて去っていく後ろ姿なんて、随分と珍しいものを見ている気がした。
墓地に生える木々の影の下を遠ざかり小さくなっていく背中を見つめながら、再び昔のことを思い出す。
そういえば、初めて出会った時の彼はまだうまく飛べなかったんだった。
自分の体さえ浮かせられない羽を懸命に羽ばたかせて、愚直に平和な世界を望んでいた。
あの頃と今とまったくちがうようで、何も変わらないようでもある。
欲しいと言えば、なんだってあげたいとすら思うのに。
それなのに、本当に欲しいものだけは絶対に口にしない。
「……知ってますかホークス。家族って、つくれるんですよ」
あなたが家族になりたいと、そう思える人と出会える日が来たら…
「その時は、さすがに私も泣くかも知れないですね。ねえ、会長」
ただの石に話しかけるのは、あまりに虚しい。
ホークスに負けず劣らず現実的な頭でそう理解してはいても、そうでもしないと自分勝手な未来の想像だけで今にも泣いてしまいそうだった。