告げる
福岡から和歌山まで、直線距離にしておよそ500km。双方身一つで飛んで移動する間、ホークスは終始無言だった。
付いてくるか、と。そう常闇に声をかけてきたのはホークスの方だ。
唐突な提案に対してほとんど考えずに了承した常闇は、どこに向かっているのか、何のために向かっているのかさえもハッキリとは伝えられていない。それでも、向かっている方角から道中うっすらと察しはついていた。
「──よっ、と」
平地を見つけて地上に降り立ったホークスに遅れること数秒、常闇が地面に足を着いたタイミングで強い風が吹きつけた。よろけかけた体勢を焦ることなく立て直し、改めて降り立った場所──群訝山荘跡地──を見渡した。
先の大戦で二度に渡って主戦場となったその場所はすっかり荒れ果て、人が活動していた頃の面影はほとんど残っていない。
それでも、植物たちは逞しい。ほんの数年で山荘の瓦礫をものともせずに蔓延った草木たちは、常闇の身をよろけさせた風でこすれ合い、ザアザアガサガサと、来訪者を歓迎しているとは思い難い荒々しい音を響かせている。この地で潰えた者の数の多さを思えば、怨霊の呻きにも思えた。
「こっちだよ」
不気味さをものともせずに軽々と歩き出したホークスを追いかけ、瓦礫の山谷を超えていく。
「直接降りると危なくってね」
かつて手すりだった鉄の棒や、建物の壁だったコンクリートの塊が積み重なった一角。ホークスが足を止めたその場所が、周囲とどう違うのか、常闇の眼には区別がつかなかった。
唯一目につくのは、石、にしては大きく、岩と呼ぶにはやや心もとない、小さな子供くらいのサイズのコンクリートの塊。他の瓦礫から距離を置いた位置にポツンと置かれた不自然な石。
恐らく墓標だろう。常闇は心中で推察し、目を細めた。
案の定その石の前で足を止めしゃがみ込んだホークスは、上着の懐から取り出したどこでも売っているコーヒーの缶を地面に置いた。
「当時本人から話を聞いたり俺が調べた限りじゃ、分倍河原に家族と言えるような人はあの時点ですでにいなかった。まあ、彼にとっては連合の面々が家族同然だったのは間違いないだろうけど、彼らも今は自由の身じゃない」
淡々と説明をする声を、常闇は1歩後ろに立ったまま聞いていた。
「死んでほしいくらい憎いやつにお参りされても、かえって成仏できないんじゃないか、とも思う、けど」
淡々と紡がれるホークスの声を聞きながら、同時に、喉の奥からせり上がってくる形容しがたい感情を持て余していた。
自分がなぜここに居るのか、居るべきなのか、居てもいいのか。不安と焦燥感。可能ならば逃げ出したいと思うほどに気分が落ち着かなかった。
「そうは思っても、彼のことを忘れないようにすること以外、俺にできることがないんだよね」
話の終わりを示すように、グローブを嵌めた両手を額の前でそっと合わせる。常闇もそれに倣い、立ったまま両手を合わせ、両瞼を閉じた。
暗闇のなかで風の音に耳を澄ます。頭の中を巡っていたのは、過去の戦いのことでも、その時に散っていった魂たちのことでもなかった。
自らが薄情な人間とは思わない。敵とされた人々の無念に向ける情はある。
それでも、今この瞬間、目の前で手を合わせるその人のこと以外の、他を考える余裕がまったくなかった。
「常闇くん」
呼びかけに、体が反射的に反応し瞼を持ち上げた。しゃがみ込んでいたはずのホークスは立ちあがって石に背を向け、缶コーヒーを常闇に差し出していた。
「あげる。もったいないから」
常闇がそれを受け取ると、空いたホークスの手はふたたび上着の懐を探り、同じ缶を取り出すと即座にプルタブを引いた。常闇もその後を追って缶に口をつける。コーヒーの苦味を、砂糖の甘さが凌駕しているその液体は、長距離飛行の疲れを癒してはくれても、さきほどからグラグラと揺れ続けている常闇の心を抑える効果は無かった。
「今日、ついてきてくれてありがとう」
早々に自分の分を飲み切ったホークスが、缶を持った手をブラブラと振りながら感謝の言葉を口にする。他には何も言わず、ただその一言だけを口にして、後はただただ微笑んでいる。
石の前で手を合わせている時から、否、ここに来るまでの空でもずっと、常闇は目の前で笑っている男のことだけを考えていた。
今日だけじゃない、その前からずっと。
ここ数年の間、胸の奥底に溜めては、時折取り出して自問自答し、そして結局は肯定せざるを得ないと認め、また奥へと仕舞い直してきた感情。
いずれ告げねばならぬ時が来る。それは分かっていた。毎日のように本人を目の前にしながら隠し通すには余りに重く、そして今なお日々育ち続けているのだから。
いずれ耐えきれなくなる日が来る──だが、それが今とは。
この場所に淀み溜まっている多大な慚愧の念が、常闇の衝動を抑えている理性の枷を外させたのかも知れない。と、強い風で乱れた外套の裾を直しながら思う。
自分が大戦終結以来はじめて訪れたこの場所が、彼にとってははじめてではないこと。
去年の今日も、その前の年の今日も、こうしてここに降り立ち、そしてひとりで石を相手にコーヒーを飲んでいたのか。
否が応でも頭の中をめぐる孤独な想像が、もう抗うな、と事を急く。
耐え忍んできた想いの怒涛。焦燥が、切迫していた。
「ホークス」
常闇が呼び掛けると、周囲の様子を観察していたホークスの目が常闇へと戻った。ん?と首を傾げ、そして、恐らく強張っているだろう常闇の表情から異変を察したのか、怪訝そうに眉をひそめた。
「なんか…大事な話?」
外したヘッドフォンを首元へと移動させる。聞こう、という意思を示され、常闇ももう後には引けなくなるのを感じた。
二人の間にあいた数歩分の距離を詰めることはせずに、その場でホークスを見つめ返し、コクリ、と首を縦にふった。
風は止んでいた。
静まり返った草木が再び騒ぎ出す前に、頭をもたげ始めた理性に阻まれてしまう前に。
この機を逃してはいけない。そう意を決し、糊で貼りついてしまったかのように重く固い嘴を、慎重に開いた。
告げ合う
因縁深い山荘跡地にて、常闇が数年来にわたって募らせてきた俗物的な想いを包みかくさず伝えると、ホークスはしばらく口に手を当て無言で考え込んでから、うん、と、髭を擦りながら一度頷いた。
「それなら、多分、俺もおんなじ感じだと思う」
「……つまり」
「恋人になろうってことだよね。仕事だけじゃなくて、プライベートでもパートナー」
ひょいひょい、と人差し指で宙にハートマークを描きながら、事もなげに話をまとめる。
重々しく捧げた告白をあまりに軽やかに受け止められてしまい、常闇は幾分拍子抜けしていた。一体、これは信じていいものか――
「そうときたら、はやく帰って祝杯あげなきゃね」
困惑している常闇の傍へと一足飛びに寄ってきたホークスが、ポンポンと常闇の肩を叩き、白い歯をみせて笑う。
流された、わけではない。それならば信じていいだろう。
――して、人間とはなぜこうも現金な生き物なのか。
常闇は数分前とは180度も変わってしまった自分の感覚に、わずかな恥ずかしさを覚えていた。
怨念が淀み溜まる鬱蒼とした場所とばかり思っていた廃墟の、そこかしこで咲いている春の花々が唐突に視界にはいってくる。激しい風の温度さえも心地よく感じ、草木が擦れ合うざわめきも、自分を祝福してくれている拍手のように聞こえた。清浄明潔、美しい春だ。
浮かれて足取りの軽くなっている常闇を見て、ホークスも愉快そうに笑っていた。と思いきや、ふいに、あっ、と高い声を挙げながら手の平を打ち合わせた。そして、良いことをおもいついた、と言いたげな顔で常闇に視線を向ける。
「ちょっと、寄り道しようか」
福岡への帰路を東方向へ回り道した先で、地上近くを低空飛行する二人の真下には満開の桜が視界に収まりきらないほどの範囲に渡って咲き誇っていた。
「すごいな!」
目下のピンクの絨毯に感嘆の声をあげる常闇に、ホークスは「でしょ~」と得意げに笑っていた。
常闇には、今の自分が近年まれに見る浮かれ方をしている自覚はあった。だが、その余分を差し引いても、想像上の天国にいるとしか思えない鮮やかな風景だった。
「――あのさ、そういう関係になるなら、先に言っておかなきゃいけないことだと思うんだけど」
成人男性二人が乗っても問題のなさそうな太い枝を選んで横並びに座ると、ホークスがそう切り出した。桜の花の傘の下に入ったために、表情はわずかに陰って見える。
その表情と不穏な前置きの仕方に常闇が警戒すると、それを見たホークスは困ったような苦笑いを浮かべた。
「いや、たいしたことじゃないんだけど…うーん、たいしたことなのかな?」
「大丈夫だ、何を聞いても驚きはしない」
それは、ホークスに向けてというよりは、常闇自身に言い聞かせるために口にした言葉だった。両手を膝の上に正して言葉を待つ。
「おれね、もうすぐ魔法使いになるんだよ」
は?と、呆気にとられたそのままが声に出る。一体なんと、と聞き返すより先に慌てて考えを巡らせれば、思い当たる節はあった。しかし、30歳を過ぎても童貞だと魔法使いになる――そんなインターネットスラング紛いをホークスが知っていること自体が、常闇にとっては意外過ぎた。見聞の広さが、妙な方向に発揮されていやしないか。
「それはつまり……」
「うん。今までに、そういう経験が一度もないの」
「一度も?」
「うん。あ、もしかして引いてる?」
「いや、引いてはいない。人それぞれで然るべき事柄だろう」
「そう言ってくれて良かった。俺の場合、経験がないっていうか、そもそもそっちの欲求が全然なくて。だから、常闇くんとも、正直そういうことをしたいと思えるか、できるのかが自分でも分からない。……それでも良い?」
「も、ちろん」
常闇の返事の言葉がたどたどしくなったのは、動揺したのではなく、前のめりになった拍子に枝の上でバランスを崩したせいだ。話を聞いている途中から、結論として聞かれる問いは察していた。そして、答えも当然決まっている。
「大丈夫だ。それに、したいと思わないのなら無理をする必要もない」
「あ、そう?」
「そして、あなたが魔法使いになるのなら、俺をその使い魔にしてほしい」
「え、なにそれ」
常闇の言葉に、ホークスは唇の端を引きつらせ、大笑いしたいのを堪えているような不自然な表情をつくる。
「魔法使いの供と言えば、カラスが定番だろう」
何を当たり前のことを、と言外に仄めかしつつ確信めいた言い方をすれば、ホークスは堪えきれないというように笑顔で顔面を盛大にほぐした。
「ははっ、ほんとわけわかんないねー君って子は」
そう感心した次の瞬間には、枝からスルリと滑り降りたそのままの勢いで、2、3度空中を宙返りしている。ワハハハ、と豪快な笑い声が広い空に響き渡って、桜の山で木霊する。
あちらはあちらで、随分と浮かれているじゃないか。
そのことが目に見えて分かるだけでも、常闇は十分満足だった。
おくりもの
「ホークス、おはよう。Mt.レディから花束届いとったよ」
事務所へと入って来たホークスに、サイドキックがすかさず部屋の中央にあるテーブルの上を指し示す。
「多分、この前発表された去年度のビルボードチャートの結果を受けて。一緒にメッセージカードも付いとったから……『18位おめでとう』って。18位に10本くらい下線引いてある」
「あ~あ、それは完全に嫌味っスわ。お返しにおいしい羊羹でも送りつけといてください」
メッセージの内容を聞いたホークスは、渋い表情で季節の花の豪華なアレンジメントを一瞥すると、そのままテーブルを素通りし、部屋の隅に設置された給湯コーナーへと向かう。
「こっちはチャートなんて気にしてないっつーのに。トップ10に入れたのよっぽど嬉しかったんだね」
先にそこでお茶を淹れていた常闇の隣に並んだホークスは、そうぼやきながらインスタントコーヒーを淹れ始めた。
して、俺はそれになんと返すべきか。と応えあぐねる常闇は、ふと別のことを思い出し、コーヒーの蓋を開けようとしていたホークスの手を止めた。
「良かったら、これをどうぞ」
「なにこれ?紅茶?」
ホークスは、渡されたティーバッグの個包装の花柄を、裏に表にと不思議そうに眺めている。
「先日雄英の同窓会があって、その時に八百万……クリエティからもらったものです。量が多かったので、事務所用にちょうど良いかと」
「あ~、同窓会。キミたち、ほんと仲良いね。いいこといいこと。同世代の情報収集にもなるし」
「そういえば、レディの事務所でサイドキックをやっている者もいる。……ブラック過ぎて辞めたいと漏らしていた」
「マジで?!ははっ、シワ寄せきてんのか」
「恐らく」
「良かったね常闇くん、うちの事務所はホワイトで。そもそもこっちは2人体制でやってるんだから、1人あたりの成果が少なくなるのは当たり前だし。つーか、ツクヨミがレディよりも上のランクにいるんだから、うちの事務所的には勝ちだよね?あ、そうだそうだ。羊羹、ツクヨミの名前で送っといてー」
背後を振り返り、嬉々とした声でサイドキックに向かって叫ぶ。
そこまでは軽快にしゃべっていたはずのホークスだったが、姿勢を戻した途端に、神妙な顔で黙り込み手元のティーバッグをじっと見つめ始めた。
「……別のフレーバーも選べるが」
「いや、こだわりないからこれでいいんだけど……」
「なにか?」
「……ヤオヨロズさんって、あのおっぱいおっきい子だよね」
「っな!!! いや、彼女のあれは個性の特性上脂肪が多く必要なだけであって、つまりあれも個性の一部というか」
「あっはっは、すげー動揺するじゃん」
ホークスがそう言ってケラケラと笑い出したところで、からかわれたのだと察する。が、すでに誤魔化しようもないくらい慌てふためいた後では反論もできぬ。顔も熱い。不覚だった。
「じゃ、今日も一日がんばりましょうっ」
いつの間にか紅茶を淹れ終えていたホークスは、マグカップを片手に自分のデスクへとさっさと去って行った。残された常闇は、抽出しすぎてしまった紅茶のティーバックを捨て、その場で一度カップに口をつけた。
贈り主にふさわしい高貴な香りと共に、温かい湯気がホワンと顔を包む。その瞬間、間違いなく柔らかいだろう豊満な胸の谷間を想起してしまったのは、さっきの今だ。許してほしい。
玄鳥至
「あれ、常闇くんどうしたの?」
事務所の玄関前で頭上を見上げて突っ立っていれば、不思議がられても当然だ。ヒーロースーツに着替える前の軽装のホークスに声を掛けられた常闇は、そちらにいったん視線を向けてから、すぐに軒下に目を戻した。
「ツバメが」
常闇の簡潔な答えに、ホークスも手でつくった覆いを額に当て、頭上を見上げる。
「おっ、今年も来てるね~」
「今年も、ということは、去年もいたのだろうか? 記憶にないな」
「去年も来てたとおもうけど、新体制になったばっかでバタバタしてたから気づかなかったんじゃない? ……なんか、そもそも去年の春ごろの記憶が全然ないな」
「……俺もだ」
常闇がプロヒーローになった一年目は、新しい事務所設立に伴う諸々の申請と審査、挨拶回りに作戦会議と、漢字の通り心を亡くす勢いで忙しかった。去年の同じ時期に想いを巡らせようとしたが、季節感など感じる暇すらなかったというのが正直なところだ。横の男、Mt.レディのブラック事務所振りを笑ってはいけないだろう。
「1、2、3……おーおー、いっぱいいるねえ」
ジトっとした目を向けている常闇には気づかず、小さな巣の中で押し合いへし合いしているヒナを指さし数えるホークス。その横顔は明るかった。
「ツバメ、好きなのか?」
「鳥仲間だからさ、なんかかわいくなっちゃって」
ふむ、と頷き笑顔の横顔から再び頭上に視線を戻す。母親と勘違いでもしているのか、ヒナ達は常闇に向かってなにか必死に訴えるように嘴をパクパクとさせている。
「常闇くん、前に自分のことカラスって言ってたけど……よく見たらツバメの色にも似てるね」
ふいに、ホークスのグローブをしていない手が無遠慮に常闇の頭に触れてきた。おでこの辺りの羽根を、親指と人差し指で挟むようにしてなでられ、常闇の全身が強張る。
「そう、だろうか」
「うん。前にさあ、ここでヒナが巣から落ちちゃってたことがあってね。飛行訓練中みたいだったから、近くでちょっと見守ってたんだけど」
そんな牧歌的な光景、にわかには信じがたい。
ツバメのヒナを少し離れたところから見守るホークスを想像した常闇の口元にはついつい微笑みが浮かぶが、一方で、羽毛を撫でられる現実の感触に意識が引っ張られ脳が困惑する。
「その時のヒナの色に、にてる気がする。黒なんだけど、ちょっと青っぽいっていうかなあ。きれいな色だよね」
「う……」
観察している、という以上の他意はない。重々承知してはいるものの、あまり人に触れられることのない部位を弄られ、しかも撫でている相手が相手ということもあって、むずがゆいようなじれったいような。本能的にやましい感覚が沸き上がるのを抑えるのは、難易度が高い。
「それを言うなら、あなたの方がきれいでしょう」
半ば苦し紛れに、チラリ、とホークスの背中の翼に目を向けながらそう告げると、思惑通りか、ホークスは見開いた目をパチパチとまたたかせながら、常闇の頭から手を離した。
「あら。それはそれは、嬉しいね」
ホークスがわざと翼をバサバサと振り乱しために、頭上でツバメの子が怯えている。
んー、と視線を宙に彷徨わせたと思いきや、常闇に顔を戻し、左瞼だけを一度軽く閉じてみせた。あまりに自然なウィンクを受けて、恐らくホークスの思惑通り、反応に困る。
「恋人にきれいって言われるのは、意外と悪くない気分ですよ」
ふふん、と口の片端だけを上げて満更でもなさそうな顔で笑うと、照れ隠しなのか、常闇を置いてさっさと『ホークス・ツクヨミヒーロー事務所』の看板が掲げられた建物の中へと入って行ってしまった。
その背中を慌てて追いかければ、自然と逞しい背中を覆いつくす翼に目がいく。
嘘でも世辞でもない。
日の光を受け、勢いよく血の流れる血脈のように躍動する赤は、たまらなくきれいだ。
ただ、羽だけじゃなくて、その顔も髪も体も、須らくきれいだと思っているのだけれど。
などと伝えても、真面目には受け取ってくれないんだろうな。
手をつなぐ
その日の仕事終わり、「お疲れさまでした」と挨拶をして事務所を出ていこうとする常闇を引き留めたのは、最後まで事務所に残っていたホークスだった。
「ねえ、抱っこさせて」
「……なんと?」
一体何を言い出すのかと思い説明を求める常闇に、ホークスは「抱えて飛びたいだけ」と、答えを返した。
「今朝、事務所の玄関でツバメの話したじゃない? そしたら、常闇くんが飛行訓練してた頃のこと思い出しちゃってさ~。あん時必死だったよね。深夜まで公園で練習したりして」
「……もう忘れたな」
思い出し笑いをするホークスに、常闇は渋い表情になる顔面を手の平で覆った。
上空だと風が強いため、自然と声が大きくなる。
「うーん、あの時よりも重くなったかも」
「背も伸びた。それに日々鍛えている。当然だ」
抱えられたまま得意げに鼻をならす常闇に、ホークスは楽しそうな笑い声を挙げた。その拍子に常闇の胸部に回している腕の力も抜けそうになり、慌てて力を込め直す。とはいえ、目的地はもう目の前だった。
「あ~、風がきもち~ね~」
かつてと同じ塔の上、足場の縁ギリギリに立つホークスは、手の平で額にひさしをつくり福岡の街を見下ろしていた。その横で、以前とはくらべものにならないくらいしっかりとした足で立つ常闇は、それでも、肩を左右に揺すって落ち着かない様子で、隣のホークスを見ていた。
「……ホークス、ひとつ確認したいことがある」
「ん?」
「その……手はつないでもいいだろうか」
「ああ、もちろん。ほい」
意外にもあっさりと了承されて拍子抜けした常闇は、差し出された手の平のグローブの縫い目を、しばらくじっと見つめていた。すぐに手を出して来ない常闇に、ホークスが不思議そうな顔で、空の手の平をプラプラと振ってみせてくる。
その手をじっと凝視したまま、恐る恐る手を伸ばす。本当にいいのだろうか。自分で言い出しておきながら、緊張で頭が沸騰しこの場から逃げ出したい。
ついさっきまで、上半身が重なり合うほどに密着していたというのに、たかだか手の平と手の平を合わせるだけで、なぜこんなにも緊張してしまうのか――
確実にまどろっこしさを感じているだろうホークスも、あと数センチで指先が届く、というところまで近づいて動かなくなった常闇の手を、急かすことはなく、地面に落ちたヒナを観察するような生ぬるい視線を向け、笑いを堪えていた。
「失礼する……」
厚いグローブ越しでは、肌の感触も温度もほとんど感じられない。それでも、意思を持って手を握り、そして握り返されたという事実だけで十分だった。
付き合うことになって以来初めて手をつなぐことのできた喜びを嚙みしめている最中に、ホークスはふら、と空に視線を向け、あっさりとした口調で提案した。
「そうだ。このまま、飛んでみようか」
言うや否や、ホークスは掴んだ常闇の手を離すことなく、足で電波塔を蹴って勢いよく塔から空中へと身を投げた。繋がった腕を引っ張られ宙を浮いた常闇は、もう片方の手で外套を脱ぎながら、焦った声でダークシャドウを呼んだ。
一気に質量を増したダークシャドウは、瞬時に常闇の体に巻き付きその体を浮かせると「アブネーナー!」と、常闇とホークスの両方に対して文句をぶつけた。
浮力を調整してホークスと同じ高さで浮遊することに成功すると、悪戯が成功して笑っている顔を、常闇が辛辣な顔で睨みつけた。
「あはは、ごめんごめん。でもさ、手つないで飛べるのなんて、俺たちだからできることだよね」
「ムッ……それはそうだな」
ゆっくりと滑降していくホークスに寄り添うようにして空を飛ぶ。繋いでいるホークスの手は、自然に方向を誘導する意図を持って動いていた。
ふいに、「ズルい!」と常闇の体を支えているダークシャドウが叫ぶ。意図の分からなかった常闇に対して、ホークスは「ああ」と納得した表情で頷いていた。
「悪いね。そろそろ下降りよう。そしたら、ダークシャドウもつなげるんじゃない?」
三人、否、二人と一個性で横並びに手をつないで歩いている様子は、深夜の人気のない公園という状況も相まってかなり異様だった。ともあれ、昼間じゃないからこそできることだな、と常闇は幾分慣れてきたホークスと繋いでいる右手を軽く揺らしながらため息を吐いた。ダークシャドウは、常闇の左でではなくホークスの右手を掴んでいる。背後に人がいたら、常闇の背中から飛び出てホークスの背中を超える黒い帯が良く見えるだろう。
「そういえば、以前耳郎が来た時、さっきの場所に二人で行ったことがある」
「あ、そうだったんだ。年明けのチームアップの後?」
「ああ。耳郎が久々に俺の背中で飛びたいと言い出してな」
「それは、なんというか……たくましいね」
「とはいえ、特に行く宛てもない。折角だから、俺が感動した景色を見せるのがいいと思ったんだ」
常闇はその時のことを思い出し、意識の一部をさっきまで見ていた夜景へと戻した。『たしかにこれはヤバいわ!飛びたくなるねー!』と、高所にも物怖じすることなく楽しんでいた旧友の顔を思い出すと、どこか得意な気持ちにもなった。
「ねえ、常闇くんって、今までに女の子と付き合ったことないの?」
「……気になりますか」
「気になるわけじゃないけど、そのー、もし俺が最初の相手だったりしたら、ほんとにそれでいいのかな~って思って」
ホークスが、あえての軽い口調で切り出した話には、核心めいた含みがあった。それを察した常闇は、はあ、と重みのあるため息をついてから、道の真ん中で、歩いていた足を止めた。一歩先に出てしまってから足を止めたホークスが、常闇を振り返る。常闇は、不満そうな顔をしていた。
「……ある。そう言われるのでは、と予想していたからな」
「あー、読まれてたわけか」
「もちろん、それだけが理由というわけでもない。俺自身があなたへの想いに確証が持てなかった時期もある。確認のため、というと聞こえが悪いが……結果としてはそうなってしまった」
常闇がホークスへの思慕の膨らみをどう処理すべきか迷っている時期。いずれ想いを告げるとしても、それは少なくとも数年後になるだろうと分かっていたからこそ、予想されるだろうリアクションや提案を想定して対策を練ることが唯一できることだった。
はぐらかされることも、諭されることも予想していた。すんなりと告白を受け入れられたこと自体は予想外だったものの、今のような質問については幾度となくシミュレーション済みだった。
「他の誰かを相手に手をつないだ時も、それ以上のことをした時も、今あなたとこうしている以上に気分が高揚したことはない。心から愛している相手とではないと、感じられない気持ちがあると知ったのは――」
「ちょちょっ、ストップ! も、分かったけん…」
常闇とダークシャドウの手で両手を塞がれているホークスは、隠すことのできない赤面した顔をどうにかしようと、歯を食いしばったり首を振ったりしていたが、どうにもうまくいかないようで、次第に苦悶の表情を強めていった。その動揺振りに、常闇が心配そうに声をかける。
「すまない、つい思ったことを――」
「ごめんっ! 俺やっぱ先帰る!」
剛翼の力を借りた勢いで一人と一個性の手を振り切ったかと思いきや、常闇が、あっ、と言う間に、地上数十メートルまで飛び上がっていた。そのまま、別れの挨拶もなく猛スピードで自宅の方角へと飛び去って行くホークスを、常闇とダークシャドウは呆気に取られたまま見送った。
「なあフミカゲ、さっきのって、チューするタイミングじゃねえの?」
深夜のせいか、妙に気の大きくなっている様子のダークシャドウが、常闇の肩をツンツンとつつきながら、下卑た口調でそう進言した。
「……ほっとけ」
常闇は、ホークスが去っていた夜空の向こうから、先ほどまで二人をつないでいた手の平へと視線を落とし、その一言だけを呟いた。
体育祭にて
その日のミーティングの内容は、月末に控えた雄英高校の体育祭についてだった。常とかわらず、ホークスが早朝とは思えない軽快さで連絡事項を告げていったその最後、
「去年は新事務所立ち上げでバタバタしてたんでスルーしましたけど、今年度は職場体験の受け入れを再開しようと思います。ってなわけで、俺は当日会場で見学、もとい物色する予定です。前情報として気になる個性の子とかいたらそれぞれでピックアップしといてもらえると、俺としても目配りしやすくなるんでありがたいです。労働環境改善のためにも、良い新人ゲットしましょ~」
以上。
ミーティング後、浮かない顔をしている常闇に声をかけてきたのは、元々のホークス事務所立ち上げ時から所属している、最古参のサイドキックだった。
「常闇くん、ちょっといい?……もしかして、さっきの気にしてる?」
「なんのことですか?」
「ほら、職場体験の受け入れ再開するって話」
腰をかがめて耳打ちされた内容に、常闇は相手の意図は正確に読めないままにとりあえず返事をする。
「ああ、いえ…少し意外ではありましたが」
「もし雄英から新しい子が入ってきてもツクヨミみたいになることは多分ないと思うけん、安心して」
「いや、そういうわけでは……」
「ツクヨミが最初に事務所来てくれて以来、ホークスもかなり丸くなったけんね。前までは後進育成にかける時間なんて無駄ってはっきり言っとったのに。俺らへの当たりも優しくなったし、ほんとツクヨミさまさま――」
その話は、呼び出し来た!という別のサイドキックの掛け声で中断された。
まったく気にならないわけではないが、自分でも意外なくらい落ち着いて受け入れている。
“特別”になっておいたのが、よかったのかもしれないな。
雄英高校の体育祭は、ヒーロー業界全体にとっても年に一度の大イベントだ。日本全国から関係者が集まった結果、この時に久しぶりに顔を合わせることになる面々も多い。
「──珍しい。常闇もいっしょですか?」
「あ、イレイザーヘッドさん! いや、今日は俺ひとりです。司会お疲れ様です。絶叫実況楽しんでますよ」
ホークスの傍に近づいてくるまでの数メートル、カシャン、カシャン、と金属製の義足が歩くたびに音をたてる。間2、3メートル、適度な距離感で義足の音が止まると、相澤は右手でガシガシと首の裏をかいた。
「ちゃんとやれてますか、常闇は」
「もちろん。……やっぱ、“1-A“のことは気になるんですね」
「生徒間での贔屓をするつもりはないですが…やっぱりあの年は特別です。あんなことがあったんで」
「ははっ、懐かしむなんてらしくないすね」
「……1年の時、職場体験先で迷っている常闇にあなたの事務所を勧めたのは俺なんです」
「へえ」
「潜在能力はずば抜けてるはずなのに、それを生かし切れず二番手三番手に甘んじていた。足りないのは応用力だと、俺にいわれるまでもなく本人も自覚していたと思いますが」
「はあ」
「……それで、応用力を伸ばすならあなたのところが最適だろうという判断でした。まあ、ぶっちゃけると、職場体験の後になってその時の判断を一度は後悔しましたけどね」
「あ~~さすがにいろいろバレてましたか」
「いや、そもそもはあの年になってあなたが急にスカウトをかけてきた時点で、なにか怪しいと疑うべきでしたから」
「大切な教え子をないがしろにされて、頭にきました?」
「……全部、終わった話です。今はちがうでしょう」
「そのつもりです。彼の方がどう思ってるのかは分からないですけどね」
「評価してくれてることは、十分伝わってます。まあ、最初卒業後福岡に行くと聞いた時は少し驚きましたけど……」
「え? でもなんだかんだ毎年インターン来てましたよね。そんな意外でしたか」
「………………そういやそうですね」
「……相澤センセイ、俺に何か隠しごとしてます?」
「いや、在学中の、そのー、進路相談の時に、本人からいろいろと話を聞く機会があったので。なんというか、常闇はあなたに対して、こう、なかなか複雑な感情を抱いていたようでして」
「もしかして今オレ、動揺するイレイザーヘッドっていうすっごいレアもん見れてます?」
「これ以上は勘弁してください。生徒のプライバシーに関わるアレなんで──
『HEYHEYHEY!!相、澤、セン、セー!トイレが長すぎじゃありませんか~~?!第二試合スタートしちまうぜ?それまでに戻ってこなかったらクソしてた認定だからそこんとこよろしくうぅぅぅ――』
「やべ、はやく戻らないと」
二人のいる廊下に鳴り響いたプレゼントマイクの絶叫に、相澤は慌てながらもどこかほっとした顔で言った。
「なんかすいません、引き留めちゃって」
「こちらこそ。とにかく今は、あなたのこと信頼してます。常闇は…一人前かも知れないですけど、それならそれで、二人前三人前になるまでしごいてやってください。……ただ、今後もしその信頼が揺らぐようなことがあれば、俺は100%あいつの方に肩入れしますんで。そこんとこよろしくお願いします」
別れ際、時間がないとは思えないくらい淡々とした口調で長い口上を述べると、相澤は義足を軽快に慣らしながら颯爽とその場を去っていった。はーい、と元気の良い返事をしながら走り去る背中に手を振っていたホークスは、一人になると近くの壁にもたれ重いため息をついた。
「やだなあ。怖いよ母校」
最後に向けられたイレイザーヘッドの名にふさわしい眼光を思い出し身震いする。と、丁度その時ズボンのポケットの中で連絡用の端末が震えた。福岡にいる常闇からだ。タイミングの良いことに、相澤先生にあったらよろしく伝えておいてくれと書かれている。それを読んだホークスは、二度目のため息と共に肩のちからを抜くと「もうよろしくされた」と返事を打つ。それから、「常闇くんあいされてるね」とつけたし、送信ボタンを押した。
「……負けてられん」
スマホを鼻先に当ててひとりごちると、よし、と気合を入れ直し、相澤とは反対方向にある観客席へと駆け足で向かった。
閑話*1 雄英高校
「おっ、ジーニストさん。お久しぶりです」
「ホークス、珍しいな雄英で会うとは」
「ありがたいことに、うちの事務所も人手が足りなくなってきたんで」
「事務所といえば、聞きたいことがあった。複数人名義の事務所は、最近ではほとんど廃れてしまっただろう。なぜ今のような体制に?」
「オールラウンダーと遠距離サポートで相性は悪くないですし。俺は昼に強くて彼は夜に強いから、分担もしやすい」
「それだけか」
「まあ、合理的に考えた結果ですよ。ああ、あと、事務所のトップとサイドキックの実力差が逆転してると、組織としての在り方にも対外的な印象にも問題があるんで」
「……随分と、自分を過小評価しているんだな」
「してませんて。ま~俺としては、自分の名前は看板から下ろしちゃっても良かったんですけど、それだと彼の方が納得しなくて。そんなことより、俺はあの彼が素直にジーニスト事務所入りしたことの方が驚きましたけど。彼、元気にやってますか?」
「元気と怒気が過ぎるくらいだ。日に一度は「やめてやる」と絶叫している」
「はは、目に浮かびますわ」
「……久しぶりに会ったから思うのかも知れないが、随分と印象が穏やかになった」
「そーですか? 自分じゃ全然分からんです」
「そんなものだ。良い影響を受けているな」
では、と颯爽と去って行く長身の男の美しい歩き姿を見送り終えたホークスは、自分の頬を両手で挟んでむにゃむにゃと揉みながら、不思議そうに眉を歪めた。
「……もしかして俺、顔に出とーかな?」
同窓会
高校の同窓会、といっても都合が合う者同士で勝手に集まり飲んでしゃべるだけの、ただの飲み会だ。店で飲めばいいものを、男だけだからと言って下手に家で飲むことにしたから、止めどころが分からなくなってしまう。
アルコールの許容量を超えた者から続々と潰れていく中、気がつけば家主である上鳴と常闇以外は、皆部屋のそこここに転がりいびきをかいていた。
「な~常闇、そういや、おまえに聞きたいことあったんだけど」
四角いちゃぶ台の一角を挟んで二人、温くなったアルコールと残りかす同然のつまみを片付けている最中に、改まって話を切り出したのは上鳴だった。
それを聞いた常闇が、ぴくり、と上瞼に力を籠める。
さも今思い出したかのように話し出してはいるが、タイミング的に、二人だけになるのを見計らっていたとしか思えない。つまり、ろくな話ではないだろうとは見当がついていた。
「なんだ」
「耳郎のこと、なんすけどね」
「だろうな」
予想を寸分たがわず当ててきた男は、こうなるとかえって愛らしくなってしまう。愛すべきバカ、と形容していたのは、それこそ耳郎だったか。
「耳郎が前に福岡行って帰ってきたすぐ後に会ったんだけど、そのー、ずーーっと二人のはなしすんだよ」
「二人?」
「だから常闇とぉ…………ホークスのこと」
「そうなのか?」
「ああ。でさ、まさかだけどさ、その、耳郎ってホークスのこと……」
「……ないな」
「な、ないよな~!さすがに、元No.2がまさか耳郎なんかどうとも思わねえよな」
「いや、かわいいとは言っていた」
はあ?!と、耳に刺さる大声と同時に、動揺のあまり弾き飛ばされた空のグラスがちゃぶ台の下へと転がっていった。
「実際かわいいだろ、耳郎は」
「そりゃまあ、かわいくなくはねえだろうけど」
「……なあ、むしろこっちが聞きたい。なんでお前たちはまだ交際に至ってないんだ?」
これは、決して常闇だけが思っている疑問ではなく、二人が居ない場で二人を知る者が顔を合わせれば、大抵話題のひとつに上がる雄英高校七不思議のひとつだ。
ただ常闇に関して言えば、二人の間に友情以上のものがあると気づいたのは遅かった。自分がホークスへの感情を整理する内に、こいつらも友情として片付けてはいけない、と悟ったのだ。
そして今となっては、妙に性格や趣味が合う耳郎とホークスがこれ以上仲良くなる前に、さっさと上鳴にどうにかしてもらいたいと切に願っていた。いや、耳郎とホークスの仲が良いのは構わない、俺は純粋に級友二人の幸をだな――
「こ、こうさいって……」
常闇が自分の狭量さを内心で叱咤しているのも知らず、上鳴は動揺に鼻の穴を膨らませていた。
「今更隠し立てする必要はない。二人が互いに想い合っているのは──」
「ぐああああぁぁぁぁぁぁ」
上鳴が、みなまで言わせまいと、顔を覆って呻く。その手からは、興奮のあまりかピリピリと小さな電流が発せられていた。
これは迂闊に近くに居られない、と恐れ少し距離を取ろうとしたところで、ちゃぶ台の上に置いていた常闇の手首を、ガシリ、と上鳴が掴んだ。一瞬怯えたものの、実際に皮膚を走った電流は静電気程度のもので、ほっと胸をなでおろす。
「なんっかさー、俺分かんないんだよね」
常闇の手首を掴んだまま話し出した顔が妙に真剣なのは、十中八九酒のせいだ。上鳴の色恋事の相談に乗った経験は少なからずあるものの、ここまで酔っ払った状態で話を聞くのは今がはじめてだった。
「お互いなんかあったら最初に相談するし、おもしろいもんとかうまいもんがあったらシェアするし、わざわざ付きあわなくたって、今のまんまでも楽しいし、満足してるし……」
「上鳴、それはちがうぞ」
「え?」
「たとえどんなに互いの距離感が近くなっても、付き合うのと付き合わないのとじゃ、天と地ほどにちがう」
常闇は説明に合わせて、手に持っていた一本の裂きイカを、更に裂いて二本にし、右手と左手それぞれに一本ずつ持ってみせた。特に意味はない。
「んな断言されると、なんかビビんだけど」
「ビビるな。いいか? 付き合ったら、なんの用事がない時でも躊躇なく連絡できるし、デートと称して無目的に会うこともできる。相手が自分の知らぬところで誰かと深い仲になっていないかなどと心配しないで済む。それに、合法的に意味なく手もつなげる」
裂きイカを指示棒よろしく鼻先に突き出しながら力説すると、上鳴の脳内では素直に彼女相手に想像をしているのか、みるみる内に表情を喜怒哀楽の判断がつかないような情けないものへと変化させていった。
「だー!もー!分かったよ!!結局、俺が意気地ねえのが悪いんだろ!!!!」
とうとう耐えきれなくなったのか、会話を放棄して背後にあったベッドへとダイブする。そのベッドではすでに障子と峰田がいびきをかいていて、スペースはほぼない。その極狭スペースにうまいことハマった上鳴は「ってかつきあってないとできないことってけっきょくそういうことだろ~」と、峰田の頭に顔を埋めくぐもった声で呻いていた。
「……このままじゃ、いずれ上鳴も魔法使いになるかも知れないな」
情けなく丸まった背中に向けて呟いた常闇は、途端に虚無感に襲われ、グラスに残っていた誰のものかも分からない温くなったレモンサワーを煽って気を紛らわせた。
夕立
『今から行く』という連絡が常闇へ来てすぐに、穏やかに晴れていた窓の外が暗く陰り始め、ゴロゴロと雷雲が力を蓄えている音も響いてきた。
これは間に合わないか、と念のために家にある中でも大き目のバスタオルを何枚か用意して待ち構えていると、案の定、ベランダに降り立ったホークスは毛先や顎からしとどに水を垂らしていた。
「行儀悪くてごめん、玄関濡らしちゃ悪いと思って」
自らの足元にできた小さな水溜まりを見下ろし、うんざりとした顔でそう謝るホークスに、そんなことは構わないから早く中に入るようにと促す。
雨水は、私服のジャケットはもちろん、中に着ていたTシャツにまで染みていた。器用に羽根を宙に浮かせてそれらを脱いでいくホークスを見て、慌てて風呂場へと誘導する。本人は風呂場の洗濯機に脱いだ服を入れるためだと思っているようだったが、常闇としては、堂々と上裸を晒されては堪ったものではない。放っておいたら多分下まで脱いでいただろう。
「体が冷えたろうから、ついでにシャワーも使ってくれ」
そう言いおくと、常闇は脱ぎかけのホークスを詰め込んだ脱衣所のドアを、外からさっさと閉めた。
閉めたドアにもたれて、スーハ―スーハ―、と浅くてもできるだけ長い呼吸を繰り返す。
一瞬目に入った肌の色が、脳内でチカチカと浮かんでは消え、眩惑される。体のそこら中についた傷痕で斑に色を変えているマーブル模様の肌が、どうしてこうも欲を誘うのか。
気を落ち着かせようとそのまま廊下に蹲っていると、ホークスがシャワールームのドアを開く音が、脱衣所のドア越しに聞こえてきた。
入ってからまだ2、3分にも満たないが、常日頃から烏の行水で入浴時間の短いこと知っている常闇からすれば、不思議ではない。
「ごめーん常闇くん、なんか着替え借りてもいい?」
脱衣所前に留まっているのも完全に察せられている。羞恥極まりない。
返事をする余裕もなく立ちあがり適当な部屋着を引っ掴んで戻ると、ホークスは脱衣所のドアの隙間から顔だけを覗かせていた。戻ってきた常闇と目が合い、ニコリと笑う。やめてくれ、かわいいだろうそれは。
「うわっ、なんか、さすがにキツイってことはないと思ったけどむしろこれは……デカい……」
着替え終えて居間へと戻って来たホークスは、歩きながら肩を回したり裾を引っ張ったりしながら、何やら独り言を呟いていた。
常闇はその不満そうな表情を横目に、内心でほくそ笑んだ。最近では体格差がほぼなくなっていることは比べるまでもなく分かっていたが、今のホークスの多少のゆとりすらある服のフィット具合は、常闇の自尊心を満たすには十分だった。
「乾かそう、こちらへ」
剛翼を使って適当に動かしていたタオルを引き継ぎ、自らソファに座ってから、その脚の間に座るように促す。大人しくカーペットの上に体育座りをしたホークスのうなじを、襟足からたれた水が伝っている。情欲を煽られないと言えば嘘になるが、先ほどよりは落ち着いている。
邪心に打ち勝て、と自分に言い聞かせながら、きれいにたたんでくれている両翼の間に手を伸ばし、毛先を一束ずつタオルの間に挟むようにして水気を取っていく。
日に焼けてさらに色素の薄くなった髪の毛の、その一本一本までもがいとおしい。そう感じ入るのにぴったりな、時計の秒針と降り続いている雨の音だけが響く静かな時間だった。
だが、静寂は束の間で、動けないことに焦れたホークスの「テレビつけて良い?」という質問に常闇が頷くよりも早く、赤い羽根がリモコンを無視して直接、向かいの壁に設置してあるテレビ本体の電源を入れた。
「関東はよう晴れとうね」
たまたま点いた夕方のニュースは、ヒーローが間一髪で食い止めた列車事故の現場を生中継で映していた。画面に映っている東京の街は、確かに空模様や行き交う人を見ても、雨が降っている様子は無かった。
「……そうだな」
本人に追いついたといって、慢心している場合ではない。
画面の向こうでインタビューに答えるフレイムヒーローの芸術的なまでに鍛え上げられた巨躯を見据えて、更なる高みを目指す決意を新たにした。
翌朝、平時であれば事務所にいるはずの時間になっても、ホークスの姿がなかった。常闇が当日の全スタッフの予定が記載されたボードを確認すると、ホークスの朝のトレーニング時間が30分伸びている。
すぐに、昨日貸した自分の服が理由だと察し、ボードの前で思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
快晴
剛翼はどうしたら生えてくるのか。
常闇がその質問をしたのは、まだ高校1年生の時。インターン中の休憩時間に、福岡でのエンデヴァーとの共闘について話をしている時だった。
「んー、皮膚とかといっしょで自然に再生するけど……。あ、でも、早く回復させる方法はあるよ。あのね、とにかくたくさん食ってたくさん寝ること!」
と、笑顔で言っていたその答えが、特に冗談でもなんでもなかったらしいと知ったのは、ホークスと付き合い始めてからだ。
その日は朝から快晴だった。
午前中に布団を干して、仕事で家を出る前に慌てて取り込むだけ取り込んだ。夜になって帰ってみると、取り込んだ布団の上で眠るホークスの姿があった。
物音をたてないよう忍び足で窓際の布団へと近寄った常闇は、珍しく仰向けで寝ているホークスの頭の傍でしゃがみ込み、小さないびきの音に耳をすませた。
ホークスはなぜか常闇の家、特に、そもそもはダークシャドウのためにと思って用意した 一人用にしては大きいサイズのベッドをいたく気に入っている。二人で会う時も常闇の家が多くなり、合い鍵も早々に渡している。
その鍵が使われたのは、多分今日が初めてだろう。
いつ来たのかは定かではないが、恐らく昼食をどこかでたらふく食べた後か。膨れた腹を抱えて干し立ての布団を見れば、動物がどうなるのかは想像するまでもない。
罠を仕掛けたつもりはなかったが、結果的にそうなってしまったな。
思わず口元がゆるむ。それを自覚しながら、目の前の大きく開いた口の端の涎をティッシュで拭う。その刺激に対して小さな唸り声をあげ身じろいだ体が、いつになく自由に寝返りを打って布団の上を転がっていく。
横向きになり、常闇の方に背中が向けられると、Tシャツの2つのスリットから肩甲骨のでこぼこが覗く。そこに、小さな赤い羽根が生え始めていた。
古い火傷痕の残る肌の上、木々の新芽のように、通常の羽根よりもより鮮やかで明るい色をしている。小指の先ほどの小ささでも、十分な生命力が感じられた。
それを見ていた常闇は、涙が出そうになって
羽根の無い姿を見ると、忘れ難い過去の記憶が刺激され、目には見えない胸の傷が痛む。
昨日、常闇が止める間もなく、火災したビルの中へとすべての羽根を投入した時もそうだった。
結果的には人命救助も敵確保も無事完遂。ホークスも、羽根のほとんどを失いはしたものの、体には怪我ひとつ負っていない。
それでも、なんとか戻って来た燃えカス同然の数枚の羽根を片手に「やっちゃった」と苦笑いを浮かべるホークスに、憤りを覚えたのも事実だった。
――俺は、君ほど自分の個性に思い入れがないから。
いつかに言われた言葉が、見えない傷を別の角度から抉る。
その痛みを誤魔化そうと、目の前で寝息に合わせて上下する肩にそっと触れる。Tシャツの布越しに、体温が手の平へと伝わってくる。そのまま、やわらかい新芽を潰してしまわないように慎重に、力の抜けている背中を抱きしめた。
俺が愛す。俺が、あなた以上に、あなた自身もあなたの翼も。
面と向かっては言葉にできない誓いを胸の内で呟くと、心がわずかに落ちつく。
気のぬけたそのまま、移動するのも面倒になり眠気に体を任せた。
服を買う
「服? いいけど、俺洋服買うのにけっこう時間かかるよ?」
「時間?」
「うん。行きなれてる店ならまだいいけど、そうじゃなかったら採寸にけっこう時間とられるから」
「そうか、剛翼のためか」
常闇が、合点がいったとばかりにホークスの背中を指さすと、ホークスも、そうそう、と首を縦に揺らした。
「それくらいは大丈夫だ。待つのは嫌いじゃない」
「ならいいけど。じゃあ、次の休みにでも」
簡単な約束を済ませてそれぞれが持ち場に戻った後、ひとりになった常闇は、スムーズに休みに出かける予定が決まったことに喜び、気もそぞろになっていた。
しかし、はたと気がつく。
採寸をするからには、店員がホークスの体に触れるのだろう。裸ではないかも知れないが、裸の可能性が高い。翼の付け根に穴をあけるのだから、胸部と背中が主な測定範囲だ。店員が男か女かは分からないが、それはもはやどちらでもいい。業務上の必要とは言え、あの体に遠慮なく触れている様を見て、もちろん目の前ではないとしても、耐えられるだろうか?
手の中でコーヒーの缶が潰れる。
いまの時点ですでに、想像だけでもギリギリ耐えられていない。
約束通りに丸々半日を使って買い物に出かけた、その日の夜。
床に就いた常闇は、嫉妬心以上に厄介な感情を持て余して、一人ベッドの上で呻いていた。楽しかった、とい満足感に浸りながら大人しく眠れればいい夢を見れたものを、目を瞑った途端に浮かぶのは、その日一日に見たホークスの、ヒーローをしている時とはちがう無防備な表情やしぐさ。そして、そこから引き出される完全に常闇の妄想上の産物でしかないあられもない痴態だった。
今日は天気予報通りの晴天で、全国的に真夏日となった。半分屋外のショッピングモールで、数分日差しの下にいるだけでも額から汗が滲み、軽く眩暈がするくらいだった。
『あっつ……』
気だるそうに汗を拭いながら顔に溜まった熱を逃がそうとするホークスの、吐息交じりの声が蘇る。
『とこやみくん、も、あつい…ん、っあ』
途中から現実の記憶を離れ、脳内では勝手に裸にしてしまっている。
アイスを食べる時に、口元でチラチラと動く真っ赤な舌。ファンの求めに応じて翼を触られている時の、擽ったそうに笑う顔。ゲームセンターのクレーンで失敗して悔しそうに顰められた眉。試着したズボンが細すぎたのに対して発した、悩ましげな声。
『あー、ダメかもなあ、結構キツい』
一日の記憶を粉々に砕いた上でお湯を注いで膨張させたような妄想でも、常闇にとっては十分な刺激だった。
『あ、ぁあ、ダメ……ん、キツ、も、いっちゃう……!』
「っぐ……!っはぁ、はぁ……」
自らの手の中で果てた常闇は、ティッシュまで手を伸ばす気力もなく、熱の籠った掛布団を蹴って除けると、そのままぐったりと脱力した。
最低だ。恥を知れ、常闇踏陰。
そう胸中で自らを叱咤する常闇の視線の先には、サイドテーブルに置かれたシルバーのリングがあった。今日の買い物で寄った店のひとつで、常闇くんに似合いそう、と言い出したその数秒後にはレジに颯爽と向かっていた。今日分かったことだが、ホークスの買い物にはほとんど迷いがない。
そもそも、ファッションアイテムのひとつ程度の気軽さで買い与えてきたものの、指輪はさすがに意味深すぎるし荷が重い。あれを平常心で身に着けられる日が、いずれ来るのだろうか?
――俺、人に個人的なプレゼントするの、これが初めてかも。
買ったばかりの指輪を手ずから常闇の指に嵌めながら、照れくさそうに笑っていた。
ふしだらな妄想を爆発させるに至った一番の要因はあの一連の行為だ。思い返すと、もはや抗いようのないレベルの破壊力の爆弾を落とされていた気がして、仕方がない、と少し気が楽になってきた。
秋の夜長
実家から秋の新茶が届いたと、誘い文句にしては渋みのきいた常闇の提案に、ホークスは二つ返事で乗って来た。
「そういや、はじめて君んち来た時も新茶の季節だったね。静岡の男子ってみんなお茶で誘うの?」
「どうだろうな」
常闇は、ホークスの戯れを受け流しながら、湯呑を持っていない方の手でむき出しの首元を摩った。気がつけば、夜風が肌寒い季節になっている。ベランダに出した簡易テーブルと椅子で涼むのは夏ごろから定番になっていたが、それもできなくなりそうな秋の気配が漂っている。
「あ、もういっこ思い出した。エンデヴァーさんち、お寺みたいに庭がでかくてさ。縁側もあって、そこでお茶出してもらったけど、気持ち良かったなあ」
「行ったことがあるのか?」
「うん。たまたま近くに寄ったついでだったけど。連絡しないで行ったらすげー怒られた。おれも暇になったら、ああいうデカい家で毎日ゴロゴロしたいよ──お、鈴虫、鳴いてる」
言われた常闇も、ムッ……と耳をすませてみるものの、聞こえてくる音の中に虫の音は無かった。同意しない常闇を不思議そうに見ていたホークスだったが、しばらくして何かに気がついたようだった。
「ああ、そうか。君は聞こえないか」
そう言うと、どこを飛び回っていたのか、剛翼の羽根の一枚が遠くから飛んできたかとおもいきや、ホークスの肩の辺りで止まった。
「耳じゃなくてこっちだった」
指さされた羽根が、するりと本来の居場所へと戻っていくのを見ていた常闇は、暗く静まり返ってくるベランダの柵の向こう側の街を一瞥してから呟いた。
「俺たちとじゃ、聞こえてる世界が違うんだろうな」
「まあ、それはね。昔から、俺にしか分からない音とか気配が多くて、小さい頃はそれが嫌だった。制御の仕方なんて誰も教えてくれなかったから、どうやって耳を塞いだらいいかも分かんないし」
昔の記憶が蘇ったのか、布製の椅子の上で居心地悪そうに腰を動かし、それを誤魔化すようにお茶をすする。
「夜は特に、人が寝静まるぶん、余計に小さなノイズが気になる。隙間風の音とか遠くの酔っ払いの騒ぎで眠れない時も多かった」
「……俺と一緒に眠るのは、煩わしくないか?」
「ああ、最近の話? それが、自分でも意外だけど全然平気。むしろ、前までよりも良く寝れてるかも」
「……本当に?」
本音とは容易に信じ切れない常闇が、疑いのこもった目を向ける。その視線に対して、ホークスは安心させるように柔らかい笑顔を返した。
「うん。常闇くんの心臓の音きいてると、なんか眠くなってくるんだよ」
すい、と一枚の羽根が常闇の胸元へと飛んでいき、マントの留め具の上に張り付いた。心臓の音を聞かれている、と思うと、常闇の胸中は落ち着かなかった。
「天井とか布団が真っ黒なのも、逆に新鮮で落ち着く……あ、あとダークシャドウがいるのも、安心できる要因かも。ボディーガードとしては最強だよなあ」
ホークスのが感心したように言うと、常闇の脇で浮いていたダークシャドウが「マカセロ!」と嬉しそうに体を上下に揺する。
「フミカゲもホークスも、寝テル時が一番仲良さそうに見エルゼ」
「そう? 俺あんま寝相良くないでしょ」
「アア。フミカゲ、ホークスに抱キツカレてたまに苦しそうにシテル」
ダークシャドウが一切の含みなく口にした説明に、ゲ、と二人が同時に苦みのこもったうめき声をあげる。同時に常闇が手元で湯呑を取り落としたために、静かだったベランダはしばらく賑やかになった。
闇雲
最近自宅の冷蔵庫の調子が悪い、と世間話のつもりで話したら、じゃあ俺が見てあげようか?と、思いも寄らない答えが返ってきた。
「見る?」
「うん。直せるかは分かんないけど。これで」
これで、と言って指で摘まんでこちらに見せてきたのは、見慣れた赤い羽根だった。
「電化製品、というか機械は音で結構調子分かるから。前にうちのテレビの配線不良も感知できたし」
説明されて納得した常闇は、その日の仕事終わりホークスと連れ立って自宅に帰った。
冷蔵庫の場所を当然知っているホークスは、常闇に案内されるより先にキッチンへと向かった。丁度その時、常闇のポケットでスマートフォンが震え出す。
「悪い、実家から電話だ」
常闇の言葉に、ホークスからは親指と人差し指でつくった丸が返ってきた。
母親からの電話の内容は、大した話ではなかった。
食事はちゃんと食べているか、仕事はうまくいっているか、何か困っていることはないか──
両親の内、どちらかと言えば母親の方が心配性だが、かといって過保護というほどに干渉してくるでもない。こうした連絡もそう頻繁にかかってくるものではなかった。
通話を終えた常闇がキッチンに戻ると、ホークスはすでに冷蔵庫の裏から出て、流しで手を洗っているところだった。
「お母さん?」
「そうだ。良く分かったな」
「ごめん、実は剛翼の感知の強度上げすぎちゃって、少し話聞こえちゃった」
「ああ、構わない。大した用事じゃなかったから、な………ホークス?」
言葉の途中で、違和感に気がついた常闇がホークスの様子を伺った。家に着いた時とは明らかにちがう、青ざめた顔に合わない目線、一応笑顔ではあるものの、目付きは鋭く表情は強張っていた。
「いや、やっぱ、よくないのかなと思って。俺らのこと。もし知ったら、どう思うんだろ」
「俺の選択をはなから否定するような人達じゃないはずだ。それに、両親と俺は別の人格だ。気にすることは何もない」
今のホークスには誰の言葉も聞き入れる余裕はなさそうだ。そう目に見えて分かるほどには動揺していた。カリカリと、キッチン台の角を指でせわしなくひっかく音。背中の剛翼が、怯える獣のように空気を含み天井に届きそうなほどに膨張している。近づけば噛まれるだけでは済まない、そんな気配を肌で感じて、常闇はその場を動けずにいた。
「そもそも、そう思えるっていうのが、常闇くんの育ちがいい証拠やけん。だからこそ、俺は絶対にそんな風には思えん。だって、親も人殺しで、そんで俺も──」
「ホークス!」
それ以上口にさせてはいけないと、そう思うと同時に半ば無意識の内にダークシャドウを発動させていた。
すべてを包み込む「胎」の中は、完全な闇になる。自分の手すらも形が一切見えない中で、自分のものではない過呼吸気味の荒い呼吸音を頼りに腕を伸ばす。丁度肩のあたりに手が触れた時、その肩がビクリと大きく跳ねた。その反応を受けて一瞬ためらいが生まれたものの、そのまま掴んだ肩を引き寄せ、闇雲に抱きしめた。
ダークシャドウも、永遠に技を続けられるわけではない。部屋が薄暗かったのは幸いしたが、それでも体力の限界は訪れた。
その体力の限界は、ダークシャドウか、それとも常闇自身か。
胎がほどけ、腕の中で目を閉じているホークスの顔が見えるのと同時に、常闇自身も帳が落ちるように抗いようのない眠気に襲われた。
ホークスを腕に抱きかかえたまま眠ってしまっていた。その経緯を常闇が正確に把握したのは、次に目が覚めた時だった。
ひそひそと、誰かがしゃべる声で徐々に意識が覚醒していく。
窓から差し込み月の明かりが青白い。その光に照らされて、ベッドに腰かけて会話をする2つの影が浮かび上がっていた。
幼い頃、家族で遊園地に出かけた帰り道、後部座席でうつらうつらとしながら前の席の両親の会話を聞いていた時の感覚を思い出した。
満足感と幸福感。守られているという感覚の中で安心して眠る頭に、平和の象徴のように響いてくる、話の内容は分からずとも楽しそうなことは分かる穏やかな二人の声――
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「……起きていたのか」
「さっきね。ダークシャドウが相手してくれてたよ。常闇くんが何歳までおねしょしてたのかも教えてもらっちゃった」
イヒヒ、と顔を見合わせて笑うホークスとダークシャドウに、まだ目が暗闇に慣れていない常闇は瞼をごしごしと擦りながら横たわっていた体を起こした。
「それくらいなら別に構わない。ダークシャドウは、もっと恥ずかしいことも知っている」
「何それ? 気になるなぁ。ああ、俺たちをベッドまで運んでくれたのもダークシャドウだってよ。ありがとね」
「そうか、すまなかったな」
ダークシャドウを労いながらベッドの端まで這って行った常闇がそのまま腰かけると、ダークシャドウは気を効かせたのか、ホークスと常闇の間にいた自分の体を、常闇の反対の肩の脇へと移動させた。
「少々、いいだろうか」
常闇がそう話を切り出すと、ホークスは床に下ろしていた両脚をベッドの上へと引き上げながら、なに?と何気ない口調で返してきた。
「俺は、物心ついたころから今まで、本当の孤独を知らずに生きてきた」
常闇は膝に肘をついて顎を手で支え、月明りで雲の形が分かるほどに明るい窓の外の空へと目を向けて話を続けた。
「この見た目だ。差別意識の強い地域に住んではいなかったとはいえ、幼い頃は周囲の人間に遠巻きにされたこともある。それでも、俺はひとりぼっちになることは絶対になかった」
そう言いながら、常闇は手の甲で傍らを漂うダークシャドウの嘴を撫でた。心地よい薄暗がりの中でまどろんでいたダークシャドウは、常闇の行動の意図は分からずとも機嫌良さそうに微笑んでいた。
「そっか、個性が発現してからはずっと一緒だもんね」
ホークスは抱えた両膝に頭を預け、下から見上げるようにして、よく馴れた猫のように甘えるダークシャドウに視線を送った。
「ああ。だから……俺はあなたの淋しさを本質的には分かり得ないような気がしている」
「いいんだよ、別に分かんなくて。俺だって、一人から一気に三人になって、一人だった時のことはもう思い出せないくらいだし。それに、俺ともずーっと一緒にいてくれるんでしょ?」
ホークスの視線がダークシャドウから常闇の顔へと恐る恐る移ってくる途中、月明かりを受けた黄金の瞳がライトを受けた宝石のように光を反射した。それを注視していた常闇は、自らの肩をダークシャドウが隣からグイグイと押してくるのを感じたが、上半身に力を込めることで押し返した。「絶対イマダロッ!」とホークスに聞こえないくらい小さな声で囁かれたが、無視する。
「無論、そのつもりだ」
常闇の返事を聞いて、ホークスが照れくさそうに微笑む。常闇は、もう寝よう、とホークスを促し二人でシーツにもぐりこんだ。
横になっても尚、嬉しさと恥ずかしさに綻ばせた顔で自分の方を見ているホークスの顔を見て、常闇は唾を呑んだ。
自らに向けられる愛情が、幼子が親に向けるものと同じくらいに純粋なものであること。それは喜びであると同時に、どうあっても“望まれていない“ということの表れにも感じられた。
自分の中に湧く後ろめたさと居た堪れなさを誤魔化そうと、シーツの中を手探りにホークスの手を見つけ、そのまま指を絡めるようにして固く握りしめる。
「……ダークシャドウは、“いきすぎた個性”だ。以前にも話したが、真夜中の暗闇で敵に襲われた際には俺自身にも制御不可能なまでに暴走した」
「雄英の、一年生の合宿の時か」
「それと同じように、自分で自分が抑えられなくなるんじゃないかと、少し不安になる時がある」
「……どんな窮地でも冷静なのが、君の長所のひとつだと思ってるけど」
「だと良いが。感情の制御は、時に個性の制御よりも難しい。ダークシャドウも……あなたへの思いも、この身には余る、と感じることがある」
常闇が吐き出した言葉に、返事はなかった。その代わりに、つないでいるホークスの手に、ぐっと強い力がこもった。
意思を感じさせてくれる力に、安心して、堪らなくなった。
だが、持て余すほどの想いも、言葉にすれば軽く聞こえる。そう分かってしまうと「おやすみなさい」としか言えなかった。
ああ、心臓の音が言葉の代わりに訴えてくれないだろうか。
やみもくももかきわけてきれいなつきあかりのもとであなたととびたい
いたいのいたいのとんでけ
事のきっかけとなったのは、大阪でのチームアップ案件だった。
「なぁ~、もう一軒くらいええやんホークス。大阪くることなんてめったないんやし」
ファットガムが肩に腕を回すと、腕を回すだけには収まらず、回された方は自然と豊満な脂肪に埋もれてしまう。
常闇は、二回りは大きいファットガムの体に半分以上隠れてしまっているホークスの姿を、二人の一歩後ろから見守っていた。
「いいですけど、もちろん奢りですよ?」
「わーっとるわーっとる!最近見つけた店、わい好みのかわいいおねえちゃんいっぱいおんねん。言われんでも気いついた時には財布の紐ガッバガバですわ」
「……俺は先にホテルに戻っています。ファットガム、ごちそうになりました。明朝にまた」
「おお!ほんまええ子やねー常闇くんは。ほな、明日も活躍期待してんでー!おやすみ!!」
体のサイズに対して細く見える腕をブンブンと振るファットガムの影で、ホークスは苦笑いで常闇に向かって「ごめん」とジェスチャーで伝えてきた。常闇は道頓堀のアーケードに消えていく二人を見送ってから、ホテルまでの道を足早に歩きだした。
ホークスが日付の変わる数分前にホテルに戻った時、常闇はまるで待ち構えていたかのように、出入り口に体の正面を向けてベッドに腰かけて腕を組んでいた。
「あれ? 先に寝ててよかったのに?」
「そのつもりだったが、寝付けなくてな。……あの後、ファットガムと何を話してたんだ」
「えーと、9割9分、下世話でくだらない話しかしてないと思うけど」
「俺も馬鹿じゃない。人払いをしたくてあんな言い方をされたのは分かっている。……以前にも、ファットガムと一緒に表ざたにできないような案件を処理していたんだろう」
「あー……」
アルコールのせいで体が熱いのか、ホークスは話をしながら、ヒーロースーツの厚手の上着と、そしてズボンまでを煩わしそうに脱ぎ去った。それから、常闇の座っている向かい、ツインベッドのもうひとつにドサリと腰を下ろした。上下共にインナーだけの姿になったホークスを目の前に、常闇はさりげなく視線を脇にずらす。
「それは、ちょっと誤解かも。ファットさんは純粋に麻取との共同捜査、で、俺は公安の依頼でそこに関わってるヒーローの情報を先回りして潰してただけ。むしろ邪魔してた、みたいな?それに、今はそういうのやってないから」
「ムッ……」
「ファットさんも、適当なこと言ってやんなっちゃうな~」
ホークスは、あーあ、と呻きながら両腕を天井に向かって挙げると、そのまま背中からベッドに倒れ込んだ。
「……それはそうだとしても、時折、報告なしで活動していることは知っている。事情があるのは承知しているから、何をしているのかは教えてくれなくても構わないが」
ベッドに倒れ込んだホークスが、常闇が寂しそうに言った言葉を聞くと、再び上体を起こし、常闇を見た。
「君が心配してくれてるのは分かった。でも、ここで説明するのもなんだから、……常闇くんも一回一緒に来てみる?」
いつぞやと同じ説明のほとんどない提案に、常闇も相変わらず、ほぼ考えることなく首肯した。
「人が苦しんだり傷ついたりする要因って、必ずしも敵(ヴィラン)だけじゃないからね」
大阪でのファットガム事務所とのチームアップから福岡へ戻ってきて数日後、正規のヒーロー活動が終了した後で、ホークスが常闇に一緒に来るように誘った。
夜更けの福岡の街の、繁華街からは少し離れた住宅街のマンションの屋上を飛び移るようにして移動していく。飛んで回るのではなく、屋上の様子をひとつずつ確かめるようにして。
何を探しているのか。
常闇にはホークスの意図が分からず、それでも直接尋ねることは控えて後をついて回る。
答えは、小一時間のパトロールの末に明らかになった。
とあるビルの屋上。自由に出入りできるため、行き場のない者たちの溜まり場となっているだろことは降り立ってすぐに想像がついた。
そしてその屋上の手すりの傍に立つ人影が、ホークスの目的だということも。
二人の存在、というよりも先んじてそちらに向かって歩み寄っていたホークスを見た少年が、驚きと不快感に眉をひそめる。
「まさか、ホークス……なんでこんなとこにおると?」
「邪魔してごめんね、たまたま通りがかっちゃって」
ホークスは少年の警戒心を解こうと笑顔で話しかけながら、体の横に垂らした手のひらを背後に向け、数歩後ろをついてきていた常闇に制止するよう示した。大人しくその指示に従い足を止めた常闇は、その場からなりゆきを見守った。
足の動きをゆるめないホークスに、少年の表情の怯えは増していく。そして一定の距離にまで近づいた時、近寄るな!と叫ぶのと同時に、少年の周りの空気が歪んだ。
変形系の個性だ。常闇は両手でガードし、刮目する。本来ならば少年の腕があるはずのところには、機械時計の内部のような無数の歯車の組み合わさった機械があった。
ガリガリと、少年の個性が激しい金属音をたてる。その音に紛れて、なおかつ距離を置いて見守っている常闇のいる位置からは距離があるため、少年がホークスに向かってひたすらに叫んでいる言葉まではハッキリと聞き取れなかった。それでも「偽善者」や「ニセモノ」といった単語だけは、その言葉の強さも相まって自然と耳に飛び込んで来る。
制御できていない故の恐ろしさはあっても、個性としての力はない。無造作にとんでくる部品をさばけないはずがないのに、ホークスの剛翼はさっきから背中で畳まれたまま、一枚たりとも動かされる気配すらなかった。
真っ直ぐに少年の元まで辿り着いたホークスが、地面にへたりこんだ少年本人の体を抱く。それから数秒後、少年の個性が生みだした金属の部品たちは意思を失い、一挙にコンクリートの上に落ちていく。バラバラと降り注ぐ雹のような激しい打音がしばらく響く。音が途切れた後に聞こえてきたのは、ホークスの腕の中で少年がすすりなく声だった。
少年の興奮が落ち着くまでホークスが傍についているのを、常闇は別の場所で待っていた。ただひとりでいると、先ほどの屋上での光景を思い出してしまい、気分が落ち着かない。ホークス達の向かった交番近くの公園で、夜の闇に喜んでいるダークシャドウを遊ばせて暇をつぶす。
「いや~お待たせお待たせ」
現れたホークスを、すかさずベンチの方へと促し座らせる。
「顔、怪我しているだろう。こちらへ」
「ああ、ただのかすり傷だよ。でもお願いしようかな。ありがと」
首や頬など、むき出しになっていた部位についた擦過傷に、手持ちの道具を使って消毒をしていく。その途中で、今回の傷より前についた頬の火傷痕に指先が触れる。他の部分とはちがう皮膚の感触に常闇はなおさら怯みそうになった。
大人しくされるがままの状態で、ホークスが話を始めた。
「親子喧嘩の拍子に個性が暴走して、お母さんのこと傷つけちゃったんだって。それがショックで思わず家飛び出して、どうしようもなくなってあそこにいたらしい」
「そうか……」
「一応、個性カウンセリングも受けるように勧めておいた。あれねー、俺も子どもの頃公安で受けさせられたけど、意味あったとも思えないんだよな」
訝しげに細めた目で遠くを見ながら、ホークスが肩をすくめ、ため息を吐く。
義務教育期間に定期的に行われる一斉個性カウンセリングの他にも個々の生育状況や個性の種類に応じて肉体的、精神的なサポートは継続される。
「俺も、親が心配して幼い頃に何度も受けた記憶がある。他の者より頻度は多かっただろう」
「……個性が本人とは別の人格を持つのは珍しいからね」
「ああ、子どもの発達段階で意識にどういう影響を及ぼすのか、両親はもちろん専門医にとっても未知の領域だ。今となれば、両親の不安も良く分かる」
話している間に消毒も終わり道具を仕舞い終えた常闇は、膝の上に両手を揃えホークスに向かって軽く頭を下げた。
「ホークス、疑ってすまなかった。それと、こんな風に踏み入るような真似をしたことも謝りたい」
「や、そもそも隠してるつもりもなかったから、全然いいよ。それに、常闇くんが来てくれたおかげで前より暇になったからこういうことできてるんだし……まあ、ちょっと恥ずかしいけど」
ホークスがはにかみながら、膝の上で揃えている常闇の手を両手で包み込むようにして握り、自分の膝の上まで持っていく。
「君は、俺なんかよりもっとずっと強い。でも、俺が常闇くんのこと好きなのは、強いのが理由じゃないから」
「では、なにが理由だ?」
「そりゃもちろん……ひみつ」
人差し指を唇の前に立てて笑ってみせるホークスに、答えをもらえるとはそもそも思っていなかった常闇は肩をすくめ笑い返した。
「常闇くんのカウンセリングの記録、見てみたいな。……ん? 普通こういう時って、子供の頃の写真とかアルバムが見たいっていうのか」
「どちらも実家にあるはずだ。いつでも見に行ける。発現したばかりの頃のダークシャドウは、今よりもちいさくて可愛らしいぞ」
「ははっ、そうなの?」
「カワイクネーヨ!」
黙っていられずに常闇の指示もなく出てきたダークシャドウの不満たっぷりの声が、深夜の公園に反響する。しずかにしろ、と常闇はたしなめたが、ホークスは気にする様子もなく笑っている。
「じゃあ、いつか見せてもらいにいこうか」
その言葉に、常闇はできるだけ力強い言い方で、ああ、と頷いた。
閑話*2 大阪のどこぞの飲み屋
「新体制の事務所、うまくいっとるみたいやな」
「おかげさまで。会う人みんなに意外がられるんですけど、言うほど珍しいですかね?」
「いや、共同設立自体はええと思うねんけど。あのホークスが!っていうのが意外やっちゅう話やろ」
「えー、対オールフォーワンの時、俺が協力体制構築してがんばってたの知りません?」
「あれは、他人使うんがうまいだけやろ。ほんま、鬼みたいな指示だされたこっちはしんどうてかなわんかったわ。ま、それはそれとして、昔から何考えとんのかよう分からんやつやったけど、まさか6個も下の後輩と本格的に組むのはさすがに驚いたなあ」
「年齢とかキャリアとか関係ないって、俺がいっちばんよく分かってますからね」
「あっそ。でもまあ、今も正直よう分からんとこあるけど、前よりもええ感じの顔しとるで」
「ええ感じって、んなあいまいな……ほめてます?」
「ほめてるほめてる。なんかなあ、おれなんかからしたら、お前も常闇くんもかわいいてしゃあないわ。ほれほれぇ」
「あ~ちょっとちょっと、勢い余ってひと埋めるのやめてくださいよ!」
「なんでや!ファットさんの脂肪はどんなクッションよりも人をダメにする自信あるで」
「ほんと、みなさん揃って人のことからかって……前にミルコさんに会った時には、『お前!弱っちそうになったなあ!』って言われましたよ、すっげー嬉しそうに」
「ああ、それも一理あるなあ。人任せにする分が増えたせいか、前より隙が見える時あるわ」
「あと、ジーニストさんにも聞かれました……なんでだ、って。でも、そんなんバカ正直にほんとうのこと言えないですよ」
「……おぉ?」
「なんだかんだと理屈こねて正当化してますけどね、結局のとこは、自分の欲しいものを傍に置いときたいっていう私利私欲だけですから。性根矯正された方がいいんですよ、おれみたいなやつは」
「お、おおお、ホークス……おまえ!実はいま、けっこう酔ってんなぁ!」
「でしょうね。でもだって、サイドキックとして世話をするってことは、いずれ独り立ちするのを許すってことでしょ。俺は……それがぜったいに嫌だったんです。ホント、それだけ」
「ええな!こりゃあ、ええボヤきかたや!!そんな愚痴言い出されたら、もう一軒いかなしゃあないやろ!!すんませーん!!こっちおかいけえ―ー!!」
見聞
秋も深まり、博多に立ち並ぶビルの隙間にも木枯らしが吹き始めるころ。
常闇は、事務所のビルの屋上で再び自らを恥じていた。原因は、前の週半ばに迎えた自身の誕生日にある。
今年もまたひとつ年をとった。
自分も愛する人も息災でその日を迎えられた。
それだけで十分。それ以上に何を望むというのか。
そう言い聞かせることで、誕生日の直前まで心の奥底にかすかな期待を抱いてしまっていた自分を恥じた。
自分の「欲しいもの」としてソレがある可能性を、ホークスもうっすら考えているのではないか、とか。
踏み切るタイミングとしては、うってつけなのではないか、とか。
もちろん、そんな常闇の思惑を世間や敵が知る由もない。
誕生日前日は、ハロウィンイベントに乗じて暴れる敵を収拾するために、事務所総出で深夜まで対処することとなった。そして、遠距離広範囲に攻撃できる個性を持った敵を袋小路まで追い詰めたものの、あと一歩のところを近づけずに物陰でヤキモキとしている時に、日付変更線を超えた。
そんな状況で誕生日を迎えていたことに真っ先に気がついたのは、常闇自身ではなく偶然隣にいたホークスで、「あっ!常闇くん誕生日おめでとう!!」と元気よく叫ぶと、その大声に驚いて気を緩めた敵の隙をついて飛び出し、その場は事なきを得た。
──状況が状況だ。その瞬間を一緒に、しかもヒーローとして迎えられたのだから、むしろ喜ばしいくらいだ。印象的過ぎて、今後のどんな誕生日以上に記憶にも残るだろう。
どんなに納得しようとしても、期待していたのは事実だ。
その一件の事後処理を終えた数日後に祝ってはもらったものの、無論そんなことを考えていたとはつゆとも露呈させていない。
運命に邪魔をされたのであれば、それを受け入れるのが常闇だった。
まだ早いと、そう天は思っているからこそ肩透かしをくらったのだ。
それで終わればいいのに、欲望が、煩悩が、無限に肥大化していくのを止められない。
一人苦悶し頭を抱える常闇を嘲るように、カァ、と真っ黒なカラスが鳴きながら頭上を横切って行った。
カラスが飛んで行くのを見送り、その先にある山並みをぼおっと眺める。
旅がらすか。
俺も、いっそのこと長い暇をもらって武者修行にでも出るべきだろうか。
着けているのが普段愛用している集音性が高いヘッドフォンではないからと言って、常闇が自宅に入って来た時点で“感知”しないことはまずない。
つまり、聞こえないのではなく聞こえていても意識がいかないくらいに、画面に集中しているということだろう。
ホークスの自宅を訪ねた常闇は、玄関の方に向いたまま動かないホークスの背中を見てそう推察した。
一体何を見ているのか──さして考えもなくホークスが見入っているパソコンの画面を後ろからチラリと覗き込んだ常闇は、驚愕のあまり両眼をほぼ完全な円形になるまで見開いた。
その瞬間に、ホークス、と名前を呼んだ声が、常闇自身が思っていたよりも大きかったのだろう。
ヘッドフォン越しにでも耳をついらしい常闇の怒声に、ホークスは椅子から転げ落ちる勢いで慌てて振り返る。そして常闇の姿を確認すると、呆気に取られた表情を浮かべてから、全身を脱力させるのに合わせてズルズルとヘッドフォンを外した。
「あ~常闇くんか。ビックリした~」
「……何を、見ているんだ」
常闇の質問に、まだ驚いている様子のホークスは、さっきまで見ていた画面と常闇との間で視線を往復させてから、ああ、と頷いた。
「何って、あ~~、アナルセックスのAV」
「……なぜ」
「見聞を広げようかと思って……」
「……おふざけで?」
「いや、割と本気だけど……その、想像してたよりハードで、ついつい見入っちゃった」
ワハハ、と誤魔化したいのかそうでないのか、常闇には思惑の読めない豪快さで笑うホークスに対して、常闇自身は完全に精神を憔悴しきっていた。
そしてそのまま、形容しがたい感情にわななく拳を握りしめ、何かに耐えるように、その場にしゃがみ込んだ。
大丈夫?お腹痛いの?と見当違いの心配をしながら歩み寄って来たホークスが、同じように横にしゃがみ込んで蹲った常闇の背中に手を置く。広がった剛翼で、常闇の頭上に暗い影が落ちた。
「この際だ、ついでに聞きたいことがある」
「うん?」
「ホークス……俺が異形のものだから、そういう欲求が沸かないということはないか?」
その問いを常闇が発してから数秒の沈黙、の後、ホークスは表情を変えずに、項垂れた常闇の額を人差し指で弾いた。しっかりと力が込められた指に叩かれ、バチリという鈍く重たい音と共に、常闇の頭が勢いよくのけ反った。
本気のでこぴんを受けた常闇が両手で額を抑え涙目になって悶絶するのを、ホークスが呆れた顔で見守る。
「やはり……」
「怒られるって分かってるなら、そんなこと言わないでくれるかな?」
「すまない、失言という自覚はある…ただ、万が一ということを考えてしまって、その……相手が俺じゃなければともしかしてと」
一度口に出してしまうと、弱音は糸でつながっていたかのようにズルズルと引きずられ出てくる。
異形も、別姓婚も、同性婚も、公的には許されている。だがそれは、社会的に受け入れられていることと同義ではない。
そんなことを気にしてはいない。恐らくホークスは常闇よりももっと気にしていない。それも分かっている。
すまない、と再度謝り、嘴の先を床に向けて項垂れる。そんな常闇を見て、やれやれ、と困った顔で軽い溜息を吐いたホークスが一言。
「常闇くん、意外とネガるとやねえ」
ますます居た堪れなくなった常闇は、何も言わずにダークシャドウを発動させた。
閑話*3 イヤホン越しの会話
「もしもーし。常闇、元気してる?」
「ああ、先刻は電話に出られなくてすまなかった。何用だ?」
「いや、急用じゃないから全然オッケ。むしろ電話で聞くような話じゃないんだけど、どうにも気になっちゃってさ」
「なんだ?」
「この前あのバカ…上鳴に会った時に、常闇が彼女とラブラブで羨ましいって話を散々されたんだけどね」
「ああ……そのことか」
「その、もしかしてなんだけど、その相手って……ホ」
「そうだ」
「すごい、すごい食い気味。でもやっぱそっかー、常闇はなんか、違うよねやっぱり。あとウチ、ホークスって常闇のことめっちゃ好きなんだなと思ってたから、両想いだって分かって……変な感じ、良い意味で」
「ホークスが? 俺じゃなくて?」
「うん」
「なぜそう思うんだ?」
「実は……前に三人でご飯食べた時に、机伝いにホークスの心音聞いてたんだよね」
「それは……」
「言いたいことは分かる! 個性をこんなことに使うのって、ほんとは良くない。でも今回は常闇のことが心配だったからついってことで、許してほしい」
「心配?」
「うん。ちょっと、ホークスってやっぱ本心読めないとこあるじゃん。うまくやってるんだとは思うけど、常闇が進路決めた時も、向こうはどういうつもりなんだろうって気になってて……」
「ふむ」
「ま、それはそれで、今は全然あやしいとか思ってないからね!思ってたよりすごい気ぃ合うし!……でさ、いざ聞いてみたら、その~、ちょっとこっちが恥ずかしくなるくらいっていうか。常闇と話してる時とか、目が合った時とかに分かりやすいくらい心拍数上がってて、すごい、好きなんだなって、分かっちゃうよあれは…。だから、付き合ってるって知ってちょっと、いやかなり納得……って、常闇さっきからなんでずっと黙ってんの? やっぱ怒ってる?」
「……いや、衝撃を反芻している」
「あ、喜んでんだ。分かりづらっ!」
「耳郎、恩にきる。こんなことを言ってもしょうがないが、正直なところ最近自信を失いかけていた」
「自信? って、なんの自信?」
「説明し難いが…男として…? …いや、もうこの話はいいだろう。それよりその手法、上鳴に試してみたことはないのか?」
「へ?!いやいや、ないないない、したことないよそんなん」
「そうか。では、一度試してみるといい。じゃあな、またそちらに行く時は連絡する」
「あ、ちょまっ、常――
耳郎が電話口でまだ何か話したげにしているのは分かったが、常闇の方にはこれ以上平常心で電話を続ける余裕がなかった。切断したスマホを両手で握りしめ、額に押し当てる。
「……耳郎と三人で食事に行ったのは、付き合うよりも前だ」
そうだよな、と、胸の中で静まっていて聞こえるはずのないダークシャドウに向かって話しかける。
自分の存在があの心臓を動かしている。
そう考えると胸の疼きで落ち着かない。
そろりと体外に出てきたダークシャドウが、両腕で胸部を抑えて蹲る常闇を見るや、心配そうに体に巻きつく。おまえはやさしいな、とつぶやきながらその背を撫でてみても、胸の痛みはしばらく続いた。
幻燈祭
年が明けてしばらく経ったある日、ホークスから遠征の予定を聞かされた常闇は、質問を投げかけた。
「ランタン・フェスティバルなら、むしろ本番は夜だろう。警備の手伝いの予定は昼だけになっているが、これでいいのか?」
「うん。まー、その……ぶっちゃけ、そっちがついでだから」
「は?」
「二人の休みの日程合わせるのも大変だし、仕事の予定入れればスムーズにデートできるなあとか思った次第デス」
「なかなか大胆な犯行だな」
「年末年始はえっぐいくらい忙しかったし、これくらいの職権乱用は許してもらってもいいかなー」
ね、と書類を両手に抱え、わざとらしさ満載でかわいらしく首を曲げる。そんなホークスに、常闇は内心の喜びを隠すために、わざと呆れた視線を向けた。
「常闇くん見たことないっていうし、行きたそうだったから」
学生時代ホークス事務所にインターンに来るまで、九州にほとんど縁のなかった常闇にとっては、珍しいイベントや風習は溢れている。今回も、以前にテレビの特集をたまたま見かけた時に常闇が俄然目を輝かせていたのを、ホークスも覚えていたのだろう。
事務所の外に出ると、北風がヒーロースーツの隙間に吹き込み常闇のマントを勢いよく巻き上げた。首元を差す空気が冷たい。
それでも、気分が穏やかに高揚しているせいか、寒さもそこまで気にならなかった。
暦の上ではもう間もなく2月。立春だ。春になれば、去年墓参りの後に寄った関西の山々も、再びピンク色の絨毯で染まり始めるだろうか。
地上の喧騒から上空へと逃れて、他の観光客の目につかない建物の給水塔から、眼下に広がる灯りの海を見下ろす。たくさんの人の頭が蠢く辺りから少し離れた方へと目をやると、川を渡すように吊るされた無数のランタンの明かりが水に滲んでいた。さらに遠くを見れば長崎の街の夜景も広がり、夜にしては賑やかな風景だった。
きれいだ、という感想を口には出さずに噛みしめた常闇は、隣に視線を移す。
ホークスは、鳳凰を模した大きなランタンオブジェの前で撮った二人の写真を、SNSに投稿するために加工している。昼間の警備の際に、宣伝ヨロシク、と言われたのを律儀に守っているようだった。
昼間の警備も、二人に与えられた役割は警備というよりも一種の見世物担当だった。
この祝祭の期間は、空を飛ぶものならどんなものでも見ると縁起がいいと、そういうしきたりがあるらしい。飛行系の個性のものが他にも何人か集められていた。
「急遽って言われたけど、こりゃ元々そのつもりだったのかな。ま、こっちとしてはのんびり見物できていいけどね。ダークシャドウは大丈夫?」
地上に向かって手を振り返しながら、ホークスはそう言っていた。晴天の中飛行を続け「うん」とも「ふにゅ」ともつかない殊勝な返事しかできなかったダークシャドウは、ここに登ってくるまで昼間以上に明るいランタンの間を歩かされたこともあり、疲れ切ってしまったのか今は静かだ。
疲れているのは、ダークシャドウだけでもない。仕事ではないという意識もあってか、夕方から遊び回った疲れはそのまま心地よく蓄積されている。自然と言葉数も少なくなっているが、そもそも二人きりの時のホークスが存外静かなことは、ここ一年で常闇も熟知しつつあった。
常闇の視界の中、スマホ画面に照らされた横顔が、風に吹かれた羽で隠れたり現れたりを繰り返す。御簾の隙から覗き見ているようで、少し眠そうな顔はいつも以上に整って見えた。
「きれいだな」
「……景色に向かっていいなよ」
てっきり画面を見ていると思ったホークスが、画面に目を向けたまま苦笑する。
「さっきの飾りじゃないが、剛翼の色は本当に鳳凰か不死鳥のようだ」
「いいんだよ、あんまそういうこと言わなくて」
「いやか?」
「いやではない、けど、ほめられると、なんかな……」
体の横で風にそよぐ羽根を弄び、もどかしげに言葉を選ぶ。
常闇は、この一年でホークスが言葉を選ぶのを待つ時間が好きだと気づいた。速さを信条とする男が、殊更に時間をかけて迷い、なんとか自らの感情を伝えようとしてくれている様は、ただ愛おしかった。
「……そうだな。そもそも、俺は俺の個性を自分のものだと思ってないのかも知れない」
選んだ末に、淀みのない口調で告げられた言葉に、ホークス本人も言いながら得心しているようだった。
「おれの羽、荼毘に燃やされたあと、一度はエンデヴァーさんのために生えてきた。だから、あの時の羽はエンデヴァーさんのものだと思って使った。……でも、その次は常闇くんのためだったから」
剛翼の一枚を手に持つと、神妙な顔で話を聞かれているのが気まずいのか、からかうように羽根の先で常闇の嘴の先を撫でる。
「だから、俺のこれは、今は常闇くんのものみたいなもんだね」
「……ならば、もっと大切にしてくれ」
「あはは、ごめんごめん。どうせ生えてくるって思っちゃってねー」
手にしていた羽根を、自分の鼻先に持ち上げてしげしげと眺めると、不思議そうに首を傾げながら話を続けた。
「それでも、前よりは大事にしようって思えてるよ。ダークシャドウを毎日見てるからか、個性の意思みたいなのが気になっちゃって。緑谷くんの件もあるけど」
そう言って、奥で眠っているダークシャドウの代わりに、常闇の腹のあたりに目を向ける。自己分析をするホークスの顔は、どこか嬉しそうだった。
道行く人々の喧騒、遠くから聞こえる獅子舞の囃子。
地上に腰を落ち着けているのに、ふわふわと体が浮き上がっているような不思議な感覚だった。
愛しい。手が届く。受け入れられている。
その実感に浮足立ったそのまま、気がつけばキスしていた。
血肉が沸き踊るとはこういうことか。ドラムのごとく力強く脈打つ心臓を中心に、全身がまるでひとつの楽器になったかのようだった。
心音が体内を反響して、骨や皮膚が躍動している。
自分の想像など遙かに超えた先にあったのだと直感的に分かる、まるっきり未知の感覚だった。
常闇は身体的な特徴の都合で、普通の人のような気軽さでキスができない。
とはいえ、恋仲になればそうした接触を避けては通れないし、過去に付き合った相手ともキスはしていた。が、正直なところ、わざわざ少しの無理をしてまでキスをするのを、面倒に感じてしまうことの方が多かった。
それが今はどうだろうか。
ずっと、こうしたかったのだと。自分の欲望に正直になってしまえば、頭の靄が一気に晴れていくような爽快感があった。
永遠のようにも思えた時間は、本当に一瞬だったのだろう。
ぱちり、と瞬きをした感覚があって、その次にはもう二人の顔は離れていた。
我にかえった常闇の目の前には、眉をくしゃりと曲げ、笑いたいのか泣きたいのか分からないような表情で口元を抑えるホークスの顔があった。
バサリ、と翼が大振りに空気をかく音が響く。
「頼む、ま、ってくれホークス!」
常闇がホークスの手首を掴もうと伸ばした手は、寸でのところで届かなかった。引き留める常闇の手を逃れたホークスは、あ、と言う間には二人のいた場所の数メートル上空まで舞い上がっていた。
まだ追いつける。
その咄嗟の判断も、追うべきではない、とすぐに取り消し、その場で足に力を込め踏みとどまる。
去り際に常闇の方を見下ろしていたホークスの表情から、嫌悪の感情が読み取れなかったのだけが唯一の救いだった。
あなたの
自分は空っぽだと、自らをそう嗤うその人の内実は空虚でもない。
心に灯したまま一生消えないだろうエンデヴァーの火や、ことあるごとに悼みを重ねる分倍河原の死や。
簡単に捨てることができるのが自らの長所だと、そう自嘲するのに、自らの手で拾ったものや自らの意志で選び取ったものを、彼は決して捨てられない。
そのひとつが自分であると。その事実に対する喜びは何にも替えがたい。
なのに、彼の中を占めるすべてを押し退けて、ほんの一瞬でもいいから彼のすべてになりたがって、欲望のはけ口を愚かにも求めている。
恥じ入れ、卑しさを。
告げ直す
ホークスから連絡があった──そう福岡の事務所にいるサイドキックから常闇に連絡があったのは、二人が長崎の上空で分かれた日の翌朝だった。
『今朝ホークスから連絡あったっちゃけど、今北海道におるらしい!よう分からんけど、今日中には福岡戻るから、常闇くんも適当に帰っておいでって』
その電話を受けてから数時間後、言伝通りに福岡へと戻って来たホークスは、常闇の家の玄関に気まずそうな顔で現れた。なぜか両手に大量の紙袋と大きなクーラーボックスひとつを持って。
「……怒ってる?」
玄関のタタキで靴を履いたまま、出迎えた常闇の顔を上目遣いに伺いながら尋ねる。
「怒ってはいない。……いや、腹が立ってはいる、ただ、それは俺自身に対してだ。それより、それらは?」
常闇の質問に、ホークスは両手を荷物事軽く持ち上げてみせた。
「ああこれ。けさ、小樽でちらっと市場覗いたら顔バレしちゃって。これも持ってけあれも持ってけって、気づいたらこんなんなってた。口に放り込まれたザンギがすげーうまくて。一緒に食べたいなと思って、そのまま来た、んだけど……」
尻つぼみになりそのまま途切れたホークスの言葉の続きを、常闇は黙って待っていた。寒い空気の中長距離で飛行したせいか、髪も肌も乾燥しているのが見て取れた。寄る辺の無い海の上の夜間飛行は、個性も精神も消耗しただろう。それでも、今この場で言うべきことがあるのを、どちらもが理解していた。
声が小さくになるのに合わせて俯いていたホークスが、数秒後、意を決したように顔を上げた。
「君が、群訝の跡地で最初に告白してくれた時のこと、あれからずっと考えてる」
「『あなたの中にいたい。あなたの視界の、思考の、心のどこかに常にいさせてほしい。頭からつま先までひとつも欠けてほしくない。そのためにそばで支えさせてほしい。誰かに縋りたいと思った時、最初に手を伸ばすのが自分であってほしい。あなたの、決して失われない一部でありたい』」
常闇が告げた内容をそのまま、一言一句違わず口にするホークスの声からは、本人の言葉通りこれまでに何度も繰り返し反芻したのだろう事実がたしかに感じられた。
「俺も同じだ、って思ったのは、嘘じゃない。でも俺は、それだけじゃなくて、はじめて出会った時からずっと……自分のために君を利用し続けてる」
眉尻を下げ、額に微かな皺を寄せ、まるで笑い方を今知ったばかりの生き物のように、不器用そうに微笑む。時折見せる、寂しげな、ともすれば感情の育っていない幼子のようなその表情は、常闇からすれば救いを求めている時の顔だった。
かつて緑谷が救い出した少女、エリちゃんと同じだ。未だに交流のある彼女は、最近ようやく普通に笑えるようになってきた。この人は、一体いつになれば心から笑えるようになるのだろうか。
「……すればいいだろう。好きなだけ、利用すればいい。それで──」
俺無しでは生きられなくなればいいんだ。
腹の底から湧き上がってきた言葉をみなまで言いかけたところで、これは口にしてはあならぬと戒める理性でもってなんとかとどまる。ただその勢いは削ぎきれず、言葉の代わりに獣じみた息を漏らしながら、目の前の肩にしがみついた。玄関の段差分高い位置からの抱擁で常闇の腕に抱えこまれたホークスは、上半身のバランスを崩して前につんのめり、手にしていた袋のいくつかが床に落ちた。
「うわ、っと──」
「ホークス……もう、……抱きたい」
腹の奥がの震えが止まらぬせいか、すべての音に濁点のついた、喉を押しつぶして絞り出したような声が常闇の口から漏れた。
耳元でそれを聞いたホークスの体が、常闇の腕の中で強張る。その緊張を感じても、もはや常闇には出してしまった言葉を引っ込めることはできなかった。情けない言い方も嫌だったが、他に言いようもなかった。
みなまでいえない汚い感情を持て余して、行き場のない衝動をぶつける先が、ここしかない。
これで完全に拒否されるかも知れないと、そんな不安も、もう考える余裕が無かった。涙が出ていないのが不思議なくらい、目頭が熱かった。
ホークスは、抱き着かれた拍子に取り落とさなかった荷物を剛翼で床に下ろすと、空いた両手を常闇の背中に回した。ぎゅ、と自らの体を常闇の方に押し付けるように抱きしめ、黒い部屋着の首元に額を預ける。
「俺も、そう思って今日ここ来とるけん」
は?と、常闇が驚愕の声を挙げる。慌てて密着していた体を離し。ホークスの顔を見る。恥ずかしそうにはにかみ、目が合わないように脇へと視線を逸らしていた。
「最近はね、割と、君からそう言ってくれるの待ってたとこあるから。俺からは言い出しにくくって……」
そこで言葉を止めると、常闇の首元に片手を添えて嘴の側面にゆっくりと顔を寄せていった。そのまま、わざと軽いリップ音をたててキスをした。そして、その行動に対する驚きで再び大きく見開かれた常闇の目を見て、ふふ、と嘴に唇を触れさせたまま笑う。
「ズルくてごめんね」
だから泣かないで常闇くん、とホークスに言われてようやく、常闇は自分が泣いていることを自覚した。
きみが
闇深い津軽海峡を渡りながら考え続けていた。
求められているようで、本当に求めているのは自分なのだと。
求められたいと求めている。自己愛と利己心の塊のような自分がみにくくて嫌いで仕方がない。
かといって、今ここで翼を捨て、暗く冷たい冬の北国の海に落ちる勇気もない。
彼から無理矢理にでも離れてあげようなんて、試みさえしない。
漁船のポツリポツリと灯る火と、半島の形を象る函館の夜景が見えてくるころには、沸騰していた頭も幾分冷えていた。
ランタンの暖色の光の渦から一転、馴染みのない街の夜景は人工的で冷たい明かりに見えた。
熱が冷めるのが怖い。君の熱が冷めてしまうのが怖い。
殻から孵って最初に見たという、ただそれだけで疑うことをしない君の目が、覚めてしまうのがいやだ。
祭りが一夜で終わるように、朝になれば消えてしまうのかも知れない。
夜もいやだけど朝もいやだ。いっそ時が止まればいい。
肌を突きさすマイナスの空気。その風切り音にも増して、海鳴りがうるさい。うるさい、うるさい。
はやく帰りたい。でも帰りたくない。
どうしたらいいか、分からない。
ねえ、君がどうしたいのかが、知りたいよ。
触れ合う
互いに下半身の下着だけの姿になりベッドの上で向かいあって数分、先に動いたのはホークスだった。
顔を下から掬い上げるよう動かし、常闇の口にキスをする。常闇は、閉じられた瞼の縁で跳ねる睫毛をじっと見つめていた。
ホークスにとっては、人生で二回目のキスだ。そう思うと、常闇にも感慨深いものがあった。だが、そんなにしみじみと思い入る余裕もなく、一度触れて離れたホークスの口が、はあ、と吐息を漏らした瞬間を狙いすかさず舌を差し入れる。
「ん、ぐ……っは、ぁ」
互いの唾液が混ざる音に、腹の底が疼いた。並よりも長い舌を駆使して口内を擽ると、その動きに反応してホークスの体が逐一跳ねる。その動きを抑えようと、肩に縋りついているホークスの二の腕を常闇の手が掴んだ。
触れた瞬間から、もう離しがたい。
掴んだホークスの二の腕は、緊張で強張ってはいても逃げ出そうとはしていない。それに内心で安堵しながらも、無駄なく整えられた筋肉のハリに、思わず掴んだ手を上下に動かして撫でさすっていた。
摩られるむず痒さのせいか徐々に力が抜けていくと、その肉は想像以上に柔らかな感触へと変質していった。それは二の腕だけでなく、肩も、胸部も腰回りも。筋肉を纏ったパーツのどこかしこもがそうだった。贅肉があるはずもないのに、こんなに柔らかくて人として大丈夫だろうか。やわらかい。マシュマロだ。ビーズクッションだ。低反発枕だ。動揺のあまり発想が貧弱にならざるを得ないほど、初めて触れるホークスの素肌の質感に衝撃を受けていた。
「ごめん、そんな触られると……」
取りつかれたかのように全身を撫でまわす常闇の手をそっと制止し、ホークスが気まずそうに呟いた。その言葉で我にかえった常闇は、慌てて手を止めると、耳まで赤面し口元を手で押さえているホークスの顔と、もじもじと擦り合わせている股の間とを見比べた。
「……触ってもいいだろうか」
「どーぞ。もう、いちいち聞かんでいいか、らぁ、っあ……!」
ホークスが言い終わるのを待たずに、常闇の指が下着越しに股間を擦り上げる。芯を持っているのを確かめるとすぐに、腰のゴムから中へと手を差し入れ、直接手を添えた。
「ん……」
他の部位を触れられた時とはちがう困惑した面持ちで、ホークスが唾をのむ。その表情を注視しながら、ゆっくりと手を上下に動かすと、高熱を持った肉塊は別のひとつの生命体のように常闇の手の中で脈打った。
「今まで、自分で処理したことは?」
「そりゃ生理現象だから、あるにはある、けど」
「けど?」
「自分でさわるのと、ぜんぜんちがう……っう、ふあ」
なにがどうちがうのかもっと詰問したくなる気持ちを抑えて、右手の動きは止めずに、もう片方の手をホークスの背中へと回す。力なく垂れている剛翼の付け根へと手探りで触れた。
いかほどの反応を示すのか、常闇にも未知の箇所だったが、ホークス自身にとっても虚をつかれたようだった。常闇の指先が根元の羽根に沿って皮膚を一度撫でただけで、びくり、と背骨が大きく湾曲するくらい全身を震わせた。
「あっ、そこやばい、かも……」
声色も震え、舌回りはたどたどしい。細いピアノ線を弾いているかのように、常闇の指先が羽根の付け根に触れるたびに喉と体が小刻みに振動する。
「……そうみたいだな」
こちらも限界だ。
下着を脱ぐ間も惜しく、一旦翼から離した手を使いスリットから自らを取り出し擦ろうとすると、その手の上から、別の手が重なって来た。
「おれは、許可とらんよ」
皮肉っぽく笑い、常闇自身の手を押し退けたホークスが、焦りからか、荒っぽい手つきで常闇のものを掴んだ。
「うっ……っはぁ」
互いの手と手、雄と雄とが擦れ合いぶつかり合いで、どちらの手がどちらを触っているのかも定かでない。先走りと汗に濡れ、荒くなる二人分の呼吸に粘ついた水音が混ざる。
「っあ、はぁ、……っぁあ」
左手を再びホークスの背中へと回し、先程の確かめた場所をピンポイントに狙って弄る。腕に抱え込んだ体をさらに引き寄せ、快楽に耐えるように常闇の首元に擦りついてくるホークスの、眼前に晒されたうなじを舐め上げ、長い耳たぶをピアスごと噛む。
それとほぼ同時に、ホークスの背がしなり、全身に最大級の緊張が走る。
「あ、も、ぃっ……!!」
ホークスが達するのに一拍遅れて、常闇もホークスの下腹あたりに精を吐いた。少し前からホークスの手はほとんど動いていなかったものの、常闇からすれば師の痴態を現実に目にしているだけでも、達するには十分だった。
「はぁ、……は、はっ……」
お互い乱れた呼吸を何とかコントロールしようとしながら、収まりついていない熱を誤魔化すように互いの首や髪をさすり合い、触れ合うだけのキスを繰り返す。
息がやや落ち着いてきた頃合いに、常闇はさきほど思い切り噛んでしまった左耳を擦りながら、ホークス、と呼び掛けた。
「……今日はもう、やめておこう」
「は?」
肩に手をかけ密着していた体同士を引き剥がそうとする常闇に、ホークスが唖然とした顔を向ける。
「いや、ここから先は、すぐにというわけにいかないだろう。今後ゆっくり――」
拷問並みに耐え難いとはいえ、常闇にはまだ理性があった。体の準備もせずに勢いでやって失敗すれば、二度と二度目が来ないかも知れない。ここで引くのが賢明、かつ紳士的だ──
「まった」
後ずさり、そのままベッドの上から降りようとする常闇を、目の据わったホークスが手首を鷲掴み引き留める。
「大丈夫、俺いけるから」
「それはどういう……」
根拠のない自信ともちがう、落ち着きのある物言いで断言され、常闇は思わず聞き返した。
「どっちになってもいいように、前々から、そのー…一応後ろも準備してある」
「は?」
常闇は自分の耳を疑った。数秒前のホークス以上に大きく口を開いて驚愕したまま硬直する。
「実地がまだだから、多分大丈夫、としか言えんけど」
「な、それは、前々とは、いつから」
「君が自分が異形だからどーたら言い出した後くらい。後輩のメンタルケアを怠ったことを反省した。それで、とりあえずできることをやっておこうかと思って」
テキパキと説明しながらも、表情は気恥ずかしげだった。その上に空いている方の手を自分の尻へと持っていくホークスを見て、常闇は眩暈に襲われていた。
「いや、でも、抱きたいと言ったのは言葉の綾で、俺はどちらでも……」
「あ~も~、いいから。俺がちょうど準備ができてて君はできてない。俺はここでやめたくない。ならそれでいいじゃん。俺ん中、入りたいんでしょ?」
本当に経験がないのか疑いたくなるほどの口ぶりで煽り続けるホークスに、常闇は目を白黒させるだけで何も言えなくなった。経験がないからこその、この勢いなのだろうか。気持ちだけが先走っていた自らの幼さを突き付けられているようで、悔しささえ感じる。
「……ダメ?」
常闇の手首を掴む手は離さないまま、手の平サイズの赤い羽根の一枚が、上向いたままの股間のものへと擦り寄る。別の一枚は、念のためにベッドサイドに用意していたコンドームを二人の近くまで引っ張ってきている。
ふわふわと股間に巻き付く羽根とホークスの表情に煽られ、質量を増した常闇の塊に浮いた血管がよけいに際立つ。
「ダメ、なわけがないだろ……!」
常闇が、後悔しても知らないからな、と怒鳴る勢いで言いながら掴まれた腕を振り払い逆にその手を掴み直すと、ホークスは、へえ、と挑発するような笑みを浮かべた。
本当に、人を煽ってやる気を出させるのがうまい師だ。
「痛いのは平気だと思う。それより、自分で慣らしてる時は正直あんまきもちよくはなかったから、そっちが心配かも」
枕を抱えうつ伏せになったホークスが、柄になく自信なさげな声をだす。
そうか、と短く返事をした常闇は、揉んでいた尻たぶから手を離し、目の前の背中に覆いかぶさった。
羽の間をくぐり抜け、ピアスの光る耳元に嘴を寄せる。首を曲げて振り返ったホークスの唇に指先を当て、低い声音で囁く。
「だが、今からあなたの中を暴くのはこの指だ。自分で触るのとは訳が違う」
揃えた二本の指先で軽く表面を擦ると、薄い唇は抵抗なく開き、口腔への指の侵入を許した。
「ん、ぐ……っは」
2つめの関節が隠れるまで差し入れた常闇の指に、意思を持って絡んでくる赤い舌。直に感じる体内の熱と体液のぬめりにあわや暴発しかけた熱を、太腿で挟んだ体に腰を押し付けることで耐えた。
唾液の糸を引きながら離れていく指を名残惜し気に見送るホークスの眼差しはハッキリと色めいている。経験がないという本人の談が、信じられなくなりそうだ。
常闇が余りある劣情を発散しようとローションのチューブを握りつぶせば、飛び出した粘液がゆっくりと尻の谷間を伝う。肌に液体が触れた瞬間にビクリと体を震わせたホークスは、そのまま枕を抱えた腕に力を込め、小さくちぢこまった。両翼も背中を覆う殻のように隙間なく閉じている。
優しくせねば、という気負いと、自分も男性相手は初めてだというのに、という不安。それにも増して強い、なにもかもどうでもいいからはやくやりたい、という原初的な焦り。
それらが引き起こしている指先の震えをなんとか抑え込んだ常闇は、割れ目に溜まった透明な粘液を慎重に掬い取り、窄まりに指を当てたがった。
自分で準備していた、というのは本当だったらしく、入口のわずかな抵抗を超えてしまえば、常闇の指は渦に飲み込まれるようにすんなりと奥へと進んでいった。
「……っは」
筋肉と筋肉の間に指を差し入れる初めての感覚。それを指先の繊細な神経で感じ取るのに集中していた常闇は、口を閉じることさえ忘れていた。
ず、ず、と抜き差しを繰り返す指の動きに対して、うー、と声にならないくらいの小さな唸り声が枕の方から聞こえる。
男性が肛門性交で快感を得るには――常闇は、ベッドに上がる直前にトイレで隠れて検索した内容を必死に思い出しながら、指先を操った。
「あっ、れ……んんっ……」
「痛いか?」
ふいにホークスが漏らした、鼻にかかった声。それが痛みからくるうめき声とは全くの別物だと、刺激を与えている側の常闇も理解はしている。
「いた、くない……けど、なんか、やだ、へんな感、じ……っつ」
「……ここか」
情報通りの責めが功を奏したと分かった常闇は、ここが前立腺か!と内心で勝ち誇っていた。その興奮を抑え、つとめて冷静に、ホークスの反応を伺いながら指を動かし続ける。
「あっ……ふぁ、……っあ、あ」
強かで賢しく一枚も二枚も常闇より上手なはずの師が、己の指のささいな動きひとつにあられもない声をあげ悦に入っている。
そんな状況に、冷静でい続けられるわけもない。最終的には、相手を確認する余裕もなく、自らの我慢の限界だけに任せて指を引き抜き、とうに限界まで張り詰め切っている屹立を握り込んだ。
すると、その動きを察したらしいホークスが、常闇の方へと振り返り、ちょっとまって、と呼び掛ける。
「ヒーローなら、セーフティーセックス」
ピッ、と指で弾き飛ばされた避妊具が、正確なコントロールで常闇の手元へと飛んでくる。ただ、常闇がそれを両手で受け取った後も、ホークスは振り向いた顔を元には戻さなかった。
「あとさ……この体勢のままするの?」
「は?」
「その…恋人同士って、顔見ながらするもんだと思ってたから」
不安そうに羞恥のせいか興奮のせいか、耳まで赤く染まり上がっている。
「あ、ああ、すまない。後背位が一番そちらの負担が少ないようなので。それに、仰向けになると羽が……」
常闇の説明の最中からホークスはすでに動き出していて、膝で弾みをつけて体の向きを反転させると、きっ、と眉尻を跳ね上げ、動揺している常闇を見据えた。
「べつに、仰向けでも短い時間ならだいじょうぶ。俺の体も剛翼も、そんなやわじゃなか」
しかし、と常闇も食い下がろうとはするも、言葉が続かない。
向かい合って顔を直視すると、途端に失念していた気恥ずかしさが顔を出す。
さっきまで聞いていた喘ぎ声。それ以上に甘くとろけ平時の鋭さを失った瞳で見つめられてしまえば、常闇は己が返すべき表情すらも分からなかった。無意識でこの双眸をしているならば、観念するしかない。
さあどうぞ、と自ら膝を持って開かれたホークスの両脚の間へとにじり寄り、代わってその脚を掴む。ほとんど力を入れずとも、太ももから腰へかけて体躯は素直に曲がり、指による刺激で赤くなっている秘所を常闇の眼前へと曝け出した。
先端の位置を目で確かめながら調整し、あとはもうわずかに腰を前に出すだけ。
そこまできてなお、逡巡してしまう。ほんとうにいいのか、という今更すぎる疑問が脳内を乱し、胃袋が喉元までせり上がってくる。
初体験の時でさえ、こんなには緊張していなかったというのに。
このままでは萎えてしまう、と危険を察知した常闇は、結局、ちらり、とホークスの顔を伺った。常闇の方を見て無言で細められた目に背中を押してもらい、ようやく最後の一歩分前に出る。
「ん、っぐ……ぁあ、あ…はぁ、はぁ…っ」
「……っう」
みちみちと隙間なく押し退け合う圧迫感で、どちらの額にも、それまでとは質の異なる油っぽい汗が滲む。
遅々とした動きで、それでも一度も止めることなく押し進み、奥の奥、近づいた互いの陰毛が絡み合うまでにたどり着く。
「全部、入りました」
「っは、っは…ん、意外と、いけるもんだね」
思わず任務の事後報告のような口調で状況を説明した常闇に、ホークスは両手で前髪をかきあげつつ笑顔を見せた。
「苦しくはないか?」
「ん、だいじょうぶ」
常闇の問いかけに、ホークスは手の平を自らの胸あたり水平に当て、トントン、と鎖骨を叩いてみせた。
「この辺まで、常闇くんでいっぱいになってるって感じ。でも、」
でも、で言葉を止め、腕を胸より更に上、顔も頭も超えた、シーツの上に広がっている髪のあたりにまで持っていく。
「今の気持ち的には、もうこのへん、ほかんこと考えとられんくらい、いっぱい、か、ぁも、って、ひぁ……!」
常闇は、ホークスが言い終えるのを待たずに、押し込んでいた性器を一気に出口近くまで引き抜いた。ホークスが頭の上に持ち上げていた手は、突如始まった刺激の波に耐えようと、そのままシーツを強く握りしめた。
「だからそれはっ…っは、わざと煽っているだろう……!」
「ぁあ、ん……っは、あ、あ、ぁあ……!」
肉がぶつかりあう一定間隔の破裂音。その隙間を縫うように嬌声が響き、開きっぱなしの2つの口から絶えず漏れる荒い呼吸音がそれを濁す。
常闇の腰の動きに合わせて、ベッドと背中との間で赤い羽も揺れる。
ガサガサと擦れるそれを見ていて居た堪れなさを感じた常闇は、一旦腰の動きを止めた。それから、横たわるホークスの腰の下に両手を差し入れ、ぐい、と力任せに持ち上げる。接合部もそのままに無理矢理体勢を変え、太腿の上に乗り上がってきた体を抱きかかえる。持ち上げた時に重さをほとんど感じなかったのは、極度の興奮状態のせいだろう。
軽すぎる、とさえ感じた体の、一番くびれている部分を鷲掴み上下に動かす。先端の凹凸で内壁を抉れば、荒っぽい刺激から逃げようとホークスの上体が大きく仰け反った。コントロールが効かないためか、反り返った背中では剛翼がバタバタと音を立てて羽ばたいている。
「も、っあ…きも、ち……」
常闇の肩にしがみついてきたホークスが、恍惚とした声で呟く。常闇の冷静さが、更に遠のいていく。
顔同士が近くなったのに乗じてキスをしようとしても、今のように乱れた状態では互いの口を合わせることさえもうまくできなかった。そのままならなさにさえ興奮を覚え、視線を混じり合わせたり、偶然触れ合った顔のどこかの部位を擦りつけ合ったりをキスの代わりにする。
「っは……とこやみ、く……っ!ごめ、ん、いっ……ぁあ!」
ホークスが吐精する瞬間に強くなった後穴の締めつけを、常闇は両端の奥歯を噛み締め耐えた。反射的に、今は耐えなければ、と思ったのは妙な意地だった。
放たれたホークスの精が、二人の顎のあたりまで飛んでくる。それを合図に、常闇は気の弛みと共に力の抜けているホークスの肢体を再びベッドへ倒して押さえつけ、無我夢中で腰を打ち付けた。箍はとっくに外れている。それを踏まえても、ここまでで一番遠慮も余裕もない動きだった。
「ホォ、…クス……ッ」
汗でしとどに濡れたホークスの胸板に額を押しつけ、苦し紛れに名を呼ぶ。すると、うん、と短い返事が寄越され、汗で湿っている常闇の後頭部を、ホークスの手の平が握りしめるように撫でた。
「きなよ」
極めて短い誘い文句。
なすすべもなく従うしかない常闇は、最奥を穿ったまま決壊寸前だった己の欲をおとなしく解放した。媚態に声にと翻弄されっ放しで、少しでも経験者の余裕を示そうと耐えたつもりが、自らの意思で耐えたのではなく、命じられ耐えさせられたのではないかとさえ錯覚しそうだった。
「っは…っは…」
常闇は、射精した途端に重たくなった全身を相手の上へと投げ出した。目前に、ホークスの嬉しそうな微笑みがある。その頬から首にかけてのラインを手の平で辿りながら、時間をかけて荒い息を整えた。
興奮が収まったところで、ちゃんと互いの顔の形を確かめてから、慎重に口を合わせる。唾液で濡れた柔らかい唇の感触が、嵐の後のそよ風のように胸を擽った。
「……おれ、はじめてが常闇くんでよかった」
キスの後で嘴の先を摩りながらそう囁くホークスの顔は、汗で額に張り付いている前髪のせいか、いつも以上に若々しく見えた。
そう思ってもらえたのなら、この上ない幸福――常闇が噛みしめた己の感情には、言葉にする間も与えられなかった。
「それで、このまま人生二回目も君としたいんだけど、どう?」
手短な睦言を切り上げ軽々と体を起こしたホークスが、常闇の肩を押して仰向けに転がし、すかさずその腰に跨る。張り付いていた前髪が手で払いのけられると、挑発的な視線が露わになった。
常闇を見下ろし返事を待つその強気な表情を見て、今から一体何がどうなるのかと、不安と期待のないまぜになった感情が常闇の胸に沸き上がる。この人の傍にいて、これまでに何度も感じた覚えのある複雑な感覚。これが、嫌な不安じゃないから、余計癖になってしまう。
無論、と返事をした常闇は、大空に身を投げ出す時の心持ちで、ホークスの手首を掴み自らの方へと引き寄せた。
立春
互いに目覚めているのは気配で感じながらも、言葉を交わすことなくベッドの上でまどろんでいた。
時計を見ることもせずに、遮光カーテンの隙間から差し込む淡い光から朝であることだけを理解する。
常闇は、幸福な時間と空気を噛みしめながら、目の前に広がる赤い羽根の先を、意思のあるようなないような、曖昧な手つきで撫でていた。
あ。と、思わず漏れたような無防備な高い声をあげたすぐあとに、剛翼の一枚がシャッとカーテンの片側を開く。
「常闇くん、外見て外。雪降ってる」
普段より掠れ上ずった声を弾ませ、嬉しそうに呟く。
「晴れてるしすぐ止みそうだから、積もりはしないかな」
「もうすぐ春だと思っていたが、まだ雪が降るんだな」
「うん。去年も今ぐらいに降りよったと思うけど……ほんと、去年の記憶がおぼろげ~」
「それだけ充実していたということだろう。去年も今年も、楽しいのは同じだった」
常闇の満足そうな言葉に、ホークスはむず痒そうな表情で口を尖らせた。それから、肘をついて上体を浮かせると、常闇の脇にまで、シーツの上を這い寄った。
「……おれは、こどもん頃からずっと、どうしてもセックスがいいものだとは思えんやった。理由はまあ、ゆわんでも分かるか」
「それで?」
「じっさいは、かなり……イイものデシタ」
常闇の太腿に預けたままの頬をふにゃふにゃと緩めながら赤面する。その笑顔から、常闇は真顔のまま目線を逸らした。ホークスの目前の、己の下着の中のモノが反応して動き出さないよう堪えるのに必死だった。
そうとは知らないホークスは、常闇の態度をさして気にする様子もなく、ふやけた顔のまま、んー、と何かを考え込んでいた。
「なんかおれら、ずいぶんと遠回りしちゃったのかも、ね」
そう言いながら、人差し指と中指を足に見立て、常闇の腹筋の上をとことこと、円を描くように歩かせる。その指の感触に、ふふ、と漏れそうになる笑いを堪えた常闇は、微笑みを浮かべたまま数秒ほど考え込んだ後に、低い声で答えを返した。
「……いや、むしろこれが俺たちにとっての“最速”だったんだろう」
「はは、かっこよか……」
常闇の答えを聞いたホークスが、ふにゃふにゃとした笑顔を浮かべながら、シーツの中へ潜っていく。その途中、なぜか残念そうに言った。
「そいや俺、これでもう魔法使いにはなれないんだなー」
――それなら童貞のことだから、正確にはまだ失われていない。が、それを言い出すとややこしくなりそうなので、常闇は教えずに胸の内に留めておくことにした。
「なら人間として一緒にいればいい。この先ずっと、永遠に、死ぬまで」
シーツを剥がして、赤くなっている顔を白日の下に晒す。
「それさあ、普通にプロポーズだよね」
「どうとでも」
抱き着いてきた常闇の体を、ホークスの腕と翼が包み込む。シーツの上、まるで一つの心臓のように歪な形で丸まった二人は、窓の外の地面に落ちた雪が解けていく音に耳をすませた。
間もなく、新しい春が巡り来る。
おわり
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