かはたれどき

 

常ホー(未満)怪談小話
2023年夏に書いたものをサルベージ
語りは梅雨ちゃんです

 これは、私が同級生の男の子から聞いた話なんだけどね。
 その年の夏、彼は夏休みのひと月を瀬戸内海のとある島で過ごすことになったの。
 半分任務で半分はプライベートだと言っていたけれど、具体的な目的までは知らないわ。
 同級生が休みの日に何をしているのかなんて、あえて詮索するものじゃないものね。それに、夏休みに南の島に旅行に行くなんて、とくべつ不思議な話じゃないでしょ。
 ただ、ひと月を過ごすにはいささか物足りないサイズの島よ。小さな集落が2つ3つと、三日に一度の船便で仕入れた食料品を売るための簡易売店、それと小さな診療所があるだけ。
 自転車でも数時間で一周できるような小島はとにかくのどかで、ふだんの生活とのギャップで、その島の中だけ時間の流れが違うみたいに感じるんだって。
 彼が寝泊まりしていたのは、海の見える高台にある2階建ての邸宅。岡山出身のプロヒーローの別荘をその夏の間借りたそうよ。

 そしてそこには、彼だけじゃなくて、彼の友人……というよりも恩人、いえ、正確にはお師匠さん、って呼び方が一番正しいかしら。
 とにかく、彼は一人じゃなくて、もう一人の別の男性とそこに泊まっていたの。さっきも言ったけど、目的や理由は知らないわ。ただ、人生には喧騒から離れて体と心を休ませなきゃいけない、そういう時期が訪れるものじゃないかしら?
 ベランダや港、島のどこに居ても見える穏やかな内海。水平線に日が昇り、沈み、そしてまた昇り…。
 それを一週間ほど繰り返した頃の、とある日の朝のことよ。
 その日、彼も、彼のお師匠さんも不思議と早い時間に目が覚めた。
 目を覚ますとすぐに聞こえてきたのが、カラッ、カラカラッ、という不規則な乾いた音。
 夜の間に冷えた空気が網戸越しに部屋の中へと吹き込んで、二人が海で拾った貝殻でつくった風鈴を揺らす音だった。
 それまでは熱帯夜が続いていたはずが、その日に限って少し肌寒く感じる冷たい風に、彼は一旦窓を閉めようと、ベッドを降りた。閉めようとした窓の向こう、海との境から空は薄っすらと群青色になり始めているのを見て、時計を確認するより先に、朝が近いことに気づいたの。
 いつの間にか彼の隣まで来ていたお師匠さんが「目が覚めちゃったから、散歩に行こうか」と彼を誘った。彼も、断る理由はないから了承したわ。

 狭い島の中で、目的地もなにもないけれど、どうせなら朝日が見える方に行こうと、二人は別荘から見えていた浜辺に向かうことにしたの。
 島に来てから何度かその浜辺に行ったことがあったから、薄暗いとはいえ、道に迷うこともなかった。ハマナスの群生を抜けて砂浜に出ると、さっき別荘から見た時よりも空は更に明るくなっていて、二人は脱いだサンダルを大きな流木に立てかけるようにして置くと、裸足で波打ち際に向かった。

 ザザ、ザザ、と打ち寄せる波の音も静か。
 その時彼は、光でちらつく沖の方の水面を見て、「ああ、行かないと」って思ったらしいの。
 この人を連れてアソコに行かないと、って。
 彼もお師匠さんも、海には慣れていなかった。彼は太陽の光を嫌うから海水浴に行った経験もあまりなかったそうよ。
 それなのに、沖の方へと向かうのにその時はなんのためらいも感じなかった

 いかなくちゃ、いかなくちゃ。なにか焦りのようなものを感じて、朝日の薄明かりが滲む海をずんずんと進んでいった。
 無言で腕を引かれているお師匠さんも何も言わず、二人共無言のまま、海水を足で蹴るパシャパシャという音だけが響く。
 最初は浅瀬で足首あたりにあった水面の位置は、すぐに、脛、膝、太もも、って高くなっていく。
 ザザ、ザザ、パシャパシャ。
 そんな音に混じって、彼の耳には何かの声が……。
 ――ソラトブハネはウミノソコ。ウミノソコからタツガトブ。
 最初に言った通り、彼がその島に訪れた詳しい理由は聞いていないわ。でも、その島に大切なものを取り戻しに行ったんだって、そう言っていた。
 そしてその時はなぜか、海の底にその大切なものが沈んでるんだって、そう確信していたの。


「フミカゲ!!」

 大きな声が、彼の名前を呼んだ。
 彼を呼んだのは、お師匠さんではなくて、彼の分身とも言える意思を持った個性だった。
 どうやら彼の個性にまでは、引き寄せようとする海の力の影響は及ばなかったみたい。
 その声でとっさに我に帰った彼は、まだぼうっとしているお師匠さんの手を掴み直すと、浜に向かって一目散に走り出した。
 それでも、思うように足が進まない。ただの海水のはずが、まるで泥の中を進んでいるように足をとる。浜に向かって足を動かしているはずなのに、むしろ離れていっているような感覚すらあった。
 絶対にふりむいちゃいけない。理由は分からないけど、強くそう思ったわ。

 なんとか浜まであがると、ふっ、と体は軽くなって、2人は思わずその場に倒れ込んだわ。砂も落とさず慌てて振り返って見ても、足を踏み入れる前と変わらない、穏やかな海が広がっているだけ。
 もう別荘に戻ろうか、とそう思ったその時、お師匠さんが「あっ」と叫んで、青ざめた顔で彼の足を指さした。
「その脚の怪我……」
 彼の左足首には、昔火傷してついた大きな傷跡が残ってる。
 だから、彼も最初はてっきりそのことかと思って驚かなかったのだけど、でも、お師匠さんが指さしているのは、右の足首だった。確かにそこには、見覚えのない大きな赤いあざがついている。驚いた彼がよくよく見ると、線の形をした痣がハッキリと残っていたそうよ。1本は幅2センチぐらいで、全部で5本。まるで、人の指の痕みたいな形のあざが……。
 結局そのあざもしばらくしたらふつうに消えたそうだけど、いまだに時々思い出しては不思議に思うんですって。
 あの時、自分たちを呼んでいたのがなんなのか。あのまま正気に戻らなかったら、どうなっていたんだろうか…って。
 そんな、夏の海での思い出話よ。



(2025.07.18)