愛は空気の中に






NOW ON AIR 1


 ヒーロー関連の情報収集能力に長けた緑谷からの連絡でオンエア情報を知った常闇は、イヤホンを両耳に挿したままベッドに寝転がり、洗剤のコマーシャルが終わるのをじっと待っていた。ウォッシュの歌声が消え、聞こえてきたのは陽気なジングルとタイトルコール、それに続いて、なじみのある声がハキハキと喋り出した。

『どーも、こんばんは。ヒーロー公安委員長こと元・ヒーローのホークスです。プレゼント・マイクが毎週土曜日の夜にお送りしている「サタデーナイトヒーロー」なんですが、マイクが敵の個性攻撃の影響で声を出せなくなったそうで、急遽代理を頼まれてイマココにいます。さっきお見舞いに行ったら、商売道具うばわれてショック受けてたけど体はピンピンしてたんでご心配なく。いい機会だから、しばらく休暇をとって旅行に行くらしいっすよ。ってか俺、ラジオの生放送って現役時代もやったことなかったから割と不安なんすけど、プレゼント・マイクのファンの皆さん、どうかおてやわらかに。もちろんメール投稿もお待ちしてます。俺を助けると思って、どしどし送ってくださいね。えーと、今月のテーマは、2月ってことで『恋の悩みもヒーローにお任せ! プレゼント・マイクの恋愛道場』……うわー、代打のタイミングミスったなぁ。そもそも俺もうヒーローじゃないんだけど……まあ、いいか。メールの宛て先は――』




1日目


 ヒーローツクヨミの朝は遅い。
 闇が深ければ深いほど実力を発揮できる個性を持つツクヨミの活動は、日没とともに本格化する。そこから、早くても日付が変わる頃、遅ければ空が白み始める明け方まで夜の街を飛び回る。夜間の方が犯罪の発生率も高いため、活動時間を他のヒーローとずらすのは理にかなっていた。
 人目につきにくい分ランキングの順位は振るわなくとも、日の光をいいわけにせず、常に最大出力で黒影を使役できる環境に満足していた。速すぎて実際の活動のほんの一部しか人目に触れることのなかったかつてのヒーローのように、たとえ誰も見ていない場所・時間であっても、自らの力を社会の平和に役立てられることに喜びを覚えていた。



 その日も、夜更けから数時間に渡って逃げる敵を追い回したツクヨミが、大きな怪我こそないものの疲労が限界まで蓄積した状態で帰路についたのは始発電車が動き出す時間帯だった。日の長い季節ゆえに空はすっかり青く、徹夜明けの目に昇りたての新鮮な日差しが痛い。逃げるように帰宅するやいなや、手早く着替えとシャワーを済ませ、窓からの一切の光を特注カーテンで遮断している暗室仕様の寝室で布団にもぐりこむ。さいごに、同じく疲労困憊の黒影におやすみと告げてから、瞼を閉じて意識を手放した――その数時間後。
 一度目は夢の中で鳴ったのかと思い反応できず、二度目は意図的に無視をした。しかし、三度、四度と続けば無視をする方が耐えがたくなる。
 深いレム睡眠に移りつつあるタイミングでインターホンの襲撃を受けた常闇は、苛立ちと眠気で内臓が濁り渦巻くのを感じながらも、どうにかベッドを這い出た。
「エ~~ダレかな?」
「……さあな。宅配の指定は午後にしたつもりだったが――」
 不機嫌さの滲む低音で、明るい時間帯のせいか必要以上に怯える黒影と言葉を交わしつつ、玄関に向かう。応答したインターホンのモニター画面には、半分も開いていなかった常闇の瞼を全開させるに十分な人物の顔が映っていた。



「やーやー久しぶり? ってほどでもないか」
 マンションのエントランスを抜け部屋までたどり着いたホークスが、玄関ドアを開けて待っていた常闇に朗らかな声で挨拶をする。笑顔を返す余裕のない常闇は、それでもホークスを迎え入れるとできるだけ静かにドアを閉めた。
「せめて、事前に一報入れてくれればいいものを」
「ごめんごめん。急に思い立っちゃったもんでね。お邪魔してもいい?」
 ホークスの言葉通り、二人が最後に顔を合わせてからまだひと月も経っていない。だが、任務の際に出くわすのも、定期的に会って近況を報告し合うのも自宅の外が常だ。
「ここが常闇くんちかぁ。さすが、きれいにしてるね」
 プライベートな空間に、ホークスが居る。準備をする暇もなく受け入れた常闇は、きょろきょろと顔を左右上下に動かして薄暗い部屋を物色する人物の存在に強い違和感を覚えていた。
「たまたまだ。忙しい時は、片付ける暇も――くぁ……」
 突然の非日常に緊張しながらも、完全に消化し切れていない疲労と眠気には抗えない。嚙み殺しきれなかったあくびで縦にぱっくりと大きく開いた常闇の口を見て、ホークスが申し訳なさそうに眉をひそめた。
「悪い、起こしちゃったよね。昨日も朝方まで出動してたのに」
「いや、先刻まで寝ていたから問題ない。それより、用件は一体なんだ?」
「それは別に後でいいから。とりあえず一旦寝たら?」
「しかし、客人を放って寝るわけには……」
 ホークスの提案に、常闇がもっともな意見を返す。だが、厳しい顔つきの常闇に対して、ホークスは笑顔のままササッと首を左右に振った。
「ん、大丈夫! 俺も一緒に寝るから」
 グッ、と力強く立てられた親指に、常闇は「いったいなにがだいじょうぶなのか」と頭に浮かんだ返事をため息として吐き出してから、寝室につながるドアを開け中に入るよう促した。



「俺のことは気にせずに、好きなだけ寝ていいよ。起きたら適当にくつろいどくから」
 そう言って眠りに着いたホークスだったが、結局先に目を覚ましたのは常闇の方だった。
十分な睡眠をとり自然と目覚めた常闇は、寝ぼけた状態でふらふらと彷徨わせた手が予期せぬナニかに触れた途端に、全身を緊張で強張らせた。慌てて枕もとの照明をつけ、その《ナニか》が、横向きになって眠るホークスであることに安堵する。それからすぐに、「なぜここにホークスが?」と、状況を咄嗟に把握できないまま思考が停まった。
「うーん……」
 常闇がベッドの上で驚きにかるく腰を抜かしていると、目の前のホークスがもぞもぞと寝返りを打ち、常闇が寝ていたスペースを埋めるように腕を伸ばして仰向けになった。
 そこでようやく、常闇も二度寝する前の経緯を思い出し始めた。さらに、十分に睡眠をとったせいか、二度寝前のぼんやりしていた時には考えが至らなかった事態の異様さに頭を抱えた。
 背中をベッドに預け、仰向けに寝転がるホークス。改めて見ると、なぜだか小さく感じる。翼が無いせいか、それとも大きめなベッドとの対比のせいか……。
 他人の寝床で寝ているとは思えないほど堂々と熟睡する顔は、三度寝の誘惑としては抗いがたい強烈さがある。が、
「……コーヒーでも淹れるか」
 ホークスが起きてくるまでに、覚醒して精神を落ち着かせておかねば。苦悶の末に誘惑を振り切った常闇は、揺らさないよう注意を払いながらゆっくりとベッドを降りた。



「あのね、俺、今日から夏休みなんだよね」
 常闇に遅れること二時間、昼過ぎになって起きてきたホークスは冷めたコーヒーをそのままで構わないと啜りながら、ようやく事情の説明を始めた。
「別にいらないって言ったんだけど。『あなたがいないだけで瓦解するような組織だったら、この国はとっくに崩壊してますから』だってさー。そんなこんなで今日から一週間休みになった。で、折角だから常闇くんち来ちゃった」
 ぐにゃ、と目尻を指で引き下げながらの目良の物まねに次いで、折角だから、の一言で済まされた論理の飛躍に、常闇は思わず皺が深くなった眉間に指先を当て考え込んだ。
「いやー、しっかしよく寝た。久しぶりにこんな長く寝たな。常闇くんいつか公安の仮眠室の監修してくれない? 暗いのがいいのかな? あと、ベッドでかいね」
「ダークシャドウがベッドで寝たがる時もあるからな。キングサイズにしている」
「どおりで! もしかしてもう一人くらい住んでるんじゃないかって疑っちゃったよ」
 ホークスの言葉を否定も肯定もせずに受け流した常闇は、嘴の下に手を当て思案を始めた。ホークスの予測のつかない突飛な言動は昔から変わらないし、受け入れてしまった方が話は早いのだ。
「そうだな……別に好きに過ごしてもらって構わないが、俺の休みはこの一週間の内二日だけ。その他の自由な時間は昼間しかない」
「りょーかい。仕事も休養も、どっちも邪魔しないようにしまっす」
 締まりのないゆるい敬礼ポーズとともにそう返事をしたホークスに、常闇は疑いの眼を向けた。



 予定よりも早く、日付が変わってすぐの頃に常闇が帰宅した時には、まだホークスも起きていた。ホークスが常闇の家から一歩も出ずに過ごしていたのは、常闇が出ていった時と同じ部屋着に身を包んでいることからも明らかだった。
玄関ドアの開く音を聞いて出迎えたホークスは、常闇が背中に隠していた花束を差し出すと、余裕の笑みを崩し、両目を限界まで見ひらいた。
「え」
 百本とはいかないまでも、ホークスが言葉を失うには十分の量のバラ。赤一色。ぐいと胸元に押し付けられ、ホークスも反射的に両手でそれを受け取る。
「花屋って、こんな時間までやってるんだ……」
「買ったのは出勤前だ。涼しい場所に置いておけばそうそう簡単には萎れない」
「じゃあ君、これを俺に渡すつもりで今日一日を過ごしてたってわけ?」
「驚かせたかったんだ。今朝の仕返しに」
 花束を呆けた顔で見下ろすホークスを横目に見ながら、常闇はシャワーを浴びてくると言って風呂場のドアへと消えていく。すれちがいざま、宿主の動きにほんの数秒だけ反してその場にとどまった黒影が「フミカゲ、喜んでるんだヨ」とホークスに小声で耳打ちしていった。



 常闇がシャワーから出ると、ホークスはテレビに向き合う位置に置かれたソファに体を横たえ眠っていた。
「どこでも寝られるんだな……」
 今朝はベッドの寝心地の良さをしきりに口にしていたものの、今もギリギリ二人掛けの狭いソファの上で十分気持ちよさそうに眠っている。
テレビ画面ではホラー映画が流れていた。内容を知っているその映画はすでに終盤に差し掛かっていて、どうやら常闇が帰ってくる前から見ていたらしいと察する。
 夕食はデリバリーで済ませたとスマホのメッセージで言っていた通り、台所には紙やプラスチックの容器が置かれていたが、どれも綺麗に洗われ片付けてあった。他人の家という意識があるのか、それとも習慣なのかは分からない。
 思えば、ホークスが今日はじめて常闇の家に訪れたように、付き合いこそ長いものの互いの家を行き来したことはほぼなく、会うとすれば大概が家の外だ。常闇がホークスの家を訪れたのも過去に数度、当然プライベートの様子をくわしく知る機会も無かった。ただ、この様子じゃ自宅でもベッドできちんと寝ているとは思い難い。
「あーごめん……運んでくれたの? ありがと」
 常闇に抱きかかえられてベッドの上に降ろされたホークスは、その衝撃で浅い眠りから目覚め、素早い瞬きを繰り返しながらベッド脇に立っている常闇を見上げた。
「別に、大した苦労じゃない。筋肉が落ちてるせいか、昔よりも軽い。それより、ホラー映画が好きなのか?」
「別に好きってわけじゃないけど、テレビのニュース見てると仕事中みたいな気分になっちゃってね。棚に並んでるディスク、適当に物色させてもらった」
「それは構わないが……どうした? モゾモゾして」
「いや、ちょっと、トイレ行きたいかも」
「……まさか怖いとでも?」
 常闇が信じられないという表情で尋ねる横で、映画の中のモンスターよりよほど恐ろしい黒影がケラケラと大口を開けて笑っていた。




NOW ON AIR 2


『――気持ちが決まってるなら先延ばしにしない方がぜったい良いよ。こういうの、速いに越したことないからね。はい、じゃあ、えーと次のお便りは……「こんばんは。まさかラジオでホークスの声が聞けるなんて思いませんでした。今でも時々空を飛んでないか探してしまいます」……俺が飛べたのを知ってるってことは…ああ、やっぱり。ラジオネーム「今もずっとあなたの雛鳥です」さんだ。サプライズ出演だったけど、もう情報が回ってるぽいなぁ。いや~~ありがたいっすよほんとに。いまや人前にでるのなんてランキング発表の時くらいだし? 順位によっては俺がすんげー叩かれるしね。え、今日SNSの発信も福岡からが圧倒的に多いの? 地元捨てたヒーローだってのに、さっすが! 博多っ子は心が広い! 懐かしいなー福岡。今度久々に帰ろうかな? ま、それはさておき――』




2日目


 ホークスが夏休みといった期間の内、当初二日だけの予定だった常闇の休みは三日に増えた。
「ツクヨミ、どうせまたホークス絡みやろ? 顔にでとーよ」
 ツクヨミヒーロー事務所のサイドキックはほとんどが常闇より年下だが、唯一、ホークス事務所から移籍してきた二人のヒーローだけは別だった。
 付き合いの長さゆえの意思疎通のしやすさが活動する上で大いに助けになっているが、一方で未熟な学生時代からのすべてを知られていると、見透かされ過ぎてしまう面もある。
 図星を突かれた常闇がすなおに事情を説明すると、ホークスの名前を聞いた二人が嬉しそうに小さな歓声をあげる。
「相変わらず自由なお人やなあ」
「昨日いつも以上にスピード重視で進めてたのもそのせいっちゃろ? 無理せんでも、普段休まんしこんな時くらい休んだらよかよー」
「では、一日だけ……」
「一日でよかと? どうせならもっと休んでも構わんけん。なにかあったら、いつもみたいにベンタブラックに協力要請出すって手もあるけんね」
「いや、長すぎてもかえって持て余す故……」
「あ、そうだそうだ。このまえ福岡帰った時のお土産まだあるから常闇くん持って帰ってあげんしゃい」
 ホークス本人に直接会ったわけでもないのにはしゃぐ二人を見て、常闇はたじろぎつつも内心の喜びを隠さずにそっと微笑んでいた。



 サイドキックらの計らいもあって早めに帰宅した常闇が博多土産を渡しがてらその話をすると、相変わらず部屋着のままのホークスは素直に喜んでいた。
「そっか、みんな元気そうで良かったよ」
「あなたにも会いたがっていたが」
「あ~いいのいいの、俺は。改めて顔合わせるのもはずいし! 常闇くんは昔からみんなのこと気にかけてくれてありがたいね。そういえば、前に聞いたよ。燈矢の告発映像が出て事務所が大変だった時にツクヨミから連絡があったって」
「ん?……ああ、あの時か。俺も若かったんだよ。あなたとも連絡がつかないし、必要以上に焦っていた」
「君が義理堅い人間なのは昔も今もかわらないでしょ。……俺は、あの時も含めて、見限ったものが多すぎる。いつ誰に刺されてもおかしくないと思って生きてるよ」
 はい、半分あげる。と、口に突っ込まれた食べかけの饅頭を咀嚼しながら、常闇はソファの背越しに自分を見上げるホークスの、丸い額についた傷跡を指先で撫でた。すると否応が無く、この傷跡がついた日のことが思い出され、気持ちよさそうに目を細めるホークスに反して常闇の表情は曇った。
 言葉を探して頭を巡らせていた常闇は、ふいに耳に飛び込んできた知った名前に、ハッと顔を上げた。
「休みの間ヒーローニュースは見ないんじゃなかったのか」
「ああ、今日は《推しの日》だから例外」
 深夜帯のニュース番組が流れているテレビ画面を常闇が顎で示すと、ホークスも後ろに曲げていた首を真っ直ぐに戻し、そちらを見た。
 児童養護施設でインタビューを受けている同窓生の姿。ピンク色のコスチュームに包まれたその朗らかな笑顔を見て、変わらない、と感じるのは、昔から知っている間柄ゆえの特権のようなものだ。
「……《推し》か」
 手持と無沙汰を誤魔化すように、目の前にあるホークスの両肩に手をかけ、凝り固まった筋肉をほぐす。
あ~きもちいい、と気の抜けた声を出すホークスのつむじと、テレビの中のウラビティの一生懸命な笑顔を見比べた常闇は、複雑な感情を言葉にはせず、肩もみをする手にホークスが悲鳴をあげるくらい強い力を込めた。



 AFOとの決戦を控え、単身雄英を飛び出した緑谷本人とも、それを補佐しているはずのトップ3ヒーローやオールマイトとも連絡が取れなくなっていた時期のことだった。
「一本だけ電話をかけたいのですが」
 入院している相澤の元へと見舞いに来た常闇が、帰りがけにそう伝えた。敵との内通者の存在が危ぶまれる中、外部との通信は厳しく管理されている。たとえ雄英の学生であっても、私用の電話をする際は監視下でなければ許されなくなっていた。
「ああ、いいぞ。実家か?」
 相澤の質問に、常闇は手元のスマホ画面に視線を落としながら答えた。
「いえ、福岡のホークス事務所に」
 失礼します、と断ってからスマホを耳に当てた常闇は、口をきつく結んで応答を待った。そのまま相澤のベッドから数歩離れた場所まで歩を進め、病院の白い壁の方を向いた。
 ポツポツと、ほとんどは相槌に終始する常闇の声にじっと耳をすませながら、相澤は小さな背中を見つめていた。
受け持ちの男子生徒の中でも特に小柄だが、秘めたパワーは計り知れない。相澤個人にとって大切な生徒であると同時に、仮にAFO側の戦力だと考えると、最も脅威となり得る存在だ。
「終わりました。ありがとうございます」
「どうだって?」
「事務所の周辺にも、抗議のために人が殺到していたそうです。ホークスが居ないという情報が伝わり今は幾分落ち着いていると。……集まった人の中には、トゥワイスの格好をしている者もいたようです」
「……」
 無言の相澤と目線だけをやり取りしてから、常闇はすっと顔を俯かせた。
「……信じている、と」
「ん?」
「信じているという言葉は、彼にとってかえって重荷になるのではないかと悩んでいました。けれど、さっきの電話で「ホークスを信じているから大丈夫」という言葉を聞いて、少し安心できた気がします」
 いかっていた常闇の両肩も、電話をする前より幾分落ちていた。緊張が解けたのを察した相澤は、その肩に自らの右手をそっと置いた。
「俺も信じてるよ。常闇のことも……ホークスのことも。信じていいんだ、お前が信じたいと思うなら」
 一瞬口にするのを躊躇ったのは、教育者としての思考だった。だがそれよりも、今なお灰色の存在として生かされている自らの友に対する縋るような気持ちが、先んじた。
「信じるっていうのは、相手のためじゃない。自分のために、信じるんだよ」




3日目


 ツクヨミが活動を夜間メインにシフトしたことを最も残念がったのは、熱狂的なファンでも地元の市民でもなく、かつての級友である大・爆・殺・神 ダイナマイトその人だった。ツクヨミからすれば残念がっているというよりは怒っているとしか取れない態度で怒鳴られたのだが、傍から見ていた緑谷によれば残念がっているゆえの暴言らしい。
「てめぇ、いつまでも逃げてんじゃねえぞ」
 その日顔を合わせたのは、それぞれ昼・夜に分担して任せられた警備の引継ぎのためだった。最近は顔を合わせる機会も多かったが、あくまでもかつての同級生複数人での集まりで、爆豪と常闇二人きりになることはまずない。
 犯行予告の出ている美術館の前庭で、宵闇の薄暗い時間帯に見るとヒーローと思えない目付きが一層鋭く見えた。
「何度も言っているが、逃げたつもりはない」
「ヘラ鳥の入れ知恵か?」
「いや、ホークスからは何も言われていないが……熟慮の結果だ。ただまあ、合理的な判断ではないかと評価はしてもらった」
「知らねえよ! 会うな! 話すな!」
「会いたい会いたくないに関わらず、帰ったら家にいるんだ」
「んでだよ⁈ いや待て、べつに理由は聞きたかねぇから言うなよ」
 他人と会話をしていると思えない速度で思考を巡らせ発言を繰り出す爆豪の、逆三角形の目の端がいっそう吊り上がっていく。
「とにかく、逃げてんじゃねえ。アイツにも言っとけ」
 正しく唾を吐き捨てるように乱雑にそう言い置くと、爆豪は肩をいからせたまま常闇に背を向け大股でその場を去っていった。



「この暑さから逃げられるとしたら、どこがあるかな」
 ちょっと昼飯の買い物に、のつもりで外に出たものの、あまりの暑さに徒歩十分のところにあるスーパーにすらも辿りつけなかった二人は、コンビニの軒下の日陰に逃げ込み休憩していた。
ツクヨミが普段活動している夜間も気温の下がらない熱帯夜が続いているが、今の時間帯のように肌を刺すほどの熱射には晒されない。クーラーの効いた店内で買ったソーダ味の棒アイスも、あっという間に液体に変わりそうだった。
「昔、アメリカでの任務の時か。帰りにアラスカに寄り道しただろう。あそこは寒かった」
「なっつかしい‼ フレクト・ターンの時か。大変だったねあん時は。あれ? でもなんでアラスカ?」
「アラスカ北部は極夜の時期だからついでに行ってみようと、言い出したのはたしか……」
「まぁ、俺だろうね。オーロラも綺麗だったけど、寒い寒い言いながら謎の辛いスープ飲んだのを妙に覚えてるなー」
 太陽の昇らない世界。日本にいれば明け方や夕暮れの一時で過ぎ去っていく紫色の薄明るい時間が、変わることなく続いていた。気温は優に氷点下。涼しいを通り越した極寒の地の記憶は、今の茹だるような暑さの中ではうまく思い出せなかった。
「あの時期のあの場所に限っては、常闇くんの天下だね。夜だけの世界」
「強い光があってこそ、闇も深くなれる。昼間の明るい時間があってこその夜だ」
 常闇が青いアイスの最後の一口分を棒から抜き取り咀嚼している間、ホークスはすでに食べ終えた棒を口にくわえたまま上下に揺らしながら、うーん、と唸っていた。
「あれか、寒い時にコタツでアイス食べたくなるみたいな感じか」
「それは違う……とも言い切れないな」
「それより、あれ」
「蝉か」
「うん。まだ生きてっかなと思ってさっきから見てるんだけど、全然動かなくて」
「……」
 反応に困った常闇は、二人から数メートル離れたコンクリート上に転がる蝉の亡骸と思わしき薄茶色の塊を無言で見つめ続けた。
「……一週間って、蝉にとっては一生なんだよな」
 ホークスが頬に拳を当てた姿勢のままボソリと呟く。垂れてきた汗が睫毛を濡らし、目に入ったのかパチパチと瞬きを繰り返す。その時、ジジジ、と大きな振動音が響いて、死んでいると思い込んでいた蝉がその場で激しく身を震わせ暴れ始めた。固唾をのんで見守る二人の視線の先で、蝉は高度こそ低いものの素早く飛び去って行く。
「まだ飛べたのか。良かった」
 曲げていた膝をゆっくりと伸ばして立ち上がったホークスは、顎を持ち上げ蝉が飛んで行った方角に目をやり、嬉しそうにそう呟いた。



「よお、後輩くんの後輩くん」
 その日の夜、静岡郊外で任務中の常闇の元へと訪れたのは黒いスーツを身にまとったレディ・ナガンだった。
「ホークスのやつ、君んとこに居候してるんだろ? これ、目良が渡しといてくれってさ。本人に直接届けるつもりだったけど、休暇中に公安の連中と顔見たくないってんで断られたらしい。だから、悪いが君が伝書鳩だ」
 はい、と差し出されたブリーフケースを、素直に受け取る。昨年、とある事件への協力をきっかけにナガンが出所して以来、常闇も何度か顔を合わせる機会はあった。短い時間だが、ホークスを交えて三人で会ったこともある。思えば、ホークスが今こうして夏休みを過ごせているのも、彼女が公安委員会へと復帰したお陰かもしれない。
「で、しっかり休んでるかい? うちの会長様は」
「ほぼ寝ているか、もしくは甲子園を見ている。寝すぎて逆に疲れそうだ」
「それくらいがいいんだろ。普段寝なさすぎだからな」
 はは、と目を細めて笑うと、鋭い目付きが隠れて年齢よりも幼く見える。その落差に、どこかホークスに似たものを感じた。
「でも、休みをとるって聞いた時は、絶対君の所へ飛んでいくと思ってた。案の定だったな」
「こちらとしては、まったく予想外だ。事前になんの連絡もなしだったからな」
「公私混同というほどひどくはないが、彼は君のモニターを見る時間がやたらと長いし、活躍したとなればガキみたいに目を輝かせてる。今回のこともあるし……てっきり付き合ってるんだと思ってたんだけど?」
 ホークスと馬が合うはずだ。知らぬ間に追い詰められていたことに気が付いた常闇は、美しく不遜な笑みとともに向けられた不意打ちの質問に、ぐっと喉を詰まらせた。
「……そのつもりだ……と、俺は思ってはいる」
「ふふ、煮え切らないな。あいにく今は時間がないから、また今度ゆっくり話を聞かせてな」
 左手の指先で紫とピンクの混じった毛先を弄りながら、細めた目で常闇を見つめる。その視線に耐えられず顔ごと目を逸らした常闇の反応に、はは、と声に出して笑うと「さて、」とヒールを履いた右足を宙に持ち上げた。
「勝手に押しかけられてるんだし、そんなに暇そうなら洗濯でもなんでもしてもらいな。使えるもんは遠慮せずに使った方がいい」
 その言葉通りと言うべきか、ナガンは常闇に手を振ると、コンクリートの歩道ではなく空気を蹴り、階段を昇るようにして夜空へと消えていった。かつてオールフォーワンに授けられたその個性を、彼女は自らの力として受け入れているらしい。その個性だけに限らない、様々な葛藤や苦渋を飲み込み、咀嚼して今に至るのだ。
「うらやましい……などと言ったら罰が当たるな」
 そう呟き、月の方角へと消えていく彼女に向かって深々と頭を下げた。



「あの人ね~、コイバナ的なのが大好きなの。あんま相手しちゃだめだよ」
 ナガンからの荷物を受け取ったホークスは、何か言いたげにしている常闇の顔を見て、そう言った。それから、手にしていたスマートフォンに丁度映っていた画面を常闇に向ける。
 ナガンとのやり取りが記されたそこには、「ツクヨミに渡した」という業務連絡のすぐ下に「かわいいな、彼」と続いていた。
「何の話したのか知らないけど、嫌な予感しかしない」
「……別に、たいして話す時間はなかった。誰かが休んで寝てばかりいるせいか、いつも以上に忙しそうにしていたからな」
「お、それって嫌味? 言うようになったね~」
 嬉しそうに口元をゆるめたホークスは、定位置になっているソファから立ち上がると、足早に常闇の元まで歩み寄ってきた。そして、チョーカーをしている首にぶら下がるようにして背後から腕を絡ませ、ニヤニヤと企み顔を浮かべて常闇の顔を見る。
「常闇くんも、ヒーローが続けられなくなった時は公安に来たらいいよ。多少後ろ暗いところあっても全然大丈夫だから。俺が信用して雇ってあげる。……あれ? 常闇くん、なんか今日匂い違うね?」
「ああ、今日夕方に広告の撮影があったからそのせいだ。製品の試供品をもらってつけたからな。香水だ」
「香水?! そりゃすごい。大人になったねー。俺も買おっかな」
「……ダメだ」
「え、なんで。売り上げ貢献するよ。それとも、公安委員長が肩入れしたらよくない?」
「そういう問題じゃない。ただ、セ、セクシー路線なんだ」
「えー? 俺はセクシーじゃないって?」
「そうは言ってない! ええい、分かったからへばりつくな! 離れろ!」




4日目


  その日は、というよりその日も、たいした予定は決めず、常闇の出勤前に二人連れ立って街を歩いた。常闇がヒーローコスチュームの改良のために相談に行くと聞いて、ホークスも自分も行きたいとついてきたのが、主な目的だった。
 暑さと明るい日差しを避けるために夕方の日が傾き始めた時間帯を狙って外に出ると、丁度学生の下校時刻とバッティングしてしまった。そして、常闇が懇意にしているデザイン事務所は都心部の、人通りの多い場所にあった。
 ホークスは即席サイン会場になった場をそっと離れ、近くのベンチに座って遠巻きに賑やかな様子を眺めていた。
 常闇本人はもちろん、黒影のマスコット的な人気も高い。女子高生に犬のように撫でられて、まんざらでもない顔をしている。 
ホークスが職業・ヒーローをやめてから、小学校の新入生が卒業するくらいの時間が経った。人々の記憶の中にだけ残っていた輝かしい姿の面影は薄れ、地味なスーツ姿で退屈な話をするつまらない大人に憧れる子どもなどいるはずもない。
 街中を歩いていても、今のツクヨミのように指さされることも名前を叫ばれることもない。気楽だ。
 だから、今感じている胸の疼きは過去の自分を思い出しての感傷なんかじゃない。
「そっちの方が、まだいいかも……」
ホークスが、自らの思考に嫌気がさして不貞腐れた様子で独り呟いた時、 「常闇さん!」
 ヒーロー名ではなく実名での呼びかけに驚き振り返ったのは、常闇本人ではなくホークスの方だった。位置的にも、呼びかけた人物は人だかりよりホークスのベンチの近くにいた。
「キミは――」
 咄嗟に名前を思い出せず口ごもる。すぐに浮かんだ名前はあったが、その名と結びついているイメージが、目の前で笑う少女とはどうしても一致しなかった。
 膝まで覆うひだのついたスカートのセーラー服。スクールバックとは別に大きなギターケースを背負った白髪の少女の額には、小さな角がついている。
「あっ、ホークスさん。こんにちは」
「こんにちは、エリちゃん。常闇くん取り込み中だから、ちょっとここで待ってたら? すぐ戻ってくると思うよ」
 と、ベンチの隣をを指さしたホークスは、自らの体を端ギリギリまで寄せた。じゃあ、とエリは、少し緊張した様子で両足をしっかりと揃えて隣に腰かけた。
「少し見ない間に、おっきくなったね。今中学生?」
「はい、今は夏休みだけど部活の練習があって」
「常闇くん……というか、雄英のみんなとは?」
「A組のみんなは、本当にお姉ちゃんお兄ちゃんみたいな感じで、今でも大好きです。でも実は、常闇さんはちょっと特別で……常闇さん、私の初恋の人なんです」
「えェ、そうなの? てっきり緑谷くんとかルミリオンだと思った」
「デクさんは恩人で特別で、でも恋する相手じゃなかったです。常闇さんは、すごく仲が良かったわけじゃなかったけど、だからこそミステリアスで、でも優しくて、なんかカッコイイってすごく思ってて……一時期だけでしたけど」
「へえ……まー、彼カッコいいもんね」
「あと、好きなものが同じだったりとか、理由なんて今思い返すとほんっとに大したことじゃないんですけど。でも、昔クリスマスにもらったプレゼントは今も自分の部屋に飾ってます」
 クリスマスにプレゼント。と、ホークスは声には出さず自分の口の中だけでもごもごと咀嚼し、隣でクスクスと思い出し笑いをする少女には伝わらない程度に軽く眉を歪めた。
「でも、常闇さんはむかしからホークスさんと一緒にいる時が一番楽しそう」
「そうなの?」
「うん。先生と、マイクさんみたいな。先生はね、マイクさんといる時が一番よく笑ってるから」
 うん、と子どもっぽく頷いた彼女の言葉には、幼いころから隣で実際に目にしてきた人間だからこその確信がこもっていた。
「あー……それなら、良かったな」
「あっ、やば。もう行かないと。常闇さんと……あと、先生をよろしくお願いします。先生もデクさんも、仮免試験前で気が立ってるみたいで」
 離れた場所から手を振り近づいてきた人影に気づいて、エリが慌てて立ち上がる。
「りょーかい。そういや、君はヒーロー科目指さないの?」
「はい。わたしは、別の方法でヒーローになるから!」
 右手でゆるい握りこぶしをつくり、マイクの先を口元に向けるジェスチャーをしてみせる。夏の強い日差しを受けて輝く笑顔に、ホークスは親指を力強く立てて返した。



「……どっか、人がいないところに行きたいな~」
 人にもみくちゃにされて毛先を乱しさすがにうんざりとした表情の常闇がベンチに戻ってくるや否や、ホークスがほとんど独り言のような声量と調子で呟いた。常闇はそれを独り言とは取らずに、乱れた髪を整えつつ会話として続ける。
「それなら、山か海だな」
「うわ、究極の選択ってやつだ。山、涼しそうでいいけど、海も捨てがたいなあ」
「ダークシャドウも夜の海は好きだ」
 なあ、と呼びかければ、いきすぎたファンサービスで疲れ気味だった黒影も顔を綻ばせて同意する。
「じゃあ海かな。近場だったらバイクで行こうよ。二人乗りでさ」
「バイクだと? 乗れるのか?」
「あれ? 知らなかったっけ? 普段の移動は車なんだけど、半分趣味でね。けっこう気持ちいいよ~、なんか空飛んでるみたいで」
「飛びたいなら、いつでも飛ばしてやれるが」
「それもいいけどさ。でも、やっぱ自分の力で飛ぶからいいんだよ。君なら分かるでしょ?」
 分かるでしょ?と首を傾げながら同意を求められた常闇は、一呼吸の間を置いてから、ああ、と頷いた。




NOW ON AIR 3


『――えーと「いままで自分から告白した相手とうまくいったことがありません。やっぱり相手に好きになってもらった方が長続きするんでしょうか。告白するかされるか、ホークスはどっちがいいですか?」…あー、究極の選択的な。どうかなー、俺そもそもそんなハッキリ付き合ってとか言ったことないかも…なんか、自然とそういう感じになりません? アメリカンスタイルなんすよ。え、人に聞かれてもごまかせるからじゃないかって? ちょっと、この番組の構成作家さんイジメてくるんですけど。勘弁してくださいよ。とにかく、メールくれた人は勝手にジンクスみたいに思い込んでるだけで、意外と関係ないんじゃないかな。男は釣った魚に餌やらないとかいいますけど、人によりますよ。それこそ――』




5日目


 答えが出し切らずに度々蒸し返されていた山か海か問題は、外部からの助け舟によって決着を迎えた。ホークスが休暇中という話を聞きつけたらしいベストジーニストから、まるで示し合わせたかのように有難い申し出があったのだ。
『毎年夏に利用していたんだが、今年は忙しくて行けそうになくてな。ついでに風を通してもらえれば助かる』
彼の地元でもある瀬戸内の島に所有している別荘。それを自由に使って構わないと言われ、人里を離れたがっていたホークスは遠慮なく受け入れた。
「ただいまー。見てこれ、夏のドレスコードだって」
 後日ベストジーニストの元へと別荘の鍵を受け取りに出向いたホークスは、大きな風呂敷包みを抱えて戻ってきた。「お中元もらっちゃった」と、常闇に差し出した包みの中身は二人分の浴衣だった。
 疎い人間にも察せられる仕立ての良さに慄きながらも、明らかに常闇に向けてと分かる青みがかった黒色の糸で織られた布を手に取る。見た目以上に軽いことに驚きつつ、もうひとつの浴衣に目をやった。
 秋に色づく木の葉に似た芥子色の浴衣に、紅赤の帯。
 かつてのコスチュームを思い起こさせる配色に、当の本人はとんと気づかぬ素振りで楽しそうに笑っていた。
「近場でお祭りとかある? 一昨日の花火大会で終わりかなー。ってか、俺たちだけで着付けができるかが不安だね」
「……その時が着たら、障子に頼もう」
 青空に映える、光を受けて煌めく赤色。フラッシュバックする記憶とともに喉元までせり上がってきた涙をグッと飲み込んだ常闇は、気持ちを落ち着けるために広げた浴衣を丁寧に畳み直した。



 懐かしい色の浴衣を目にしたせいか、その日の夜に眠ると、常闇は赤い翼の夢を見た。
 夜の闇、高い塔の上で、足元遙か下には宝石箱をひっくり返したような乱雑で豪奢な街の灯りが広がっていた。強い風が頬を打ち、それに耐えて開いた目が月明りに照らされて光る赤い翼を捉えた。まだ、手を伸ばせば届く距離にある。そう思って腕を伸ばし、歩き出す。踏み出した一歩目、浮かぶことのできない体は、空中を踏んだそのまま闇へと落ちていった。
「……!…ハァ、ハァ」
 夢のせいもあって珍しく意識明瞭な状態で飛び起きた常闇は、慌てて隣に目をやった。どこからが夢だったのか、記憶が夢と混同し、一瞬淡い期待を抱かせる。
 ばっ、と腕を雑に伸ばして触れたのは、丸まって眠るホークスの背中だった。硬い骨の感触を感じると同時に、赤い翼の幻も消え去る。
 どこにもないことをたしかめるように、指先で背中を上から下まで撫ぜる。常闇が部屋着として貸した黒いTシャツの、綿の感触が指の皮膚を擦る。
 確認し、そして「ないな」と呟いた声が、真っ暗な寝室に反響せずに消えた。



 ホークスが目を覚ました時も、寝室の中は昼と夜の違いが瞬時には分からない真っ暗な闇の中だった。それでも、感覚的に朝が近いだろうと察する。
「ホークス?」
 物音に敏感な黒影がホークスの起床を察して、背後から顔を覗き込んできた。それに気づいたホークスが、ひそひそ声話しかけると、
「ダークシャドウ、いまなんじ」
「いま五時ハン!」
「ありがと、あと、おかえり」
 やはり、夜というよりは朝と言っていい時間帯だ。
 昨夜、ホークスは常闇が帰ってくるのを待ちきれずに深夜三時を過ぎた頃にベッドに入った。そこから今までの二時間ほどの間のどこかで常闇は帰宅したらしい。
 妙にすっきりと目が覚めてしまったし、一度起きて散歩でもしようか。そう思っても、実際に起き上がることはできなかった。起きてから、いや、恐らく起きるまえからずっと、背中に常闇が張りくいるからだ。
 上から見たら木に張り付く蝉のようになっているだろう。蝉の鳴き声の代わりに聞こえてくるのは、耳をすませてようやく聞こえるくらいのちいさな寝息の音だった。
「ねえ常闇くん」
 ホークスは、壁も見えない暗闇を見つめながら、ハッキリとした声量で呼びかけた。深く寝入っている常闇からの反応は当然ない。そうして、しっかり眠っているのを確認するための間を置いてから、言葉を続ける。
「君が助けに来てくれた時、俺は自分が死にかけていることよりも、君が飛べるようになったことを喜んでた。自分の個性を失った時も、ダークシャドウを奪われなかったことに安心してたよ」
 普段よりもゆっくりとした口調で、一言の中に含まれる記憶を噛みしめるように時間をかけて呟く。
「子どもの時に母親からなんのための個性かって諫められてから、正しい活かし方ってなんなのか、ずっと考えてた。答えは今も分からないけど、でも、最後の最後まで君のために使えてよかった」
 ホークスのひとりごとを聞いていた黒影が、耐えかねたように、やや躊躇いながら口を挟む。
「フミカゲ寝てるゾ」
「んー? いいのいいの、睡眠学習だから。ねえ、ダークシャドウ。ほんのちょっとだけカーテン開けてくれない?」
 ホークスの頼みを受け、アイヨ、と黒影が窓辺まで移動する。ほんの数センチの隙間から入ってきた月明かりとも朝日ともつかない白く淡い光が、真っ暗な部屋に一筋の線をつける
 ホークスがモゾモゾと動いて体の向きを変えると、眠っている常闇の顔が見えた。正面から向き合った常闇の黒い羽毛に指を深く通して、頭の形をたしかめるようにゆっくりと撫でる。
「まだヒビ残ってるね」
 常闇の黄色い嘴には、かつての大戦でつけられた亀裂が薄っすらと残っていた。間近で見ないと分からないその線を、親指の腹でそっと撫でた。
「……俺で、埋められたらいいけど」
 小さな頭を両腕で胸に抱き込むようにして抱きしめる。体を軽く揺さぶられた常闇がさすがに小さく唸り声をあげたが、目は覚まさなかった。
 ホークスも両瞼を閉じて、鼻先を常闇の額あたりに埋めたまま、すぅっと深く息を吸い込む。この数日で嗅ぎなれたシャンプーの匂いに、汗の塩気がかすかに混ざった匂いがした。
「ありがとう、大好きだよ」
 その囁きを最後に、ホークスも再び眠りについた。




NOW ON AIR 4


『――でさ、プロヒーロー同士の結婚は珍しくないけど、実は離婚率も高いらしいよ。経営者同士だからうまくいかないことも多いみたいでね。むかーし、チームアップでどうにもうまくいかねーなーって思ったら、喧嘩別れした元夫婦だった時があったな。あー、しょうもない話しちゃった。じゃあ、次のメール読みますね。えーと「今まで誰かを好きになったことも、恋愛をしたこともありません。愛ってなんですか?」いやあ、難しい問題だね。俺の答えなんてあんま参考にしないでほしいけど……――』




6日目


「折角だから寄り道していこう」と、瀬戸内のジーニスト荘に向けて出発する直前になってホークスが言い出した。
「暇になったら行きたいとこあったんだ。まあまあ近い場所だから、抱っこで連れてってくれない?」
 すでに目的地が決まっているらしいホークスの提案で向かったのは、隣県との丁度境あたりになる一面のひまわり畑だった。一番よく見える場所がある、と言って案内されたのは畑から少し距離のある大きな老木で、丈夫そうな枝を選んで並んで腰かける。
「昔、たしかデビューした年の夏かな? 偶然通りがかってすげーきれいで感動して。思い出した時は見に来てたんだけど、飛べなくなってからは行けてなかったなあ」
「それは初耳だ」
「わざわざ言うほどのことじゃないからね。いつも一人だったし。ほら、あっち。富士山見える」
 指で示されるまでもなく、常闇もその存在にはとっくに気がついている。見慣れた形、夏らしい色をした山肌。
「君たちが守ってくれた風景だと思うと嬉しくなるんだよな」
 AFOを打ち砕いたデク達の活躍は、時を経て、今や伝説染みた物語として語り継がれている。フィクション交じりでコミックスにもテレビドラマにもなったその物語の多くは、富士山が壊されようとし、それを食い止めるシーンでクライマックスを迎える。
「なんだかんだ、俺は空を飛ぶのが純粋に楽しかったんだよ。のんびり風景見たり、勝手に鳥と競争したり、一人で移動してる時の思い出も結構あるから」
 久しぶり、が指すのは、この風景だけでなく、飛ぶ時の楽しかった感覚を思い出すことも含めてなのだと。そう言っているのを常闇も察する。
「まあでも、地面に降りて見る景色も悪くないし、まだ行ったことのない場所もいっぱいあるしね。いつか君たちヒーローが暇になった時には、自力で日本一周したいなぁ」
 山の更にその先へと視線を投げながら、ホークスが大きな声で願望を口にする。やまびこのつもりか、したいなー、と叫んだ声が常闇の耳には大きすぎて思わず体を斜めにしてホークスから遠ざかった。
「……恐らく、そう遠くない未来だろう」
 名残惜しい景色から視線を外した常闇が、枝の上ですくっと立ち上がる。新幹線の駅へと舞い戻るために、自らに伸ばされているホークスの手を引いた。



 穏やかな瀬戸内海に無数に浮かぶ島のひとつ、限られた数の住民が暮らす穏やかな空気のそこは、たしかに人目を気にせずに過ごすにはぴったりの場所だった。
今なお現役ヒーローとして活躍し、事務所経営や後進育成にも忙しないジーニストを思えば、建物も内装も豪華すぎるということはない。
 田舎に溶け込んでいるのか浮いているのか判断が難しいような前衛的な建築や、室内を飛び回って遊べそうなくらい高い天井も、ジーニストの東京での住居を知っているホークスにとってはさほど驚きは無かった。
 内心、夏休みの残り日数も少ない中わざわざ移動してまで滞在するのは面倒だと思っていたが、感動している常闇の様子を眺めていると、素直に来てよかったと感じていた。
 海に面した壁は半分がガラス張りになっていて、その中に人気のないビーチ額装された絵のように収まっていた。
 ただ美しいだけのはずの景色なのに、見ていると首の裏あたりに冷たい脂汗がにじんでくる。
 海を見ると、生まれ故郷を思い出してしまう。
 家から逃げ出した先で浴びた冷たい海風。荒れた波がたてる轟音。冬の海に飲み込まれてしまえば、肉も骨も細かく砕け誰にも見つけられない。
「どうした?」
 窓際に立って海を見つめていたホークスの隣にやってきた常闇が、垂れ下がっていたホークスの手に触れる。その感触で我にかえったホークスが隣を見やり、ああ、ととりあえずの相槌を打つ。ガラス越しの光を受けている赤い瞳はいつもよりも淡く明るい、熟れたザクロの実のような色をしていた。
「……いや、一人じゃないって、不思議なもんだなと思って」
 常闇を挟んでさらに隣、青く輝く海を憂鬱そうに見つめる黒影を見て、ホークスは笑った。



 ホークスが常闇宅に舞い降りてから、常に一緒に何かをしているようで、ただ隣に並んで話をしている時間がほとんどを占めているような気がする。
 太陽から逃げた先のコンビニで、深夜ひとけのない公園のブランコで、遠くビルの隙間から花火の見えるベランダで、夜食のラーメンが出来るのを待つキッチンで。
 まったく違うシチュエーションで、それでも隣にいるのがずっと同じ人間という事実が不思議だった。一週間近くもの間一緒にいて話が尽きないのも不思議だった。
 穏やかな波音が響く夜の砂浜で、線香花火を手に持っていたとしても、ホークスの纏う空気にもよどみのない喋り口にも変わりはない。
「そういや、緑谷くんの《アレ》完成しそうだってね」
「ああ。なんだ、知っていたのか?」
「まー、一応ヒーロー管理してる側だからね。彼の場合、結局ライセンスを取得してないままだったから。まあ仮免取得済みで問題がなければ基本は即発行なんだけど、彼の場合仮免試験の時から個性も変わってるってのがね、前例無いから。もちろん、そんなつまんないことで滞らせるような案件じゃないから心配しないで」
 ずっと話をしていたはずなのに、仕事の話をするのは今が初めてだった。守秘義務もあるし、そもそも休暇中に仕事の話をしたくないというのも分かる。
「楽しみだね、彼の復活は。俺の日本一周の夢にもまた一歩、大股で近づける気がする」
 パチパチと火薬が控えめに弾ける音、優しいオレンジ色。視覚と聴覚がもたらす瞑想めいた精神の落ち着きに反して、常闇の脳内には真逆の大爆発を引き起こす男の顔が浮かぶ。

 緑谷がヒーローに戻ってくれるかも知れないとして、じゃああなたは――頭に浮かんだ疑問を、そのまま口にすることはできなかった。
 たまに顔を合わせて近況を報告する程度では察せられない空気感を、この数日、さまざまな機会に感じさせられてきた。
 暗に伝えられる冷静な諦めや、かたくなまでの前向きさ。
 逃げてんじゃねえ――かつての同級生が放った荒々しい言葉がそそのかす悪魔の声のように耳元で囁かれる。
 そんな風には思っていない。ヒーローとしてのこの人に、本質的な違いは何もない。逃げるどころか、恐ろしいほど実直に未来を追い続けている。
 それなのに焦燥感に急き立てられるのは、以前にも増してその背中が遠いと感じるのは、何故か。

「そういえば資金は同窓生が出したって聞いたけど、君が去年くらいからやたらと企業の広告仕事するようになったのもそれが理由?」
 ホークスの質問で、思考の海に沈みかけていた常闇は我にかえった。平静を取り繕い会話を続ける。
「バレていたか」
「最初は活動が夜だけになったから、それとのバランスとるためかなって推測してたんだけど、ダイナマイトから話が来て納得した。君たちの行動力には、昔からずっと驚かされっぱなしだよ」
 肩を震わせて笑った拍子に、ホークスの手元の線香花火も揺れて火が落ちた。すぐに新しい一本を取ったホークスの手の先で、点火棒から噴き出した小さな炎がその笑顔を照らした。
「……昨日、昔の夢を見た。まだ俺は学生で、あなたには個性があった頃の」
「ああ、おれもたまに見るよ。人生の半分以上、体の一部だったからね。羽根で人や物に触れる感覚がふいに感じられたりもする。傷は完治してるはずなのに、今でも時々痛みが、背中とか、その先の部分にあったり」
「取り戻したいとは思わないか?」
「だって、取り戻すもなにも、アイツ持ち逃げしたじゃん。そういや、今朝見た富士山を見て思い出した。あの時、君は結局デクのところには行けなかったんだったなって」
「……そうだな」
 一歩も動けないほどに傷ついた状態で並び見た、画面の中で巻き起こる結末。応援するしかない歯がゆさは、常闇にとっては忘れがたいものだった。
「あの時、ギリギリまで酷使させたことに申し訳なさも感じてる。だけど、今でもずっと思ってるんだよ。俺の最後を見守ってくれたのが、君で良かったって」
 ホークスが淡々とした調子を崩さないままにそう呟いた、次の瞬間。線香花火の光の玉が紙の先を離れ、砂浜に落ちて消えた。
 訪れた暗闇と、ちょうど途切れた波音の隙間の静寂。その時常闇は暗闇に恐怖を覚えた。包むはずの暗闇が、目の前の存在を消してしまう驚異に感じた。
 さっきまで見えていた腕の位置へと手を伸ばし、ぶつかった手首を無我夢中で掴んだ。掴まえた手首をそのまま頭上へと捻りあげ、バランスを崩したホークスの体をそのまま押し倒す。うわ、という上擦った声と、ドサ、と砂の上に体が倒れる音とが同時に生まれて、軽い混乱の空気が漂った。
「……言っておくが、思い出づくりのつもりはない。夏はこの一度限りじゃないし、夏の後には秋も冬もある。思い出を噛みしめるような暇はない」
 低くくぐもった声には鋭い棘があり、ハッキリと苛立ちが滲んでいた。柔らかい砂に押し付けられたホークスは、痛みというよりも驚きで一瞬目をつむったが、すぐに気を取り直し、スマートフォンのライトだけの頼りない視界の中で、冷めた表情で自分を見下ろす常闇の顔を見返した。
「俺から、逃げようなんて思うなよ」
 絞り出すような声での脅迫。それとほぼ同時に降り出した雨に先に気がついたのは、顔が上を向いていたホークスだった。雨だ、と呟いたのを聞いて常闇の腕の力がゆるみ、上体を起こしたホークスは親指の腹で頬を拭って水滴をたしかめる。その数秒後には、波音をかき消すほどの乱れた雨音が響き始めた。



 突然降り出した雨の勢いは激しく、海岸から別荘に戻るまでの数百メートルを走り抜けただけでも、二人は下着のシャツまで染みるほどのずぶ濡れになっていた。
 風呂場で上半身の服を脱ぎ去り、濡れた頭にタオルを被る。そこで、はた、と状況の気まずさに気がついた。ふたりきりですごしたこの数日、季節柄ほとんど裸同然の薄着で傍にいたこともあった。それでも、完全に無防備になってはいなかったのだと、今のこの状況になってはじめて感じていた。
 前髪が濡れて垂れ下がり額が隠れると、ホークスの顔は途端に幼く見えた。どこか怯えて見えるのは、そのせいかもしれなかった。広い洗面所の、大きな鏡に映る二人の姿。合わせて四人分の人影は、そのどれもがぎこちなく硬直し、距離感を測りかねていた。
「あの……別に俺、逃げようなんて思ってないよ。ただ……恋してるって自覚すると、恥ずかしいだけで」
「……ならせめて、一言くらい確証の持てる言葉をくれないか」
「あ~~……うん」
「何が恥ずかしいんだ。誰に聞かれてるわけでもないのに」
「だって、もう、今更じゃない? 分かり切ってるでしょ、おたがいに」
「殊更言わないとダメなわけじゃない。ただ、俺が言って欲しいだけだ」
「それ、を言ったら、俺も別に言われてないけど?」
 ホークスの反論に、常闇がチッと大きく舌打ちをする。
「そもそも、俺はあなた以外の他人を自宅に入れたことはないし、同じベッドで寝るのなんてもっての外だ。それが許せるのは、好きで、愛してるからで、それ以外の理由はない」
 さあ言え、と表情で訴えてくる常闇に、ホークスは苦悶する表情の口元を手で押さえ、声にならない唸り声をあげた。
「やっぱ言えない、だって、はずかしいんだもん。嘘でだったら全然言えるんだけど、マジで思ってるから、いえない……だから……」
 だから?と常闇が続きを促すと、ホークスは両腕を数センチ下にずらし、赤くなった頬と、常闇を見つめる熱で潤んだ目だけを覗かせた。口元は隠したまま、もごもごと言葉を続ける。
「だから、かわりに、その…………シようか」
「できるのか?」
 疑いの目を向けてくる常闇に、ホークスが口ごもる。それを見て、常闇が言葉を重ねる。
「前に、失敗しただろう。あれがトラウマになっているのかと」
「あー、やっぱ覚えてんだ。あれ、ちゃんと合意だったよね?」
「忘れるわけがない。それに互いに合意の上だった。かなり酩酊してはいたが、な」
 な、の語尾に合わせて、中途半端に開いていた距離を常闇が一気に詰める。ちらりと、横目で鏡の中に目をやる。数年前、若かった、と説明できるほどに今と違いのない年齢の二人。あの時も、今と構図はほとんど同じ状況だったか。
「ただ、できれば君を傷つけたくなくてね」
「……あなたは優しすぎるな」
 目線をホークスに戻し互いだけで視界が埋まる距離まで顔を近づけた常闇が、首を斜めに傾げ、小声で呟く。嘴の先端がホークスの喉に届き、柔らかい皮膚に食い込む。ゴクリ、とホークスが唾を呑むと、その振動が嘴から常闇にも伝わってきた。
「夜も闇も、俺の世界だ。ましてやこの嵐。先刻から黒闇が腹奥で暴れたがって仕方がない。この期に及んで躊躇っているなら、流されておいた方が身のためだ」
 頭を傾げたままくちを軽く開き、柔らかい部分で口を重ねた。反射的にひけたホークスの腰を片手で押さえ、そのまま舌をさし入れる。常闇の長い舌がゆっくりと口内をひとめぐりする頃には、緊張で硬直していたホークスの体も幾分脱力していた。
「……俺が逃げ出したくなる相手って君くらいだから。そこは誇っていいと思うよ」
 一切逸らそうとしない赤い眼を覗き込み観念した表情でそう言うと、今度はホークスの方から顔を近づけていった。



いわくそのやみはあまく


 ジーニストからは主寝室を使って構わないと言われていたが、為す行為を思うとさすがに躊躇われ、ゲストルームのベッドを選んだ。それでも男性二人で持て余すほどの広さがあった。開け放ったカーテンの向こうの空は雨風こそ弱まっていたが月明りもなく、ベッド脇の間接照明だけが灯る薄暗い空間で、黒影も目を細めて笑顔を浮かべていた。
「ホークス、カワイイナ」
 立ち上がった乳首を弄る常闇の舌の動きに反応して吐息と甘い声を漏らすホークスの手首をベッドに押さえつけているのは、人の手よりもずっと大きい黒影のものだった。常闇本人の手は、もう一つの乳首と腰とをまさぐっている。
「ねえ、ダークシャドウ、出しとくの?」
 ホークスの疑問に、常闇は、はた、と指の動きを止めた。苦々し気な表情の裏から「やめてほしい」という懇願が透けて見える。が、
「呼び出していない状態であっても、俺の感覚をダークシャドウは認識しているから発動していようがいまいが同じだ。その逆もしかり、俺の視界の外であっても、ダークシャドウの感覚は不完全ながら俺にも伝わる。俺が眠っている間にダークシャドウが見聞きした経験は、俺にも共有される。夢を見ているような感覚が近いか。つまり……睡眠学習も、効果はまずまずだ」
 そう言って、ニヤリ、と意味深に笑う。その言葉と笑顔に、ホークスが愕然とした。
「な……っ!じゃあ、なんでさっきあんな言わせようとせんでも…」
「それとこれとは別だ。直接じゃなければ告白としては意味がない」
「んっ……とこやみくん、いやらしかぁ」
 皮膚の上に残る傷跡をたどりながら下へと降りていた常闇の指が股間の猛りを素通りすると、ホークスの表情が強張った。
「嫌だったら言ってほしい」
 常闇が一旦体を起こし、潤滑剤を手に取りながら確認をとる。小さく、だがそれでもはっきりとホークスの首が横に振られるのを見て、窄まりの奧へと指を忍ばせる。痛みに対する耐性が無いわけもないが、打撲や切り傷とは勝手が違う。不安を覚えながらも急くのを留めきれずに動く常闇の指を、ホークスは上体を左右に捩りながらも無言で受け入れていた。
「っは……っあ、ごめん、手いい?」
 元々無理矢理に押さえつけているわけではないので、ホークスの意思を感じるとすぐに黒影も手をどけた。
 解放された手を常闇の首に回し、うなじの皮膚と羽毛との境を指で撫でる。敏感な部位だったのか、今の状況のせいか、常闇の体が大げさに跳ねて、同時にホークスの中に入っていた指にも力が入ってしまう
「あっ……!」
「すまない、痛んだか?」
「いや、だいじょうぶ、ってか、その……ぎゃくで」
「逆?」
 ホークスの言葉をおうむ返ししながら、常闇が先刻の偶然のうごきを再現するように指先を操る。ピンポイントで感じやすい部位を揉まれ、ホークスがさっきまでとは明らかに違う悲鳴に近いような声をあげる。背筋が震え緊張するのに対して、尻の周囲の筋の力が抜けるのを感じた常闇は、一旦引き抜いた指の数を増やしすぐに戻す。
「ぁあっ!は、ぁ……ぅう……っは、きもち、い」
 常闇自身への直接的な刺激は無いが、長い付き合いの中で見たことの内容な表情で感じたままを口にするホークスの媚態、指先で感じる体奥の粘膜の他にたとえようのない感触や熱さで十分に興奮していた。思わずもう片方の手を伸ばした自分の欲の中心は、当然すっかり膨張し切っている。自らの指とそれとの太さを比べ、微かな不安が過ったが、そこで躊躇わせるほどの理性はすでになかった。むしろ、自らのもののすぐそばで全く同じ程度とはいかないまでも緩く立ち上がっているホークスのそれが目に入り、一層興奮していた。
「もうっ……いいだろうか」
 辛抱ができずに内部をほぐす指の動きが荒々しくなってしまっているのに自身でも気づいた常闇が、ならばもういっそと懇願すると、ホークスも
「おいで、常闇くん」



 最奥までは無理でも、最初の勢いでできるだけ。ホークスの様子もうかがいつつ半分ほど入れこんだところで、常闇は前進させていた腰の動きを止めた。
「……っ、はぁ、はぁ」
 詰めていた息を解放した常闇が、荒い呼吸に合わせて腰を動かしながら、汗で絡まり額に張り付いているホークスの髪を手でよける。血が昇っているせいかいつもより目立つ額の傷跡に、嘴の上側を寄せ、擦り合わせた。
「たとえ翼がなくても、あなたは俺の天使だ。いや、堕ちた天使か。翼を失い堕ちたからこそ、この手中に収まってくれたのかも知れないな」
 常闇のうわ言は、達しそうな熱の昂ぶりを誤魔化そうとするためのものでもあった。そうでもしなければ、ほとんど動く余裕もなく熱さと締め付けだけで早々に果ててしまいそうだった。ホークスはホークスで、常闇の早口ではっきりとしない呟きを聞き取る余裕はなく、え?と聞き返そうと声も嬌声に紛れて意味をなさずに流れた。
 より高みにある限界を求めて、今すぐにでも解放したい気持ちを
「ぁあ、っい、いけん、っも……! 君のためにあげれるもん、もうない、けど……いいんかな、おれこんな」
 身体的な限界と状況に感極まっての合わせ技で涙目になったホークスが、眉尻を下げた情けない顔で常闇の胸に縋りつく。熱に浮かされた言動を本音として受け取っていいかは定かではないが、常時であれば絶対に言わないような弱気に、常闇の情動も揺さぶられる。
「いいに決まってる」
 先ほど指で暴いたあたりを狙って抉ると、予想通りに高い声があがる。二人の腰の間で揺れているホークスの陰茎に手を這わせた。汗と、それだけでないぬめりを全体に伸ばすように手の平全体でしごくと、ぐちゅぐちゅと新しい水音が響いた。やけに音が反響する――そこでようやく、無意識の内に二人を包む天蓋のように黒影を展開していたことに気が付く。誰に見られているわけでもない、ひとけのない島にまで逃れてきたというのに。絶対に誰にも見せたくないという気持ちが強烈に高まっているらしい。
 自らの我欲を自覚した常闇がホークスの体を抱きしめ直すと、腰に絡んでいた相手の両手足にも力がこもる。
「とこやみく、……き、すき、だいすき」
 本人にも何を言っているのか分かっていないのかも知れない、必死な状況での告白を、同じく余裕のない常闇はそれでもなんとか受け止めた。声を止めさせるのが惜しく、頬や耳辺りに口づけを繰り返す。
 閉じ込めて、暴いて、ドロドロに溶かし切ってようやくか――いや、ここまで強情だからこそ、この男の好きには価値があるのかも知れない――甘い闇が誘い出した言葉を噛みしめる余裕もなく、ホークスの体の震えに合わせて、常闇も最奥の最も深い闇の中で果てた。




NOW ON AIR 5


『俺の背中にまだ翼があった頃、どこまで高く飛べるか試したことがあったんだよね。物理的に限界は無いはずだけど、真空に近づいていくからね、途中でさすがに苦しくなった引き返した。その時の「空気に生かされてる」っていう感覚。普段は全然意識してなかったのが、地上に戻った途端にありがたく思えた。愛も多分、そういうものなんじゃない? 存在を忘れるくらい、意識しないくらいに溢れてるから、かえって見つからない。ああ、たぶん炎系の個性の人もきっと同じことを思うはず。炎が燃えるのにも空気が必要だからね。そういえば、前にショートが――って、もう時間か。この後は、イヤホンジャックの「ハートビートジャパン」だけど……え、彼女も生放送? しかもスタジオは隣? なら、このままオープニング遊びに行っちゃおうかな? はは、冗談だって。とりあえず、周波数はそのままで! 今後もヒーロー達の応援よろしく‼』




7日目


 ホークスの夏休み最終日、別荘から静岡に戻ってきた二人は夕方から墓参りに出掛けた。かつての大戦の後、身元の分からない敵たちのための共同墓が県内の墓所に建てられた。その日は不思議と連日の酷暑も力を弱め、眼下に街を見渡せる小高い場所に吹く風もどこか涼しかった。
「何かのために個性を使いたいなんて、そんな考え自体がなくなってもいいんじゃないかな。エリちゃんの個性が、なんの役に立つかとか関係なく、ただかわいいものになって、それだけでもう十分、みたいなさ」
 墓碑の前にしゃがみこんだホークスが、会話の最中に言った。それに対して、立ったまま手を合わせていた常闇は、反射的に言い返したくなった言葉をそのまま素直に口にした。
「それを言うなら、あなたの翼だって……ただただ綺麗だったんだ。そう思って悼むのはいいだろう」
「まあ……そりゃ自由だね。そういや、彼女常闇くんと好きなものが同じだったって言ってたんだけど、なんのこと?」
「好きなもの? ああ、林檎のことか」
「リンゴ! かわいいねえキミらは。ああ、そういや、二人とも目の色がリンゴ色だ」
 ホークスが、上目遣いで鋭くなっていた目を大きく見開き、パッと花が咲いたように明るく笑う。
「じゃあ秋にはリンゴ狩りかなー。休みがあればだけど。あれ、リンゴの旬って秋だよね?」
「せめて、盆だけでなく正月も休め。たとえ暇じゃなくても、それくらいは許される」
「でも、常闇くんお正月は実家帰っちゃうんじゃないの?」
「毎年数日は帰っている。あなたも一緒に来ればいいだろ……嫌じゃなければな」
 その提案に、ホークスは驚いた顔で常闇を見上げた。そのまま無言で数秒固まってから、へへ、と眉を下げて笑いながら再び墓石に向き直る。くすぐったそうな照れ笑いを浮かべる横顔を、常闇は静かに見下ろしていた。
「はぁ、明日から仕事かー。さすがに今日は家に戻って準備しなきゃな。折角だから帰りも家まで送ってあげるよ」
 よっこらせ、と声に出して立ち上がったホークスが、ぐっと全身で伸びをしてから、常闇を振り返る。
「……悪くないな」
「ね、地面走るのも意外といいもんでしょ。風になってる! って感じで」
 投げ渡されたヘルメットを両手でしかと受けとめた常闇は、違いない、と笑顔を返した。