ひとりふたり
全国的に大きな捕り物もなく、常と比べれば平和な一日が終わった。とは言え、自分の勤務時間が終わった後には近場で祭もあるし、残り5時間程度が平和な日のまま終わるかどうかはまだ分からない。
それでも、その時はその時、よっぽどのことでなければ自分以外の優秀な職員たちがどうにかしてくれるだろう。自分の働いている時間以外はそう割り切ってしまえる程度には、組織の一員であることに慣れた。
「――いや、だから、別になんもないっすよ。ちょっと疲れてるだけで。あと、買った棚が……や、なんでもないです。……はい。はいはい。……それより目良さんも、俺の心配するより、ほら、この前の健康診断の結果。アレをちゃんと受け止めてくださいよ……え? ……あ~、もう切りますんで。んじゃ、また」
帰路、目良からの電話を切ったホークスは、足元に俯いていた目線を進行方向へと戻した。幹線道路からは離れた住宅街の道。街灯は適切な間隔で灯っていて視界は悪くない。本来は人通りの少ない道だが、今日は体感で数倍は多い。幼児連れ、浴衣姿。擦れ違う人は、みんな笑顔だ。
車は便利だが、箱の中に入ってしまうと目も耳も感度が落ちる。実際に現場へ急行する機会が少なくなり移動スピードはさほど必要じゃなくなったのもあるが、生身の体ひとつのセンサーをフルで活用したいと思えば、歩くのが一番だった。
「弱くなった、って思われてんだろうな……」
ズボンのポケットに突っ込んだ携帯端末。さっきまでそれを使って話していた相手のことを思い出す。
大戦以降、目良はホークスを明確に上司として扱いながら、同時にヒーロー時代には触れることのなかった私生活に口を出すようになっていた。名前通りに目敏い彼は、些細な不調や気分のムラも見逃してくれない。
今日も、不本意ながら気持ちが落ち込んでいるのは間違いない。ただ――
「こんなしょうもない理由、言えんっちゃろ」
歩みは止めずに、空を見上げてため息を吐いた。
「え、なんで?」
ただいまよりも何よりも、まず口をついて出たのは疑問の声だった。
「すまない。合鍵を使って入らせてもらった。許可を取るべきだったか?」
「いや、そうじゃなくて……それ」
それ、とホークスが指さしたのは、常闇の目の前にあるハンガーラックだった。リビングの真ん中のスペースに完成形で立っている黒いスチール製のラックは、裸足で立っている常闇の背よりも大分高い。
「ああ。途中になっているのを見つけたから、気になってしまい。時間も持て余していたし……まずかったか?」
ついさっきの「許可をとるべきだったか?」とは違う、やや不安そうな声色で常闇がホークスを伺う。ホークスは、慌てて首を横に振った
「や、助かった。ひとりで組み立てるの面倒で、先週からずっと放置してたからさ。でもそうか、君たちは一人で二馬力か」
ホークスが家を出る時には、前の日に作り出して諦めたそのまま、段ボール箱から部品を取り出しただけの中途半端な状態で放置されていた。
自分で組み立てるタイプのデカい家具って、大抵「二人以上で組み立ててください」って注意書きがあるけど、前までは剛翼使ってどうにでもできたから気にならなかったんだよ。やっぱ人間って手が二本しかないの不便すぎない? かといって人に頼むほどのことでもないし、まあ一人でもできなくはないけど、なんか、不甲斐なさを実感したらテンション下がって放置しちゃって。
……とまあ、これはもう言う必要のなくなった愚痴だけど。
「どうせなら、一緒につくりたかったかな」
「それは悪かった」
「もし次があったら、その時はすぐに呼ぶよ」
「そうしてくれ。……そうだ、カバーはまだ着けていない。リバーシブルになっているから、どっちの色にするか聞いてからの方がいいかと」
そう言って常闇が手にしたのは、埃避けのための布製のカバーだった。青と黒。色が分かるように折った状態で手にしたそれを見て、ホークスが、んー、と首を傾げる。
「常闇くん、どっちがいい?」
「俺が決めていいのか」
「うん。だってこれ、常闇くん達用に買った棚だから。泊まる時の着替えとか溜まって来たし、まとめて置いといた方が便利でしょ」
常闇が手元の布に目を落としたまま、そうか、と小さな声で呟く。そのまま、困っているような喜んでいるような微妙な表情のまま、布の向きをひっくり返しては戻してを繰り返す。その様子を、ホークスは笑顔で見守っていた。すると、
「あれ?」
爆発音にも似た、空気を震わせる低い音。ふいに聞こえた不自然な音に、二人ほぼ同時に窓の方へと目をやった。窓の外、隣町であがった花火が遠くのビルの更に上に飛び出し、花が夜空を照らす。
「電気消そうか」
ホークスが部屋の端にある電灯のスイッチまで歩いていき、すべての照明を落とす。
暗くなった室内で、黒影のふたつの目が光り闇の中に浮かびあがる。その光が動くのを頼りにホークスも移動し、窓際にふたり並び立った。
「今日は花火の日だったんだな」
常闇が窓をスライドさせると、生温い空気が冷房の効いた部屋に流れ込み二人の頬を撫でた。花火の音はかすかに大きくなったものの、光よりも数秒遅れて響いてくるのは変わらない。
「偶然じゃなくて、知ってて来たんじゃないの?」
ホークスが声にからかいの笑いを滲ませて尋ねると、常闇は数秒の沈黙を置いてから嘴を開いた。
「……いけないか」
「いーや。嬉しいなあと思って。些細なことで悩めるのも、笑顔で一日を終われるのも、どっちも嬉しい」
「なら、来てよかったな」
「あ~花火見てたらかき氷食べたくなってきた。お祭りしてるところまで行ってみようか、歩いて」
ホークスの誘いに常闇が頷く。
「ああ。ただ、もう少しここで見てからにしよう」
二人の間に伸ばされた常闇の手を掴んだホークスは、賛成、と笑顔で応えながら、熱を帯びた指先同士をゆっくりと絡めていった。
おわり
2025年8月16日